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継体天皇=男弟王の正体 林 順治(著) - えにし書房
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継体天皇=男弟王の正体 (ケイタイテンノウ ヲホドノオオキミノショウタイ) 巨大古墳仁徳陵の被葬者はだれか (キョダイコフン ニントクリョウノヒソウシャハ ダレカ)

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発行:えにし書房
四六判
並製
価格 2,000円+税
ISBN
978-4-86722-133-4   COPY
ISBN 13
9784867221334   COPY
ISBN 10h
4-86722-133-3   COPY
ISBN 10
4867221333   COPY
出版者記号
86722   COPY
Cコード
C0021  
0:一般 0:単行本 21:日本歴史
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2024年9月25日
書店発売日
登録日
2024年8月23日
最終更新日
2024年9月27日
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紹介

仁徳陵の被葬者は渡来した百済王応神の弟継体=男弟王だった!
一連の著作で「朝鮮半島からの新旧2つの渡来集団による古代日本国家の成立」過程を証明してきた「石渡・林古代史論」が、古代史の大きな謎、隅田八幡鏡銘文の「日十大王」を解読し、継体天皇の正体を明らかにする。

目次

第1章 隅田八幡鏡銘文の「日十大王」と「男弟王」
 1 考古学者高橋健自と隅田八幡鏡
 2 神人歌舞画像鏡
 3 「癸未年」論争

第2章 継体天皇はどこから来たのか
 1 『日本書紀』「継体紀」
 2 任那分割と百済
 3 磐井の反乱
 4 百済右賢王余紀=継体天皇の出自

第3章 加羅系崇神王朝と倭の五王
 1 高句麗・新羅・百済と倭国
 2 『宋書』「倭国伝」
 3 新旧二つの朝鮮人渡来集団
 4 百済昆支王渡来の記事
 5 『三国史記』の虚構

第4章 応神陵の被葬者百済の王子昆支
 1 応神陵の実年代
 2 アスカの語源
 3 「日十」=「日下」=「日本」

第5章 日本古代史を真に理解する原点
 1 日本最大の古墳仁徳陵の謎
 2 仁徳陵前方部の異変
 3 仁徳陵後円部の被葬者はだれか
 4 崇神・垂仁と倭の五王

第6章 欽明=「獲加多支鹵大王」
 1 欽明天皇即位の年
 2 稲荷山鉄剣銘文
 3 応神=ヤマトタケルの晩年の子欽明
 4 大臣蘇我稲目=欽明天皇
 5 ワカタケル大王の「シキの宮」

終章 日十大王ふたたび
 1 『古事記』序文
 2 『山海経』を読む
 3 天皇家の母国百済

前書きなど

はじめに

 私が古代史研究家石渡信一郎氏(以下敬称は略させていただきます)に会ったのは、ソウルでオリンピックが開催された年の一九八八年三月の終わり頃でした。当時、私は聖書を読むことに熱中していました。私は単行本を企画する編集者だったので、勤務時間はかなり自由でした。
 私は午前中に電話での著者との連絡や原稿の割りつけ作業を済ませた後、午後四時頃帰宅すると、真新しい聖書をもって夕日がさすヴェランダの窓際で枕を背に横になるのが常でした。「創世記」から始まる「モーセ五書」は、モーセが神と契約した「十戒」とその違約によって民が罰せられる国家形成の物語です。
 当時、私の関心事は神の概念でした。偶像を崇拝するユダヤの神は山川草木を拝む日本古来の神仏混交とは対照的です。いったい日本の神とは何か。何が私をして山や川や草や木々を懐かしくさせるのか。私は聖書を読みながら日本の神のことを考えていました。
 石渡と会って五ヵ月ほど経った八月の終わり頃です。私はふと、机の横の本棚に差し込んであるA五判の白い束になった感熱紙に気がつきました。石渡から預かった原稿です。私はその時、八幡神社とその神について何か書いているような気がして、はやる気持ちで原稿用紙をめくっていきました。
 すると原稿用紙の終わり頃で、「昆支の神格化・八幡神」という見出しが私の目に飛び込んできました。私の心臓はある強い予感で高鳴りました。いったい「昆支」とは誰のことなのか。昆支とは応神天皇だという。応神は初代神武から一五代目の在位二七〇年から三一〇年の天皇です。全国約四万の八幡神社の大半は応神天皇を祭神としています。私の郷里の横手盆地の出羽山地側を北流する雄物川のほとりの村々にも大小の八幡神社が必ず一つか二つありました。
 事の重大性に気がついた日の三日後、石渡から私のもとに書籍小包が送られてきました。A五判並製の白いカバー表には藤の木古墳から出土した鞍金具、裏には隅田八幡鏡が印刷されています。本の中身は私の預かっている原稿とほぼ同じ内容のもので、横組みのタイプ印刷でした。石渡と初めて山の上ホテルのロビーで会った時、私は「この内容では一般の読者には難解なので、もっとわかりやすいものにして欲しい」と言って原稿は預かり、後日新たなレジュメを送ってもらうことにして別れました。
 数日後、私は『蘇我王朝の興亡』と題するレジュメをもとに企画書を作り、社の編集会議で出版の了解をとりました。「蘇我王朝の興亡」は『応神陵の被葬者はだれか』というタイトルで二年後の一九九〇年二月、三一書房から出版されました。「一九八八年八月一五日」の日付のあるA五判並製の私家版は『日本古代王朝の成立と百済』という書名です。本と一緒に日本古代史解明の要旨が書かれた「挨拶状」が添付されていました。次にその全文を紹介します。

