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証言!日本のロック70's
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2009年4月
- 書店発売日
- 2009年4月10日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2024年6月28日
書評掲載情報
2009-05-24 | 日本経済新聞 |
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重版情報
2刷 | 出来予定日: 2009-08-01 |
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紹介
70年代日本のロック黎明期に最前線を駆け抜けた大物ミュージシャンたちが、「評論家には任せていられない!」とばかりに集まり、自らの体験をもとに日本におけるロックの意義や真価を語り合った、貴重なトークセッションの記録です。ほかでは聞くことのできないロック談議が満載!
登場ミュージシャン:PANTA(頭脳警察、exPANTA&HAL)、難波弘之(ex金子マリ&バックスバニー)、ダディ竹千代(東京おとぼけcats)、土屋昌巳(ex一風堂)、山本恭司(BOWWOW)、岡井大二(四人囃子)
目次
はじめに 井上貴子
パート1 体験的日本ロック論
日本ロック史の再構築へ
ロックをリードした50年代生まれ
憧れのエルヴィス
GSからサイケデリックへ
コカコーラ並みの衝撃
変質したエルヴィス
物真似を怖がるな
代表曲を聴く
ロックのプロテストと歌詞
フォークvsロック
許せるフォークと許せないフォーク
日本のミュージシャンはおぼっちゃん?
ロック地域格差論
ライヴハウスとインディーズ
オヤジを怒らせてみろ!
「ヤザワ」「サザン」というジャンル
ミュージシャンと音楽ビジネス
ロックは俺たちとともに滅びる……?
パート2 ニュー・ロックの夜明け
GSは作られたブームだったのか?
八方破れのカップス
ニュー・ロックへの架け橋
モップスとLSDパーティ!?
GSへのニュー・ロックの影響
ヴァニラ・ファッジの衝撃
「正座して聴いてください」
サイケデリックは文化である
音楽批評家よ、言葉に命をかけろ!
日本人としての音のアイデンティティ
宇宙的レベルのかっこよさ
責任のとれる歌詞
カルメン・マキも英語派だった?
日本のミュージシャンは海外で成功できるか?
美しい日本語、新しい日本語
テレビvsロック
ニュー・ロックとは何だったのか?
パート3 ハード・ロックは死なず!
バウワウ、デビューする
あなたはツェッペリン派? パープル派?
ハード・ロックの基本
三大ギタリスト比較
レスポールか? ストラトか?
ヤマハは偉大だった
グレコ、神田商会、星野楽器
周辺機器を追求する
ギター・テクニック講座
いきなりヴォーカル・デビュー
PANTA、ハード・ロックへの試行
ロックのリフに日本語は乗るのか?
リフ・ミュージックとしてのロック
サウンドとしての英語詞
バンドにキーボードがいない時代
沖縄とロック
ハード・ロックは死なず!
パート4 プログレの技術と精神
岡井大二の原点
PANTA推薦=ピンク・フロイドとカルメン
難波弘之推薦=PFM
ダディ竹千代推薦=キング・クリムゾン
キーボードの可能性
ドラム・サウンドの録り方
シンプルな素材を複雑に見せる
変拍子のグルーヴ感
すべては『サージェント・ペパーズ』から
四人囃子と成毛滋
プログレで売れたのは?
“お祈り系”の系譜
“音バカ”集団、四人囃子
「ここにこの音が欲しい」
ヨーロッパは基本プログレ
プログレはすでに滅びている?
