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もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート
古代~近世篇
- 初版年月日
- 2020年2月
- 書店発売日
- 2020年2月25日
- 登録日
- 2020年1月17日
- 最終更新日
- 2020年2月10日
書評掲載情報
2020-08-01 |
毎日新聞
朝刊 評者: 池澤夏樹(作家) |
2020-06-06 |
朝日新聞
朝刊 評者: 呉座勇一(国際日本文化研究センター助教授・日本中世史) |
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紹介
日々、進化する日本の歴史教科書。その一方で、「物語のない教科書はつまらない」「戦後史観は信用できない」という「普通の日本人」も増えつつある。そこへ「あのベストセラー」が登場した――現在の書籍やウェブ上に蔓延する日本史俗説を、人気教師が豊富な資料で易しく徹底解説。「社会科学としての歴史学」とはなにか。教科書の記述はなぜ変わるのか。もう騙されないために知っておきたい、歴史リテラシー入門102講。2019年、ウェブ上で大反響を呼んだ「こはにわ歴史堂のブログ」連載(80万字)を、大幅加筆改稿のうえ書籍化(全二冊)の古代~近世篇。
*続刊:『近代~現代篇』2020年3月予定
目次
序章
通史にとって大切な五つのポイント
社会科学としての「歴史学」
「古代~大和政権誕生」の章
[1]縄文時代にも農耕の萌芽はあった。
[2]新嘗祭は、建国から現在まで連綿と宮中で行なわれている祭祀ではない。
[3]『魏志』「倭人伝」の記述は「些細なこと」として見過ごされていない。
[4]天皇の「諡号」から神話時代の天皇を考えすぎないほうがよい。
[5]一般的に思われている以上に、陵墓の研究は進んでおり、調査も認められている。
[6]八人十代の女性天皇は、「父親が全員、天皇」というわけではない。
「飛鳥時代~平城京」の章
[7]十七条憲法は現在のような「憲法」ではない。
[8]飛鳥文化・白鳳文化は、日本人らしく中国・朝鮮の文化を受け容れている。
[9]蘇我氏は滅亡していない。
[10]任那は日本の支配下にあったかもしれないが、百済はそうとは言えない。
[11]遣唐使以降の文化や技術の輸入に、朝鮮は深く関与していた。
[12]稗田阿礼は『旧辞』『帝紀』を暗記していたわけではない。
[13]千三百年前、世界に豊かな文化は他になかったのか?
[14]仁徳天皇の「民のかまど」の話を「創作する必要がない」とは言えない。
[15]長岡京遷都をめぐる権力争いは明らかにされている。
[16]「城壁がない」のは、島国や単一言語を持つ民族であることが理由、とは言えない。
[17]日本でも民衆の虐殺はあった。
「平安時代」の章
[18]遣唐使の停止によって日本独自の文化が生まれたわけではない。
[19]日本以外の世界でも、女性は近代以前から書物を著した。
[20]藤原を名乗れたのは不比等の子から。
[21]菅原道真の祟りの話は、藤原時平の死後にできた。
[22]刀伊の入寇で朝廷は、夷狄調伏の祈祷ばかりしていたのではない。
[23]藤原氏による摂関政治の始まりの時期は、はっきりとわかっている。
番外篇1 聖海上人の涙
[24]武士集団は、現代で言うヤクザではない。
[25]院政は、上皇が天皇と同等の権力を有することを利用して始まったわけではない。
[26]保元の乱は「不倫」で始まったわけではない。
[27]平治の乱は、「男と女のドラマ」「人間の情愛」「欲望と怒り」では説明できない。
番外篇2 戦による民の犠牲
[28]平氏政権は前期と後期で性格が異なる。
「鎌倉幕府~応仁の乱」の章
[29]北条政子の名前は「政子」ではない。
[30]政治体制が変わったから社会変革がもたらされたわけではない。
番外篇3 蒙古襲来と夷狄調伏
[31]朝廷は、蒙古からの国書にどう対処していいかわからずおろおろしていない。
[32]蒙古襲来は世界史の視点から見る必要がある。
[33]「元寇」は侮蔑的な意味だとして使われなくなったのではない。
[34]「悪党」は、現在の意味での「悪党」ではない。
[35]鎌倉文化は、「貴族の文化」から「武士の文化」に移ったものではない。
[36]親鸞は、仏教界の偽善と欺瞞を打ち破るために妻帯肉食を宣言したのではない。
[37]北条高時は最後の執権ではない。
[38]倒幕運動は「楠木正成の活躍」だけでは説明できない。
[39]「建武の新政」は「恩賞が不十分だったから」失敗したのではない。
[40]室町幕府は脆弱だったが、政敵を倒すために天皇の後ろ盾が必要だったわけではない。
[41]足利義満の皇位簒奪計画は否定されている。
[42]「倭」という言葉は侮蔑的な意味で使用されていたわけではない。
番外篇4 模試に出てきた倭寇の話
[43]「籤引き」は将軍権力の弱さを示すものではない。
