版元ドットコム

探せる、使える、本の情報

文芸 新書 社会一般 資格・試験 ビジネス スポーツ・健康 趣味・実用 ゲーム 芸能・タレント テレビ・映画化 芸術 哲学・宗教 歴史・地理 社会科学 教育 自然科学 医学 工業・工学 コンピュータ 語学・辞事典 学参 児童図書 ヤングアダルト 全集 文庫 コミック文庫 コミックス(欠番扱) コミックス(雑誌扱) コミックス(書籍) コミックス(廉価版) ムック 雑誌 増刊 別冊 ラノベ
人生相談を哲学する 森岡正博(著) - 生きのびるブックス
.

書店員向け情報 HELP

書店注文情報

注文電話番号:
注文FAX番号:
注文メール:
注文サイト:

在庫ステータス

在庫あり

取引情報

取引取次: 八木|トランスビュー
直接取引: なし

出版社への相談

店頭での販促・拡材・イベントのご相談がありましたらお気軽にご連絡ください。
9784910790008

人生相談を哲学する

哲学・宗教
このエントリーをはてなブックマークに追加
四六判
縦188mm 横128mm 厚さ16mm
重さ 255g
224ページ
並製
価格 1,800円+税
ISBN
978-4-910790-00-8   COPY
ISBN 13
9784910790008   COPY
ISBN 10h
4-910790-00-4   COPY
ISBN 10
4910790004   COPY
出版者記号
910790   COPY
Cコード
C0010  
0:一般 0:単行本 10:哲学
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2022年3月15日
書店発売日
登録日
2021年12月17日
最終更新日
2022年2月17日
このエントリーをはてなブックマークに追加

書評掲載情報

2022-05-21 信濃毎日新聞  
評者: 小佐野彈
2022-05-08 大分合同新聞
評者: 河野哲也
2022-05-08 神奈川新聞
評者: 河野哲也
2022-05-01 静岡新聞
評者: 河野哲也
2022-05-01 徳島新聞
評者: 河野哲也
2022-05-01 新潟日報
評者: 河野哲也
2022-05-01 上毛新聞
評者: 河野哲也
2022-05-01 熊本日日新聞
評者: 河野哲也
2022-05-01 愛媛新聞
評者: 河野哲也
2022-04-30 日本海新聞
評者: 河野哲也
2022-04-30 大阪日日新聞
評者: 河野哲也
2022-04-30 山梨日日新聞
評者: 河野哲也
2022-04-30 神戸新聞
評者: 河野哲也
2022-04-24 琉球新報
評者: 河野哲也
2022-04-23 高知新聞
評者: 河野哲也
2022-04-23 北日本新聞社「02magazine」
評者: 河野哲也
2022-04-23 福島民報
評者: 河野哲也
2022-04-23 沖縄タイムス  
評者: 河野哲也
2022-04-14 週刊文春  4月21日号
評者: 吉川浩満
MORE
LESS

紹介

哲学者が右往左往しながら思索する、前代未聞の人生相談。
人生相談は人間とは何か?という真理につながる扉。その場しのぎの〈処方箋〉から全力で遠ざかり、正解のない世界へ誘う哲学エッセイ。
哲学カフェ、学校授業でとりあげられた話題連載を書籍化!
悩んだとき、「哲学」したいときに出会いたい本&映画のガイドつき。

目次

まえがき


◆第1部
Q1:人を喜ばせる努力ばかりするのはもう嫌です。
Q2:友だちから「いい人であることをアピールしたいんだろ」と言われてボランティアをやめました。他人への優しさも利己的なものだと思うようになりました。
Q3:私は自分にコンプレックスを持っています。人と出会いたいのに人とかかわることが怖いです。「自分を愛さなければ、人から愛されない」という言葉に吐き気を感じます。どうすれば自分を好きになれるのでしょうか。
Q4:うまく話せた実感がなく、本音とのギャップがあり、表面的な話しかできません。沈黙が怖くてペラペラしゃべってしまいます。
Q5:自己成長のために、社会貢献などいろんな活動に参加してきましたが、身近な人間関係が疎遠になります。自己成長を軸に、人と上手に付き合っていくにはどうしたらいいでしょうか。
Q6:相手の意見を否定せずに受け入れることはできますが、自己主張が苦手です。他人からどう思われるか気にしすぎているのかもしれません。自信を持つにはどうすればよいでしょうか。