 私はこのたび『日本古代王朝の成立と百済』を私家版で出すことになりました。本書の特徴は、①古墳時代の朝鮮半島から多数の渡来者があったとする人類学者の新しい学説と、②応神陵の年代を五世紀末から六世紀初めとする地理学者日下雅義の学説に基づいて日本古代史の謎の解明を試みたことです。
 こうした試みはいまだになされたことはありません。人類学の研究成果によれば、日本古代国家を建設したのは、概念不明な騎馬民族でなく、朝鮮から渡来した古墳人だと考えるのが自然です。また、応神陵は五世紀~六世系初めの倭国王の墓とみることができます。また継体天皇は応神天皇の弟で、八幡鏡銘文の「男弟王」であり、この王が仁徳陵の被葬者であることを突きとめることができました。つまり「記紀」にみえる応神と継体の間の一〇人の天皇、すなわち仁徳から武烈までの一〇人の天皇はみな架空の天皇であることがわかりました。本書は「記紀」が隠した、このような古代大王家の秘密を明らかにしたものです。

 『日本古代王朝の成立と百済』をもって、急遽、私は札幌在住の石渡信一郎を訪れました。飛行機は嫌だったので、上野発朝七時の新幹線で盛岡まで行き、盛岡で函館行きの特急に乗り換えて、函館でもう一度乗り換えて夕方六時半に札幌駅に到着しました。
 翌日早朝、石渡は私が泊まったホテルの部屋までやって来ました。札幌には二日滞在しましたが、私が東京に戻る時に札幌駅まで見送りにきた彼は「今度の本はきっと驚天動地の波紋を起こしますよ」とあたかも私をはげますかのように微笑みながら言ったことを忘れることができません。
 遠くゆったりと流れ行く札幌郊外の風景とリズミカルな列車の振動が私の興奮を鎮めてくれました。「あの巨大な古墳に百済の王子が埋葬されていることなどありうることだろうか」「いったい何が起きるだろうか」と何度もつぶやきながら、活火山の有珠山を通過する頃私はようやく眠りにつきました。
古代史一般の説ならばいざ知らず、一〇〇年近い論争を経て、いまだに解読にいたっていない、しかも早くから国宝に指定され、今現在、上野の国立博物館の考古館に展示されている隅田八幡鏡の銘文解読に成功した可能性のある石渡説に、新聞、雑誌、テレビなど日本のマスコミがいかなる反応も示さなかったのは不思議でなりません。
 以来、私は石渡の本を二〇〇二年まで一二冊刊行しました。その間、畿内・関東の古墳や群集墳はもとより、南は菊池川中流左岸の熊本県の江田船山古墳から北九州沿岸の古墳を一周して国東半島の赤塚古墳や出雲・岡山・瀬戸内海沿岸の古墳、北は岩手県胆沢町(現奥州市)の角塚古墳や和賀川流域の釣子古墳群を見て回りました。そして名のある八幡神社にも立ち寄りました。
 宇佐八幡、石清水八幡や河内三代頼信・頼義・義家の墓がある羽曳野の通法寺境内の壷井八幡宮にも行きました。河内源氏三代は応神・継体が引き連れてきた百済住民の末裔であり、彼らこそ河内湖を埋め立て大阪平野にした開拓民の子孫だったのです。
 石渡信一郎に初めて会って以来すでに二三年になります。本書は石渡の驚くべき数々の発見と業績に私のささやかな発見を加えたものにすぎませんが、『応神陵の被葬者はだれか』の姉妹編と思っていただければ幸いです。きっと日本古代解明のマスター・キーを手にすることができるものと私は信じています。扉の向こうには東アジアの中のダイナミックな日本の古代史が展開することを!


