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内村剛介著作集 第7巻 内村 剛介(著) - 恵雅堂出版
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内村剛介著作集(全7巻) 7

内村剛介著作集 第7巻 詩・ことば・翻訳 完結

発行:恵雅堂出版
A5判
縦195mm 横138mm 厚さ40mm
重さ 950g
648ページ
上製
定価 5,000円+税
ISBN
978-4-87430-047-3
Cコード
C0036
一般 単行本 社会
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2013年9月
書店発売日
登録日
2013年8月7日
最終更新日
2015年12月10日
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紹介

「代表」したとき詩は亡んだ。詩は言い切るためにある。「理解」とは「曲解」である……とする著者の、詩への愛着は断言的命題となって迸り、独特の外国文学翻訳論が展開される。
●詩と詩人に対する無限の渇仰と信頼
●「翻訳」とは何か――ワンの発見
●年譜、カラー写真16頁(内村剛介アルバム)、全表現リスト、

目次

 カラー写真(16頁)

 Ⅰ
石川啄木―熟成のパースペクチブ/啄木とペドクラシー―その生と詩と死とカミ
宮澤賢治―文語定型はありがたい/ホワイト・ホールのなかの時間/透明に
 閉じて在り、残る―賢治のオノマトペ/現代のこどもと賢治
高村光太郎―高村光太郎の「冬」
秋山 清―千万匹の中のおれひとり―『ある孤独』/書く醜態について/刺し
 て心を傷つけず―『文学の自己批判』/誤用を愉しむ/抵抗としての「恋愛」
 ―『恋愛詩集』/ビジネスライクなアナーキスト/むなしい善意、秋山清の
 こと
田木 繁―日本ヴ・ナロードの円環―『田木繁詩集』
山之口獏―詩人の俗臭
黒田喜夫―「飢え」に飢える/死生をえらぶということ―黒田喜夫追悼
谷川 雁―恫喝について―情意からの発想
鷲巣繁男―この奇跡を見よ―鷲巣繁男の死に/正邪と憐憫―鷲巣さんは何処
 へ/詩の堕つるもの―批評
石垣りん―石垣りん詩集『表札など』/厳粛な滑稽―『表札など』

 Ⅱ
失語と断念―石原吉郎論
 はしがき
 1 詩と死
 2 拠るべきものは何もない
 3 ロシアへのたくまざる傾斜
 4 ひとの向う側をも
 5 ハルビンで裏切りはすでに
 6 言葉、ひとの所有に非ず、ただし……
 7 ナーツィヤ(ネーション)がついに……
 8 ふりかえらぬ者たち……
 9 偶然こそ必然
 10 詩―それは死に向う準備
 11 詩人にとって自由とは……
 12 奴隷に自由存す

 Ⅲ
呪縛の構造
詩は言い切るためにある
若き詩人へのパステルナークの手紙
「代表」したとき詩は亡んだのだ
三上 章―異物にかかわるということ/ミカミ・ロンガ―『象は鼻が長い』
名、そして固有名詞とりわけ地名
「しがらみ」としての選択
「大波小波」抄
 ペンの同僚だって?/ジヴァゴの反独占/ロシアは西欧/ジィ
  ドと毛沢東

 Ⅳ
“ジーズニ”―この重い言葉
文学における「連想」―外国文学の理解とは何か
二葉亭四迷・その短命な訳業
ミニマム・ビリーフのゆらぎ―露語訳の啄木
ペーソスはトスカーか
存在の目的は非在―詩を訳すということ
ワンの発見
芭 蕉―和文和訳の実験
辞書のはなし
 ロシアの柳田國男・ダーリの辞書/ノルマのしつけ、おしつけ/「ス
  ロヴァーリ」は「自由」、そして「辞書」/辞書はボロに限る/文学
  と言語学が互いに磨き合っていたころ
はみ出し横丁(抄)
 レアリティとレアリア/アサヒジャーナルのブッタルンだ論争演出/
 翔んでるコトバ/中国翻訳もの=オリジナル、ああ!/乱用、その極
 みは大乱?/ヒゲ革命を卑下しない/漢字にとびのって翔べ/
 ホメイニだけがイランじゃない/音頭とりは検閲だ/辞書も末世、よ
 ろしいんじゃないですか/「ワン・ネン・ジャオ」または「二十一世紀言語
 の学事始」