◆コラム①
誘惑に負けそうになったとき/自分を励まそう/自殺について/永遠はどこにあるのか?/愛する気持ちとは/孤独を楽しむには


◆第2部
Q7:私は哲学が好きですが、哲学者の肩書きに定義はあるのでしょうか。哲学者の苦悩や喜びはどんなものでしょう?   
Q8:小説家を目指して出版社の文学賞に応募するつもりですが、「書くことが苦しい」です。イメージする言葉にたどりつけません。でも書きたいのです。
Q9:たくさんのことに興味があり、将来の夢は広がるのですが、大学受験が近づいてきて具体的な進路が決まりません。このままでは無意味な人生を送りそうで怖いです。 
Q10:結婚したいのですが、その見通しが立ちません。「プロポーズされた」という話を聞くと、他人の幸せをねたんでしまいます。どうしたら醜い心を捨てて、他人の幸せを喜べる人間になれるでしょう。

◆コラム②
故郷を離れてみよう/ペットを飼う後ろめたさ/やさしくしたいのに、やさしくできない/正しい怒りとは?/武器を取って戦いますか?/贈る言葉


◆第3部
Q11:私は反抗期がありませんでした。両親とぶつかる経験がなかったので、いまでも自己主張ができません。ですが、飲み込んできた不満がだんだんと抑えられなくなりました。いまから成長過程をやり直すことはできるでしょうか?
Q12:サラリーマン生活になじめず、退職して警備員をしています。自己実現できる仕事をしたいのですが、現実はぜんぜん違います。生活のためだけに働くのは、努力が空回りして、本当につらいです。
Q13:大切な同性の友人と金銭感覚が合いません。私は裕福な家庭ではないのに、友人はまた新しいブランド品を持っているのかと思うと怒りに似た感情が湧いてきます。
Q14:楽してもうかる仕事がいちばんいいと本気で思います。仕事とは苦労を伴うものだというのはピンときません。どこか間違っていますか?
Q15:私は、自分にとって最高の出来事があると、自慢したくなるのですが、友だちは「自慢する人は最悪だよね」と言います。自慢は悪いことではないと思います。どうしたらいいですか?


