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比翼の象徴 明仁・美智子伝
巻次:上巻
戦争と新生日本
- 初版年月日
- 2024年7月25日
- 書店発売日
- 2024年7月29日
- 登録日
- 2024年6月10日
- 最終更新日
- 2024年9月12日
書評掲載情報
2025-02-08 |
朝日新聞
朝刊 評者: 御厨貴(東京大学名誉教授・政治学) |
2025-01-11 |
東京新聞/中日新聞
朝刊 評者: 平山周吉(雑文家) |
2025-01-11 | 日本経済新聞 朝刊 |
2024-12-14 |
毎日新聞
朝刊 評者: 加藤陽子(東京大学教授・日本近代史) |
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紹介
軍国主義の時代に生を受け、「神の子」とされた明仁皇太子。敗戦後は価値観が転換する中で「新生日本のホープ」として期待されるも、自身の運命に実存的な煩悶を抱く。小泉信三、バイニングから民主主義の精神を学び、エリザベス女王戴冠式出席のため欧米を訪問する過程で、自信を得、将来の象徴天皇としての責任を自覚していく。
目次
序
第1章 万世一系と「神の子」
〈昭和8年〉
天皇家の顕教と密教
史上初、「生まれながらの皇太子」
「宙ヲ飛ビテ」奏上
鳴った、鳴った、サイレン
奉祝提灯行列の光の波
名は「明仁」、称号は「継宮」
〈昭和9年〉
「御親子分離は御三才位が可なるべし」
親の思う通りに子供を教育できない
正田美智子の誕生
〈昭和10年〉
親子別居に反対した鈴木貫太郎
養育担当に決まった石川岩吉
〈昭和11年〉
二・二六事件、東京にいなかった皇太子
〈昭和12年〉
若き傅育官「ヤマ」と「ヒガ」
「一人暮らし」の始まり
同年代の遊び相手
〈昭和13年〉
苦痛だった「出張幼稚園」
〈昭和14年〉
国際協調派・山梨勝之進の学習院院長就任
義宮別居に抵抗する裕仁天皇
〈昭和15年〉
教育方針「御学友は御作りせざること」
学習院初等科入学と勅語集
席は中央の前から三番目
授業に立ち会う東宮傅育官
要領が悪く積極性に欠ける
第2章 亡国の危機に
〈昭和16年〉
毎週土曜日、同級生の「お呼ばれ」
迷走する皇太子の空襲避難先選定
運動会「一等になる必要はない」
教室で聞いた宣戦の詔勅
〈昭和17年〉
日本初空襲、防空壕に避難
〈昭和18年〉
水泳で得た自信と忍耐力
見送られた軍人への任官
〈昭和19年〉
沼津へ集団疎開
体力、気力で同級生を上回る
日光疎開学園の開園
皇后からの歌と菓子袋
〈昭和20年〉
館林に疎開した正田家
疎開地へ父母からの手紙
生まれて初めてのひもじさ
「死んではならぬ、生きて殿下を守り抜け」
奥日光の南間ホテルへ
用意された皇太子の「影武者」
混乱のさなかの東宮職設置
雑音で聞こえなかった「玉音放送」
第3章 師との出会い
〈昭和20年〉徹底抗戦派から皇太子を守れ!
作文「新日本の建設」と父の敗因説明
「みじめな東京」には戻らず
「東宮様ノ御教育ニツイテモ根本的ニ考ヘヲ改ムル要アリ」
車窓に見渡す限りの焼け野原
「共産党を取り締まる必要はないのでしょうか」
〈昭和21年〉
米国側が構想した女性家庭教師
天皇退位論は幼帝・明仁天皇論
「皇太子民主化政策」の始動と小泉信三の任用
祖母の影響で歌作を始めた美智子
小金井御仮寓所で自給自足の野菜作り
家庭教師はバイニングに決定
「殿下のため、世界への窓を開いてほしい」
皇室に民主主義の精髄を伝道する
新しい天皇、皇室のあり方を提言した三笠宮
第4章 日本のホープ,青春の煩悶
〈昭和22年〉
戦後間もない時期の「女帝」「退位」論議
退屈と窮屈に慣れた生活
聖心女子学院への転校
小泉信三との初対面「実に好少年」
学友とケンカ、「絶交する」
太って日焼けした顔、あだ名は「チャブ」
〈昭和23年〉
「復興日本のシンボル」と失われる自由
小泉を皇太子教育の最高責任者に
福沢諭吉『帝室論』の講義
〈昭和24年〉
「私はすべての生き物が好きです」
皇太子、幻の留学計画
「世襲の職業はいやなものだね」
マッカーサーとの対面
小金井の御仮寓所全焼
〈昭和25年〉
「外ヅラの悪さでは天下一品」
竹山パーティーでの内面的成長
「殿下の勉強と修養は日本の明日の国運を左右する」
「自分で考えよ!」
第5章 成長への旅立ち
〈昭和26年〉
目白清明寮と終生の友
初の皇太子妃報道、実名で候補六人
異性と交流する機会がない
〈昭和27年〉
庶民の家にあこがれる
「銀ブラ事件」の造反有理
英国女王戴冠式への出席を機に学習院大学退学を検討
国の儀式の立太子礼と「臣・茂」
馬術大会、目前での死亡事故
欧米十四カ国訪問が決定
〈昭和28年〉
「荒潮のうなばらこえて船出せむ」
船内で元気いっぱいの皇太子
英国にくすぶる捕虜問題と経済摩擦
反日世論を緩和したチャーチルの配慮
厳粛かつ華麗、戴冠式の盛儀
「日英親善の急速促進」は日本の新聞の過大評価
もっとも楽しかったベルギー王室との交流
北欧王室の家庭的な接待
政治的だったアメリカの対応
日系人街をオープンカーで巡る
日本の身の丈を知った旅
注
上記内容は本書刊行時のものです。