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出版者情報
中動態の世界
意志と責任の考古学
- 書店発売日
- 2017年3月27日
- 登録日
- 2017年3月10日
- 最終更新日
- 2017年3月10日
書評掲載情報
2021-10-23 | 朝日新聞 朝刊 |
2018-04-28 | 朝日新聞 朝刊 |
2017-12-24 |
東京新聞/中日新聞
朝刊 評者: 池田清彦(生物学者) |
2017-12-24 |
読売新聞
朝刊 評者: 伊藤亜紗(東京工業大学准教授、美学者) |
2017-12-24 |
朝日新聞
朝刊 評者: 野矢茂樹(東京大学教授・哲学) |
2017-12-17 |
毎日新聞
朝刊 評者: 堀江敏幸(作家) |
2017-12-17 |
毎日新聞
朝刊 評者: 中島岳志(東京工業大学教授・政治学) |
2017-12-10 |
毎日新聞
朝刊 評者: 斎藤環(精神科医、筑波大学教授) |
2017-07-02 |
東京新聞/中日新聞
朝刊 評者: 藤沢周 |
2017-05-28 |
毎日新聞
朝刊 評者: 斎藤環(精神科医、筑波大学教授) |
2017-05-21 |
朝日新聞
朝刊 評者: 野矢茂樹(東京大学教授・哲学) |
2017-05-07 |
読売新聞
朝刊 評者: 納富信留(東京大学教授、ギリシャ哲学研究者) |
2017-04-29 |
日本経済新聞
朝刊 評者: 山本貴光(ゲーム作家) |
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紹介
【本書「あとがき」より】 中動態の存在を知ったのは、たしか大学生の頃であったと思う。本文にも少し書いたけれども、能動態と受動態しか知らなかった私にとって、中動態の存在は衝撃であった。衝撃と同時に、「これは自分が考えたいことととても深いところでつながっている」という感覚を得たことも記憶している。 だが、それは当時の自分にはとうてい手に負えないテーマであった。単なる一文法事項をいったいどのように論ずればよいというのか。その後、大学院に進んでスピノザ哲学を専門的に勉強するようになってからも事態は変わらなかった。 ただ、論文を書きながらスピノザのことを想っていると、いつも中動態について自分の抱いていたイメージが彼の哲学と重なってくるのだった。中動態についてもう少し確かなことが分かればスピノザ哲学はもっと明快になるのに……そういうもどかしさがずっとあった。 スピノザだけではなかった。数多くの哲学、数多くの問題が、何度も私に中動態との縁故のことを告げてきた。その縁故が隠されているために、何かが見えなくなっている。しかし中動態そのものの消息を明らかにできなければ、見えなくなっているのが何なのかも分からない。 私は誰も気にかけなくなった過去の事件にこだわる刑事のような気持ちで中動態のことを想い続けていた。 (中略) 熊谷さん、上岡さん、ダルクのメンバーの方々のお話をうかがっていると、今度は自分のなかで次なる課題が心にせり出してくるのを感じた。自分がずっとこだわり続けてきたにもかかわらず手をつけられずにいたあの事件、中動態があるときに失踪したあの事件の調査に、自分は今こそ乗り出さねばならないという気持ちが高まってきたのである。 その理由は自分でもうまく説明できないのだが、おそらく私はそこで依存症の話を詳しくうかがいながら、抽象的な哲学の言葉では知っていた「近代的主体」の諸問題がまさしく生きられている様を目撃したような気がしたのだと思う。「責任」や「意志」を持ち出しても、いや、それらを持ち出すからこそどうにもできなくなっている悩みや苦しさがそこにはあった。 次第に私は義の心を抱きはじめていた。関心を持っているからではない。おもしろそうだからではない。私は中動態を論じなければならない。──そのような気持ちが私を捉えた。 (以下略)
上記内容は本書刊行時のものです。