◆「人生相談の哲学」をもういちど考えてみる

◆悩んだとき、「哲学」したいときに出会いたい本&映画

あとがき

前書きなど

まえがき



『人生相談を哲学する』とは不思議なタイトルですね。「人生」を哲学するというのは分かりやすいですが、なぜ「人生相談」を哲学するのでしょうか。
 実は、私は二〇〇八年から数年間、『朝日新聞』の文化面で「人生相談」の連載を担当していました。「悩みのレッスン」というタイトルで、私を含む三名の執筆者が、若い読者たちからの悩みに答えました。相談をしてくるのは一〇代から二〇代の若者たち。友だちづきあいの悩みや、生きていく自信がないなどの悩みまで、様々な相談が寄せられました。それらに対して、年長者の経験を生かした回答を書いていたのです。
 その後、「生きるレッスン」と名前を変えて長く掲載されたので、もし『朝日新聞』の読者がおられたら、「ああ、あれか」と思い出していただけるかもしれません。全国で幅広い年代に読まれており、私のところにも読者からの感想がたくさん寄せられました。
 新聞連載が終わったあと、本として出版するために自分の回答を見直していたのですが、すると、「そもそも人生相談とはいったい何なのか?」という根本問題にぶつかってしまいました。
 そもそも人生相談とは、人生の様々な出来事に悩んでいる人が、その解決を求めて相談しに来ることです。回答者は、みずからの体験に照らしながら、相談者に実践的な解決方法をアドバイスします。面白いことに、『朝日新聞』の「悩みのレッスン」は、一般的な人生相談とは異なって、相談者の質問に対して実践的な解決を与えることを大きな目的とはしていませんでした。若者たちからの相談は、日々の具体的な悩みであると同時に、人間が普遍的に抱いてしまう哲学的な問いでもあったからです。
 たとえば、「友だちづきあいの仕方が分からない」という相談は、「人間にとって友だちとは何か」という古代ギリシアから延々と続いてきた哲学の問いそのものです。その相談を受けた私は、「友だちとはそもそもどういう人のことを言うのだろう?」と、深く考え込んでしまいました。しかし新聞の回答欄では、その悩みを根本にまでさかのぼって考察することはできません。文字数の制約がありますし、なによりも回答者自身が思索の深みにはまって右往左往するのは、人生相談の正しいあり方とは思われなかったからです。
 しかし、よく考えてみれば、哲学者が行なうべきは、投げかけられた質問について相談者と一緒になって「ああでもない、こうでもない」と悩み、いろんな角度から考察を深め、新たな思索を発見していくことのはずです。相談者から投げられた質問のボールを、きれいにバットで打ち返す人生相談はどこにでもあります。しかしそれだけならば、別に哲学者が回答する必要はないでしょう。哲学者がするべきは、投げ込まれた質問のボールを手に取ってじっくりと眺め、他の選手たちを呼んできて意見を聞き、そして相談者にも輪に加わってもらってボールの性質を根本から解明していくことです。
 もちろん、「相談者にも輪に加わって」もらうことはもうできません。そこで本書では、彼らからの相談のエッセンスを私自身の言葉で新たに書き直し、それをめぐって思索を広げていくというスタイルを取ることにしました。そして相談者からの質問に含まれていた具体的な情報については、「質問の背景」で解説しました。
 たとえば、本書で最初に取り上げる相談は、一八歳の大学生から寄せられた、「人を喜ばせる努力ばかりするのはもう嫌です」という悩みです。本書ではまず、新聞に掲載された私の回答をそのまま紹介します。新聞で私は、「他人だけではなく自分を喜ばせることも大事だし、喜びは分かち合うことによって輝くのだ」という内容の回答をしています。しかし、いまから振り返って考えれば、悩みの核心部分にはまったく踏み込めていません。なぜなら、相談者が尋ねているのは、「他人からの承認と評価によって振り回される自分の人生とはいったい何なのか?」という問いだったからです。そのことを、私は恥ずかしながら、今回質問を読み直すまで気づきませんでした。私はなんてぼんやりしていたのでしょう。そこで本書では、その問いに焦点を絞って、「ふたたびあなたへ」と題する新しい回答をていねいに書くことにしました。各回の相談に付け加えられたこの長い書下ろしが、本書の核になる部分です。
 ところが、新しい回答を書いていくうちに、それは私自身の人生の深い記憶にまで食い込んでくるようになったのです。そして私は、自分自身の人生を抜きにして相談者の人生相談に答えることはできないのだと気づきました。すなわち、回答者の人生の奥底にまで入り込んでくるこの「侵入的な力」を正面から吟味していくことこそが、「人生相談の哲学」の本質だと気づいたのです。この「侵入的な力」は、各回の相談において様々な形をとるわけですが、私はあるときにはそれをスムーズに処理しながらも、別のときには正面から刺されてしまって死にそうになります。
 振り返ってみれば、これまでの哲学の古典の中には、確かに「人生相談」的な側面があったように思われます。たとえば古代ギリシアの哲学者プラトンは、自分の先生であったソクラテスがアテナイの市民に告発されて死刑宣告を受け、投獄されたときの出来事を『クリトン』で描写しています。死刑執行が迫ったある日、ソクラテスの旧友のクリトンがこっそりと牢屋に忍び込み、ソクラテスを説得して脱獄させようとします。しかしソクラテスは、自分が法を破って脱獄することがほんとうに正しいことなのかとクリトンに問い、二人は獄中で哲学対話を始めるのです。裁判が間違っていたのだと説得するクリトンに対してソクラテスは、自分はこの国を離れようと思えばいつでも離れるチャンスはあった、しかし自分はそれをせず、いままでこの国にとどまってきたのだと言います。そうすることによって自分はこの国の法を支持してきたのだから、いまさら法を破って脱獄するべきではないとソクラテスは答えるのです。それを聞いてクリトンは納得し、獄中で死にたいというソクラテスの意見を尊重しました。この箇所は法と正義の関係をめぐる哲学対話として有名ですが、それと同時に、クリトンからの人生相談をこの二人が共同して哲学している様子としてとらえることもできます。
 ソクラテスはクリトンの脱獄の勧めに答えて、次のように言っています。