番外篇5 ヒゲと象と足利義持
[44]応仁の乱は、息子を将軍にしたい母の我儘で始まったのではない。
[45]「わび・さび」は室町時代ではなく江戸時代にできた美意識。
[46]室町時代からすでに教育はあるていど始まっていた。
[47]「応仁の乱」によって、大和朝廷から脈々と続いてきた社会制度は崩れていない。
「戦国時代」の章
[48]北条早雲は関東一円を支配していない。
[49]「戦国大名」は、むしろ戦乱を収めるために出現した。
[50]織田信長の軍事・経済政策は、過大に評価されている。
[51]秀吉は征夷大将軍になるために足利義昭の養子になろうと画策していない。
[52]宣教師は、一様に日本人と日本の文化の優秀さに感嘆していない。
[53]検地・刀狩・人払令は「兵農分離」をめざした政策である。
[54]スペインは日本の武力をおそれて侵攻しなかったわけではない。
[55]秀吉が死ななくても、朝鮮出兵は失敗していた。
[56]朝鮮出兵は、秀吉の東アジア政策の一つとして位置づけられている。
[57]戦国時代は、「男女の生々しいドラマ」では説明できない。
「江戸時代」の章
[58]「徳川の平和」にも凶悪犯罪や疫病の発生はあった。
[59]幕藩体制は日本独特の封建体制ではない。
[60]「参勤交代」は、諸藩が力を蓄えられないようにするためのものではない。
[61]「鎖国」せず海外進出をしていれば、「徳川の平和」などなかった。
[62]「御三家」は家康が徳川家を存続させるためにつくったものではない。
番外篇6 『日本国紀』に書かれていない歴史
[63]江戸時代の身分制度は、あまりフレキシブルではない。
[64]「五代綱吉」像は誇張と虚構で誤解されている。
[65]荻原重秀は、ケインズを二百年以上も先取りしていた、とはやっぱり言えない。
番外篇7 財閥解体と間接統治
[66]江戸時代の治安がよい、というのはイメージにすぎない。
[67]江戸の外食産業の発達にはワケがある。
[68]江戸時代の農民は土地の「所有者」ではない。
[69]江戸時代の「百姓一揆」はひとくくりにできない。
[70]「正徳の治」の貨幣改鋳は二回あった。
[71]「目安箱」は戦国時代にもあった。
[72]吉宗の宗春に対する憎悪は凄まじくない。
番外篇8 徳川宗春の経済政策
[73]吉宗は「生きた経済」をわかっていた。
[74]現代社会と江戸時代の経済を同じように考えてはいけない。
[75]田沼意次の政策は、評価されていないことはない。
番外篇9 もとのにごりの田沼恋しき
[76]「寛政の改革」は単なる「理想主義」ではない。
[77]定信が失脚しても二十五年間は「寛政の改革」が続いていた。
番外篇10 教科書から消えた「江戸の三大改革」
[78]朝廷は江戸幕府に影響力を持っていた。
[79]日本は、列強にとって最後に残されたターゲットではなかった。
番外篇11 ナポレオン戦争とフェートン号事件
[80]ゴローウニン事件は日露和親条約を促した。
番外篇12 ロシアと日本の関わり
[81]「大津浜事件」と「宝島事件」は「異国船打払令」のきっかけではない。
[82]幕府の十九世紀前半の外交政策は「右往左往」していない。
[83]「蛮社の獄」は単純な蘭学弾圧事件とは言えない。
[84]伊能忠敬は「大日本沿海輿地全図」を完成させていない。
[85]「言霊主義」で社会科学的説明や実証的説明を省略してはいけない。
[86]ラナルド・マクドナルドは「Soinara」と記していない。
[87]ペリーの来航に幕府はちゃんと備えていた。
「幕末~明治維新」の章
[88]庶民が政道そのものに意見ができる例は、日本にも世界にも、いくらでもある。
[89]「不平等条約」はもともと、「不平等」と認識されていなかった。
[90]日露和親条約で「北方四島の帰属」が決まったのではない。
[91]「密勅」は「秘密の勅命」という意味ではない。
[92]高杉晋作を「魔王のようだ」と評したのはオールコックではない。
番外篇13 高杉晋作の虚像
[93]鍋島直正が近代化を図ったのは、フェートン号事件で味わった屈辱からではない。
番外篇14 鍋島直正の「王国」
[94]徳川慶喜の行動に「一貫性がない」「勇気と決断力に欠ける」とは言えない。
番外篇16 「三割引き」の勝海舟
[95]水野忠徳による「小笠原領有をめぐる外交」は、「列強の間を渡り歩いた」わけではない。
[96]条約の勅許を得たとき、一橋慶喜は将軍後見職ではない。
[97]イギリスとフランスは幕末、対立はせず共同歩調をとっていた。
[98]「四侯会議」は一回だけでなく、八回行なわれた。
番外篇17 坂本龍馬の「再評価」
[99]「大政奉還」は十四日だが、諸藩が知ったのは十三日だった。
[100]西郷隆盛の「短刀一つあれば済む」は俗説。
[101]旧幕府は、国際的に承認された政府としての地位を失っていない。
番外篇18 徳川慶喜の「逃亡」
[102]来日外国人は一様に民衆の正直さと誠実さに感銘を受けているわけではない。
上記内容は本書刊行時のものです。