テクノ、パンクとプログレ
プログレという用語の悲劇
あとがき 難波弘之
日本ロック史年表1952~1984[作成:井上貴子、編集部]
前書きなど
あとがき(難波弘之)
“70年代日本のロックを語ろう”というイベントと、その模様を収録した本書が上梓されるまでの経緯については、井上さんの前書きで触れられていると思うので、ここでは”ごく個人的な視点からのあとがき”を書かせていただくことを、どうかお許し願いたい。
ロックとは何か? については、敢えて触れまい。
人間というものはみな、自分だけの思い入れで出来上がっている動物だから、人それぞれに“自分だけのロック”があるだろう。
むしろ、このイベントで重要なのは、70年代にロックに夢中になって、挙句の果てにミュージシャンという、ヒトとしてあるまじき(笑)外道の道に迷い込む羽目になった愛すべき仲間たちを呼んでトークを繰り広げる、というところにある。
つまりこれは、恐るべき”現場からの報告書”なのだ。ロックという魔物に取り憑かれ、音楽を生業とするようになった哀れなる者たち(爆)の肉声。音楽雑誌では決して取り上げられることがなかった切り口だと思う。
振り返ると、じつに楽しいトークの連続だった。
まず、レギュラー・スピーカーからしてユニーク。
PANTAは、世間で思われているほど強面ではない。じつは、良い意味で古風で心優しい紳士なのだ。昔、本名で毛筆の年賀状を頂いたことがある。しばらくそれがPANTAからの年賀状だと気付かなかった。
加治木剛は、このトークショーの開催場所となったライヴハウス新橋ZZのオーナーで、伝説のバンド、カルメン&マキ&OZの作詞家にして、早すぎたバカテクのコミック・ロック・バンド(ただのコミック・バンドではないところが重要)、ダディ竹千代&東京おとぼけCatsのリーダー。
そして、井上貴子は、元東京おとぼけCatsのメンバーにして、現在は大東文化大学教授。ロックと出会ったからこそ知ってしまったインド音楽にハマり、ついには研究者となってしまったという変わった経歴の持ち主。
まあ、こういったメンバーがどういったゲストを呼ぶかと言えば、そりゃあディープな方々ばかりになるのは仕方ない。同世代から先輩まで、なにしろ気まぐれなミュージシャンをどうやって集めるか、なかなか苦労した。しかし、ふたを開けてみれば、声をかけた方々は、交通費程度の薄謝しかお出しできなかったにもかかわらず、じつに気持ち良く引き受けて下さり、誠に感謝に堪えない。
そして、なによりも驚いたのは、皆さん、よくお喋りになる(笑)。本当に楽しゅうございました。
中学から高校にかけての、“プレ70年代ロック”の頃のことを考えていたら、別の仕事で対談したローリーの言葉を思い出してしまった。近所のロック好きのお兄さんにピンク・フロイドを聴かされて、頭の中を“サイケデリックなものが駆け巡った”そうだ。
そのざわざわした感触は、僕にも覚えがある。土屋昌巳が語った「世の中が大きく変わるような予感」が、ロックという音楽と共に、ティ-ンエイジャーだった僕らを襲ったのだ。
そんなにまで魅せられたロックの本質は何なのか、なんていうことは考えたこともなかった。ただ、夢中で追いかけているうちに、はっと気が付いたらミュージシャンになっていた、というのが、正直なところだ。恐らく、参加してくれた方々はみなそうだと思う。
ゴールデン・カップスの歌ではないが、それで良いじゃないか。
ロックとは所詮、そんなもの。
これを読んで下さった方々が、ひとりひとりの“自分のロック”を発見するヒントになってくれれば、本書の目的は達せられたようなものだ。
そして、ロックといえば洋楽、というイメージは仕方ないとしても、日本のロック黎明期に、この“ロック”というあまりにも巨大な怪物と格闘していた諸先輩方の偉大な足跡を少しでもお伝えすることができたならば、この企画に加担した者として、何よりの喜びである。
そして、ここからが重要で、この本の売れ行きが良ければ、第5回以降のトークを収録した次の本も出せるようになる。ゲストの方々の貴重な証言を、今後もぜひ世に問うてみたいと考えている。ひとつ、読者諸兄の応援を切に乞うものであります!
版元から一言
登場していただいたミュージシャンに多数ご参加いただいて、4月2日(木)に刊行記念イヴェントを阿佐ヶ谷ロフトで行ないます。どうぞご来場ください。
上記内容は本書刊行時のものです。