新訂版について

 本書は今から一三年前の東日本大震災が起きた八ヵ月後に出版した『仁徳陵の被葬者はだれか』(河出書房新社、二〇一一年一二月刊)の新訂版です。であれば版元の河出書房に再版の意図を伝えなければなりません。伝えるとすれば『応神=ヤマトタケルは朝鮮人だった』(二○○九年四月)の編集担当者西口徹さんです。西口さんは速やかに承諾してくれました。感謝の意を表します。 
 『応神=ヤマトタケルは朝鮮人だった』はネット上で大炎上して対応に苦労しましたが、本はよく売れました。タイトルが奇抜だったのか、それとも南北朝鮮統一や在日韓国・朝鮮人問題など深くて長い矛盾・対立・葛藤が根底にあったのでしょう。
 しかしながら『応神=ヤマトタケルは朝鮮人だった』は出すべくして出した本だと思っています。『応神陵の被葬者はだれか―消えた初代大王を追う』(一九九〇)を出版してから私は日本古代史の真の理解の原点を隅田八幡鏡銘文の癸未年は「五〇三年」とし、稲荷山鉄剣銘文の辛亥年を「五三一」としてきました。
 そこで思いついたことは、最近の文科省検定日本史教科書は、私の日本古代史理解の原点としている「癸未年=五〇三年」と「辛亥年=五三一」をどのようにあつかい、どう説明しているかということです。
 そこでつい最近、池袋の三省堂書店の検定日本史教科書のコーナーで中・高生向けの本を四冊、
(A)『ともに学ぶ人間の歴史―中学社会』(学び舎)
(B)『新しい日本の歴史―中学校社会科用』(育鵬社)
(C)『日本史探求―高等学校』(第一学習社)
(D)『高校日本史―日本史探究』(山川出版)
購入しました。日本古代史の真の理解の原点となる隅田八幡鏡銘文の「癸未年=五〇三年」と稲荷山鉄剣銘文の「辛亥年=五三一」はどのように教えられ、理解され、受け入れられているのか興味津々だったからです。
 ここでは高等学校の検定済日本史用教科書の(C)と(D)の二冊にしぼり、見てみましょう。(C)は、「巨大古墳つくられる」を大見出しとし、「ヤマト政権の出現」「新しい文化の流入」「倭の五王」「古墳時代」の小見出しを立て、大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)や高句麗と百済の関係、倭の五王、稲荷山鉄剣銘文のワカタケル大王を雄略天皇とします。
 また(D)は、「第二章 古墳と大和政権」のタイトルを立て、「古墳文化と大和政権」「古墳文化」「大和政権と東アジア」「大陸文化の伝来」「古墳時代の人々」「ヤマト政権の政治組織と古墳の終末」の小見出しで、箸墓古墳を前方後円墳の初めとし、大阪府の大仙古墳を前方後円墳の最盛期とし、「百舌鳥古墳群」の航空写真を掲載し、囲み記事では稲荷山鉄剣と江田船山古墳鉄刀の写真をならべ、左は埼玉県立さきたま史跡の博物館、右は東京国立博物館蔵としています。
 その鉄検と鉄刀の写真の左に「倭の五王と天皇」の系図を挿入し、その系図の説明として「讃は仁徳か履中、済は允恭、興は安康、武は雄略天皇に当たると考えられる」としています。さらにその系図の左となりに「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を復すること六十六国……」という倭王武の上表文を囲み記事にしています。
 この二冊の高校生用の(C)も(D)もワカタケル大王を『日本書紀』記載の雄略天皇(在位四五七~四七九)としています。そうすると雄略の在位年中の辛亥は四七一年ということになります。しかし干支六〇年で一巡しますから、六〇年プラスすると継体天皇二年(五三一)の辛亥年に当たります。
 「ワカタケル大王は雄略天皇である」という説はまだ有力ですが、「欽明天皇」というかなり有力な説もあります。生徒に対して教師は司会者であり、先生でもあります。百年たった現在でも未解決の状態であるにもかかわらず、文科省の検定日本史教科書はワカタケル大王を雄略としています。この問題の解答はかなり難題ですが、教師・生徒・在野の研究者などが集まって討論をしたらある程度の解答がでると思います。
 稲荷山鉄剣銘文の辛亥年は四七一年か五三一年かの問題はひとまずおいて、問題は隅田八幡鏡銘文の「癸未年=五〇三年」です。しかし「癸未年=五〇三年」どころではありません。CとDの高校生用の日本史検定教科書には「隅田八幡鏡銘文」の「隅」の字もありません。「問題以前の問題ですから問題になりません」すなわち「無」です。市販の本の著者・研究者も隅田八幡鏡銘文の解読は避けて通ります。
 全国の高等学校の総数は約五○〇校、生徒数三百万人です。文部科学省検定教科書の影響力は絶大であり、その責任は重大です。八幡鏡に刻まれた「日十大王」「男弟王」「斯麻=武寧王」は大王の名が刻まれ、しかも五W一Hのそろった第一級の金石文です。隅田八幡鏡は単なる三角縁神獣鏡ではありません。東アジアの宝物です。東アジアと日本のアイデンティティを確立するシンボリックにして希望をもたらす鏡です。
 本書「第二章 継体天皇はどこから来たか」と「第六章 欽明=「獲加多支鹵大王」」を開いていただければ、きっと「日本古代史の真の理解の原点」に到達できるものと確信しています。