 ソクラテス
一緒にそれを検討してみようじゃないか。そしてもし、きみが、ぼくの言うことに反論できれば、その反論を示してくれたまえ。そうすれば、ぼくはそれに従うことにする。しかしそうでなければ、どうか、もう、ぼくに同じことを何度も繰り返して、アテナイ人の同意なしにここを立ち去ることを勧めるのは、やめにしてほしいのだよ。
(プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳『ソクラテスの弁明・クリトン』講談社学術文庫、一三九頁、一九九八年)

 このあとに二人のあいだで繰り広げられる驚くべき対話は、「人生相談の哲学」そのものであると言ってもいいでしょう。このように考えてみると、古代ギリシアの時代から、哲学は「人生相談」とともにあったと言うことができそうです。そして、とくにソクラテスの哲学は「人生相談」として開始されたとすら言うことができるかもしれません。
 古代ギリシアの哲学は、世界や宇宙を成り立たせているものは何かと問う自然哲学として展開されますが、そこに楔を打ち込むようにしてソクラテスが現われ、哲学のテーマを外部の自然から内部の人間精神へと移行させました。そしてこれこそが、「人生を良く生きるとはどういうことか」をめぐる人生相談の哲学であったと見ることもできます。人生を良く生きるためには、一人で部屋に閉じこもって人生について思索しているだけではダメなのです。そのかわりに、自分の実人生について、それがどうあるべきかを友人たちと語り合い、正しい道を見つけていくことが必要だとソクラテスは考えました。そして彼は、実際にアテナイの街のあちこちで、友人や青年たちと「人生相談の哲学」をしていたのです。
 本書の悩み相談は多岐にわたりますが、それらはすべて「生きる意味とは何か?」という問いに絞り込まれていきます。相談を寄せてくださった若いみなさんだけではなく、人生を長く経験した熟練の読者の方々にも味読していただける内容になっていると確信します。

版元から一言

人間関係の悩み、将来の不安、コンプレックス…。一般からよせられた質問に、哲学的な分析をくわえ、自身の体験と知識を総動員しながら思索した哲学エッセイ。
哲学カフェ、学校授業でとりあげられ、話題になったウェブ連載を書籍化。人と人をつなげ、自分の知らない一面とも出会える一冊です。
学生、社会人になったばかりの方から中高年まで、生きる意味とは何か?を知りたいすべての人に贈ります。

著者プロフィール

森岡正博  (モリオカマサヒロ)  (

1958年高知県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得退学。大阪府立大学にて、博士(人間科学)。東京大学、国際日本文化研究センター、大阪府立大学現代システム科学域を経て、早稲田大学人間科学部教授。哲学、倫理学、生命学を中心に、学術書からエッセイまで幅広い執筆活動を行なう。著書に、『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』(勁草書房)、『増補決定版 脳死の人』『完全版 宗教なき時代を生きるために』(法藏館)、『無痛文明論』(トランスビュー)、『決定版 感じない男』『自分と向き合う「知」の方法』(ちくま文庫)、『生命観を問いなおす――エコロジーから脳死まで』(ちくま新書)、『草食系男子の恋愛学』(MF文庫ダ・ヴィンチ)、『33個めの石――傷ついた現代のための哲学』(角川文庫)、『生者と死者をつなぐ――鎮魂と再生のための哲学』(春秋社)、『まんが 哲学入門――生きるって何だろう?』(講談社現代新書)、『生まれてこないほうが良かったのか?』(筑摩選書)ほか多数。

上記内容は本書刊行時のものです。