 Ⅴ
ソ連展望―フルシチョフ路線背後の力
(創作)石の家にて

 解説=内村剛介を読む    佐藤 優
  わが独房の日々を支え、鼓舞した内村語録
 解題―陶山幾朗
 年 譜(71頁)
 補 註(3頁)
 内村剛介・全表現リスト(巻末横組 1~98 )
  表紙題字 麻田平蔵(哈爾濱学院24期)
  カバーデザイン 飯島忠義

前書きなど

佐藤優氏(作家・元外務省主任分析官)
 内村氏は『科学の果ての宗教』で「二本足の小動物・人間が放射能の中をのたうちまわるとき」と述べるが、これはチェルノブィリ原発事故の十年前に書かれた文書だ。誰もが原子力の平和利用に疑いを持っていなかった時代に、内村氏は時代の行く末を洞察していたのである。二〇一一年三月十一日の東日本大震災によって発生した福島第一原発事故後の日本で、もう一度、同書を読み直すと、そこからわれわれは生き残るための新しい着想を得ることができる。
私が内村氏のテキストと二回目に出会ったのは、二〇〇二年のことだ。私は内村氏を恩人の一人と思っている。それは鈴木宗男事件に連座して、この年の五月十四日に私が「鬼の特捜」に逮捕され、東京拘置所で五一二日間の独房生活を過ごしたときに、学生時代に読んだ内村氏の著作がほんとうに役に立ったからだ。内村氏の著作は修羅場における実用書なのである。独房でもっとも辛いのは、起訴後に検察官面前調書が差し入れられ、かつて信頼して一緒に仕事をしていた外務省の上司、同僚、部下が、私や鈴木宗男氏を陥れるために供述した事実を歪曲した内容、ときには完全に捏造された物語を読まされたときの衝撃だ。このときも自己崩壊を防ぐ上で内村氏の人間観が役に立った。(解説より)

版元から一言

――今なぜ「内村剛介」なのか――
●二十世紀末の崩壊劇――「ユートピア」の終焉
・ 21世紀も、はや7年を経過した。前世紀の末、東西ベルリンを隔てていた「壁」が落ち、続いて東西冷戦の雄・ソ連邦が崩壊するのを目の当たりにした私たちだったが、しかし、何事によらず物事を忘却しやすい現代人にとって、こんにちこの記憶もすでに遠のき始め、世界も時々刻々とその様相を変容しつつある――まるでつい最近まで「ソ連」という国家が地球上に存在してことなど無かったかのように。
・ 二十世紀の終わりに生起したこの崩壊劇の象徴する意味を、私たちは何故忘れてはならないか。それは、そこにこそ私たちが等しく生き、また拠らねばならぬ地球の運命が懸かっているからである、と内村剛介は主張する。そして、世紀の変わり目において、今、あらためてわれわれはあの出来事に集約される歴史的意味を反芻し、これを継承していかなければならない、と。
・ あのとき、果たして最終的に何が「崩壊」し、何が「終焉」したのか。かつては「希望の星」として謳われ、未来への進路を領導すると世界に喧伝された「ソ連という夢」の、その無惨な瓦解劇が意味したもの。その結末がわれわれに指し示していたものとは――二十世紀を言わば「マルクス主義の時代」と仮に呼ぶなら、それは、或る眩しさとともに世界を覆った変革の教義としてコミュニズムの退場であり、それによって夢見られていた「ユートピア神話」の最終的な終焉であった。
●デモスと権力を見据えた内村「ロシア-ソ連論」
・ 内村剛介は、かつてスターリンの獄にあり、その獄の底からソ連国家の仕組み、その社会の実態をつぶさに目撃した。以後、抑圧的国家支配とそれに抗する人間(デモス)たちの生とが醸す軋みという問題は、彼の終生の課題となるが、この短かからぬ幽閉の歳月は、同時に、内村剛介にとって「母なるロシア」の本質、その大地に満ちる豊饒さの秘密を垣間見るという稀有な体験でもあった。
・ この体験を基底に据えながら、ロシアの民俗と文化への接近と、ロシア文学への深い理解に裏打ちされた内村剛介のロシア論が生み出されていった。それは、言わば聖から俗の極みまでを包含した「逆説のロシア」像であり、いわゆる「スターリニズム」と呼ばれた政治支配の構造からは決して被い尽くせない、ロシア・ナロードたちの不逞な生きる意志を見据えた、独特の「ロシア-ソ連」原論であった。
●冷徹な認識から繰り出される〈ジャパン〉批判
・ しかしながら、内村剛介が最も執着したテーマとは、ほかならぬ日本であり、「日本とは何か」という課題であった。この、おのが日本という問題を解き、真に愛しうべき日本を奪還する方途において、内村剛介はやはりロシアに拘わらざるをえない。自身の苛酷なロシア体験こそ、「日本」に到達する方法であったからである。
・ すなわち、眼前の日本を〈ジャパン〉と呼び、あえてこれをいったん遠ざけながら、ロシアに拘り、そのロシア経由して日本に至らんとする。この至難な道を行く彼にとって、「ロシア-日本」という往還運動は必須の作業となったのである。「わたしが内村剛介の仕事に関心をもつのは、かれが穿ちつづけているロシヤ語の世界と民俗とが、結局、〈妣〉なる日本と、西欧なる日本との空隙を埋めるための模索にほかならないとおもえるからである。」(吉本隆明)

