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朝子の介護奮戦記
- 初版年月日
- 2003年6月
- 書店発売日
- 2003年6月16日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2010年11月11日
紹介
本書は画家の祖母と母、そしてライターの「私」という女三代の一家の物語です。
ある日、祖母がクモ膜下出血で倒れ、救急病院へ。快方へ向かうと転院することになり、行った先は、回復して退院する者の見当たらない「老人病院」でした。
・・・・・・このままでは、病院を生きて出られない・・・、そう思った「私」は懸命の転院作戦を繰り返し、ついには国立病院へと移ります。そこで「私」は在宅介護のトレーニングを受け、やがて祖母の長い入院生活にピリオドを打つことに。そしてアトリエを改造した介護室で祖母を介護する日々が始まりました。
祖母はベッドから落ちたり、過度なリハビリで骨折したり、また後遺症で一時入院したりと困難も押し寄せます。しかし「介護を始めてから我が家には笑顔が増えた」というポジティブな介護によって、祖母はまた個展を開くまでに回復していくのです。
目次
第1章 優しくなかった孫娘
第2章 生と死が共存する地獄
第3章 在宅介護しかないという決断
第4章 話せた!座れた!食べられた!
第5章 車椅子の身になっても一生涯、画家
第6章 介護で自分と向き合う
前書きなど
「あの、もし入院させて頂けるのなら、退院後は自分で介護するつもりです。」
私はなんとしてでも、現在祖母がいる老人病院を退院させ、目の前の医師の首を縦に振らせて、この病院へ新たに入院させたかった。そのためには「在宅でみる」という言葉を切り札として使うしかないと思ったのだ。家族側に「在宅で介護する」という強い意思があれば、決して、お荷物のお年寄りを病院に押しつけるような半端な気持ちでお願いしにきたわけではないということがこの医師に伝わるはずだ。それに、祖母の治療はもちろん、在宅介護に向けた家族への看護指導という明確な目的があることで、病院側も好意的に受け入れてくれるのではないかと考えてのことだった。
祖母がクモ膜下出血で倒れてからこの一年、私と母は三途の川を行き来しているかのような祖母を見続けてきた。今、最も悔やんでいるのは、この間祖母の命を守りたいのに自ら動くことができず、病院に任せっぱなしにしていたことだった。もちろん、緊急を要する手術などはプロである医師に任せるほかはない。とはいえある程度状態が落ち着いたあと、思ってもみないような事態が祖母の身に次々と降りかかってくるなかで、私たち家族はなにもできずにいた。そして、本来ならば祖母自身の体のことをまず考えなければならないのに、その矛先が、病院の医師やスタッフに対しての不満や怒りに注がれてしまうことに苛立っていた。
在宅で介護するということは、祖母の命の全責任を背負うという重圧があるが、少なくとも、その責任の所在を第三者に求め、恨み辛みをぶつけることはなくなる。
私はこれまで祖母が入院していた老人病院で、信じられないような出来事を幾度となく目にした。その体験はトラウマのようなものとして、私の心に今も畏怖を残している。
この病院との関係にはほとほと疲れてしまった私たちには、結局、在宅介護という選択肢が必然のように待ち受けていたのだった。目の前に敷かれたレールのように。
版元から一言
(ここがポイント!)
・筆者の体験を通して「突然起きる高齢者の脳障害と、その後遺症に家族はどう対処すればよいのか」が分かります。
・現行医療制度の中で「患者とその家族に合った病院」と「そうでない病院」の見分け方や、家族に「尊厳ある老後」を送ってもらうために知っておくべきことを筆者の体験を通して伺い知ることができます。
(こんな人にお薦め)
・介護関係の仕事に関わっておられる方や、自宅介護をしておられる方。
・自分や親の老後や介護問題に関心を持つ一般の方々。
・今のところ自分の老後や親の介護などに、何の準備もしていないという方。
・「最近の若者は根性がない」といつも嘆ておられる方。
上記内容は本書刊行時のものです。