おわりに

 昨年(二〇二三)一月二六日、新聞・テレビは「橿原考古学研究所によれば、日本最大の直径一〇九メートルの円墳富雄丸の造出しから二メートル三七㎝の蛇行剣と過去に類例のない鼉龍文盾形銅鏡が見つかった」と大々的に報道しました。
 当時、私は富雄丸古墳(奈良県丸山町一〇七九―二三九)に行ったことも見たこともなく、何の知識もありませんでしたが、初代天皇神武のことを調べようと思い、手許にあった石渡信一郎の著作『蘇我氏の実像』(二〇一一年)を何気なしに開いたところ、次のような記述が目にとまりした。
  
 日本書紀神武即位前紀によると、紀元前六六七年に日向国を出発した神武は浪速国を経て河内国から大和国に入ろうとしたが、長髄彦の激しい反撃を受け、紀伊半島を迂回して大和国に入り、長髄彦を撃破した。
 神武と戦ったナガスネヒコは『古事記』にはトミノナガスネヒコ(登美能那賀須泥古)・トミビコ(登美毘古)と書かれている。鳥見(登美)は、奈良県生駒町の北部から奈良市の西端部にわたる地域。神武は基本的には百済系倭国の初代天皇応神(昆支・武)の分身であるから、神武と戦ったナガスネヒコは、応神(昆支・武)の即位に反対して反乱を起こした崇神(旨・首露)系の王子の架空の分身ということになる。

 この記述から私は「日本古代国家は加羅系と百済系の二つの渡来集団によって成立した」と提唱する石渡信一郎が指摘する地名の「鳥見(登美)」が、現在の近鉄奈良線(始発大阪難波→終点奈良終点)の石切・生駒・東生駒・富雄・学園前・菖蒲池・西大寺一帯と一致していることを理解しました。
 というのも私の尊敬すべき友人であり、石渡説の支持者である小倉正宏さんが大和盆地にシンボリックに屹立する法隆寺を眼下に眺めることのできる生駒山の中腹に住まいを持っていたので、私は二度ほどご自宅を訪れたことがあるからです。

