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瀬戸焼磁祖 加藤民吉、天草を往く
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2015年5月
- 書店発売日
- 2015年5月15日
- 登録日
- 2015年4月20日
- 最終更新日
- 2015年4月24日
紹介
現在に繋がる瀬戸焼の礎を作った磁祖・加藤民吉(初代)の知られざる九州での修業時代を中心に、出会った人々、事跡を史実に基づき忠実に追った歴史小説。
文化元(1804)年、熱田奉行津金胤臣より命を受け、瀬戸の陶工民吉は、天草の東向寺・天中和尚を頼って一人九州へと渡る。日本での磁器生産は17世紀初頭、有田を中心に始まったが、瀬戸では200年立ち遅れていた。
下関から博多、久留米、熊本と旅し天草へ。そこから4年の間、高浜焼、三川内焼、佐々・市の瀬焼、有田焼と、肥前・肥後各地の皿山を遍歴する中で、様々な苦難を乗り越え、天草陶石と出会い、ついに色絵の秘伝に達する──。瀬戸に戻った民吉は磁器焼の振興に尽くし、瀬戸焼は飛躍的な発展を遂げる。現在、民吉は窯神神社に祀られている。
目次
瀬戸焼
天 草
三川内焼
佐々・市の瀬焼
猶 予
有田焼
錦 手
風火神童君
終 章
参考文献
前書きなど
(風火神童君」より抜粋)...明けて正月、民吉は体に変調が起るのを覚えた。思い残すことがあった。自分の手法を伝授することであった。幸い婿の千代松には陶工の経験があった。民吉は集中して、染付焼の素地と釉薬の調合の口授に励んだ。
「瀬戸の染付焼は、瀬戸の誇りである。末長く保持していくのが我家の努めである。研鑽これを尽くし、工夫怠りなく、他に伍していかねばならぬ。この時にあたり、肥前に錦手あり。瀬戸には未だなきものなるも、いずれ、瀬戸にも錦手を求める時勢到来は必至である。よって、この探究を疎かにすべきではない。
錦手に二種ある。一つは、白磁色絵である。これは、白磁と色絵が対比する余白の美ともいうべく、余白が色絵を引き立て、色絵が白磁の輝きをいや増していくものである。一方、あとの一つは、磁胎色絵である。これは、磁器の全表面を色絵によっていろどるものである。いずれも、基本は五彩焼付である。赤色、青色、黄色、黒色、黄金色である。しかも、この一色は一色にあらず。一色に濃淡、陰影がある。故に色に生色を生ずる。一名、ダミという。磁胎色絵は、かくて、数彩にして数層の豪華絢爛たる金襴手として成長していくだろう。この二種の色絵磁器製法に功拙ありといえども、その好悪は、人の好みによる。
焼付の要はつまるところ、その土なり、その石なり、その火なり。よき陶石こそ、妙なる炎こそ、焼物の成否を左右するものである。以上民吉が会得せし陶法を秘伝する。よろしく口伝し、いやしくも他言するなかれ」
上記内容は本書刊行時のものです。