著者プロフィール

内村 剛介  (ウチムラ ゴウスケ)  (

評論家、ロシア文学者。一九二〇年、栃木県生まれ(本名、内藤操)。一九三四年、渡満。一九四三年、満洲国立大学哈爾濱学院を卒業。同年、関東軍に徴用され、敗戦とともにソ連に抑留される。以後、十一年間をソ連内の監獄・ラーゲリで過ごし、一九五六年末、最後の帰還船で帰国する。帰国後、商社に勤務する傍ら文筆活動を精力的に展開し、わが国の論壇、ロシア文学界に大きな影響を与える。著書に『生き急ぐ―スターリン獄の日本人』、『呪縛の構造』、『わが思念を去らぬもの』、『ソルジェニツィン・ノート』、『流亡と自存』、『信の飢餓』、『失語と断念』、『ロシア無頼』、『わが身を吹き抜けたロシア革命』など多数。また訳書にトロツキー『文学と革命』、『エセーニン詩集』などがある。一九七三年から七八年まで北海道大学教授、一九七八年から九〇年まで上智大学教授などを勤める。
二〇〇九年一月死去(享年八十八)。

陶山 幾朗  (スヤマ イクロウ)  (

一九四〇年、愛知県生まれ。一九六五年、早稲田大学第一文学部を卒業。著書に『シベリアの思想家――内村剛介とソルジェニーツィン』、共著に『越境する視線―とらえ直すアジア・太平洋』、『内村剛介ロングインタビュー 生き急ぎ、感じせく―私の二十世紀』、『内村剛介著作集』(全7巻)編集。現在、雑誌『VAV(ばぶ)』主宰。

追記

関連項目 石川啄木 宮澤賢治 高村光太郎 秋山清 田木繁 山之口獏 黒田喜夫 谷川雁 鷲巣繁男 石垣りん 石原吉郎 呪縛の構造 パステルナーク 詩 三上章 ロシア ジーズニ 文学 外国文学 二葉亭四迷 ミニマム・ビリーフ 露語訳 ペーソス トスカー ワン 芭蕉 和文和訳 辞書 柳田國男 ダーリ スロヴァーリ 自由 言語学 はみ出し横丁 レアリティ レアリア アサヒジャーナル コトバ ホメイニ イラン ワン・ネン・ジャオ ソ連 フルシチョフ 石の家にて 内村剛介 佐藤優 内村語録 陶山幾朗 全表現リスト 麻田平蔵 哈爾濱学院 飯島忠義

上記内容は本書刊行時のものです。