 ところで、朝日新聞社会面(二〇二三年一月二六日)は「巨大古墳と鏡 飛び交う仮説」「被葬者守る」「農耕儀礼」の見出しで、橿原考古研の北山峰生の意見として次のような記事を載せています。「蛇行剣は朝鮮半島の百済で四世紀後半に作られ、石上神宮(奈良県天理市)に伝わる七支刀と共通の思想があると推測する。七支刀の銘文からは辟邪の思想が読み取れる。剣は普通とは異なる辟邪の願いを込めた副葬品と推定される」

 実際、私は昨年暮れ大阪を訪れた際、現場に行って見ようと思い、大阪環状線の鶴橋駅で乗り換え、近鉄奈良線の富雄駅で下車して富雄丸古墳を見て回りましたが、想像以上に広く、起伏のある丘陵地帯でどこが肝心の円墳富雄丸なのか判断がつきかねるほどで、この一帯は方向といい、地形といい天理市布留町の七支刀を所蔵する石上神宮とは無縁でないことを実感しました。
      
 私は石渡信一郎の『応神陵の被葬者はだれか』(一九九〇年)から『古代蝦夷と天皇家』(一九九四年)、『日本地名の語源』(一九九九年)を経て『百済から渡来した応神天皇』(二〇〇一年)、『蘇我大王家と飛鳥』(二〇〇一年)など、一一冊の編集担当者として過ごし、かつ学びました。
 私は『応神陵の被葬者はだれか』の出版以来、「日本古代史の真の理解の原点」として「隅田八幡人物画像鏡」の「癸未年」は「五〇三年」、埼玉古墳出土の「稲荷山鉄剣」の辛亥年は「五三一年」、ワカタケル大王=欽明天皇であることを本書でも縷々述べてきた通りです。
 しかし中・高の文科省検定日本史教科書、市販の書籍の大半は隅田八幡鏡の「日十大王」の歴史的意味と価値を問わず放置し、稲荷山鉄剣のワカタケル大王=雄略天皇としている文科省検定日本史の責任は重大です。日本古代史の真の理解の原点となる意味と価値のある類まれなる宝、隅田八幡人物画像鏡を見よ! と大きな声で私は叫びたい。全国の高校生が約三百万人を数える昨今です。今こそ歴史教育と文化の再生を考慮し、日本の未来を考える自律した若者の「問い」と「発見」を育成すべきです。
 ここで私は前著『日本古代史講座』「序言」の言葉「意味と価値の哲学はハンマーをもって真の全体的な批判を実現する(『ニーチェと哲学』ジル・ドウルーズ 足立和浩訳)を繰り返し、本書の「おわりに」にさせていただきます。

二〇二四年七月二五日
                                  林 順治

著者プロフィール

林 順治  (ハヤシ ジュンジ)  (

旧姓福岡。1940年東京生れ。東京空襲の1年前の1944年、父母の郷里秋田県横手市雄物川町深井(旧平鹿郡福地村深井)に移住。県立横手高校から早稲田大学露文科に進学するも中退。1972年三一書房に入社。取締役編集部長を経て2006年3月退社。
著書に『馬子の墓』『義経紀行』『漱石の時代』『ヒロシマ』『アマテラス誕生』『武蔵坊弁慶』『隅田八幡鏡』「アマテラスの正体」『天皇象徴の日本と〈私〉1940-2009』『八幡神の正体』『古代七つの金石文』『法隆寺の正体』『日本古代国家の秘密』『ヒトラーはなぜユダヤ人を憎悪したか』『「猫」と「坊っちゃん」と漱石の言葉』『日本古代史問答法』『エミシはなぜ天皇に差別されたか』『沖縄!』『蘇我王朝の正体』『日本古代国家と天皇の起源』『隠された日本古代史 Ⅰ~Ⅲ』(いずれも彩流社)、『応神=ヤマトタケルは朝鮮人だった』『仁徳陵の被葬者は継体天皇だ』(河出書房新社)、『日本人の正体』(三五館)、『漱石の秘密』『あっぱれ啄木』(論創社)、『日本古代史集中講義』『「日本書紀」集中講義』『干支一運60年の天皇紀』『天皇象徴の起源と〈私〉の哲学』『改訂版・八幡神の正体』『日本古代史の正体』『天武天皇の正体』『日本書紀と古事記』『天皇の系譜と三種の神器』『蝦夷と東北の日本古代史』『日本古代史講座』(えにし書房)。

上記内容は本書刊行時のものです。