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ムエタイの世界
ギャンブル化変容の体験的考察
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2014年4月
- 書店発売日
- 2014年4月22日
- 登録日
- 2014年4月17日
- 最終更新日
- 2014年4月17日
紹介
かつてはタイの国技と言われた最強の格闘技「ムエタイ」がなぜギャンブル・スポーツになったのか?
現役プロ格闘家の著者はバンコクでムエタイ修行をしながら、タイ国立カセサート大学に留学して、このテーマを研究。その成果により早稲田大学で博士号を取得しました。
本書は、博士論文を中心に、著者自らの体験、関係者へのインタビュー、200枚以上の写真などを加えて、「ムエタイの世界」を再構築したものです。
ムエタイ人生の哀歓、黄金時代のスターたちの声、著者の試合結果など、ムエタイへの深い愛が詰まった1冊をぜひどうぞ。
目次
はじめに
1.本研究の目的
2. 研究の対象と方法
3.調査期間と調査を行なった地域・ジム
4.先行研究の検討と本論文のオリジナリティ
5.用語の定義
第1章 ムエタイを生んだ国
1-1 タイという国
1-2 歴代王朝とムエタイ
1-3 政治権力とムエタイ
1-4 貧富の格差
1-5 タイの価値観
フィールドノートから:ノントゥム・パリンヤーと闘う
第2章 タイ人と賭博
2-1 賭博好き
2-2 法律の柔軟性
2-3 仏教と賭博
フィールドノートから:魚を逃がして徳を積む
第3章前近代ムエタイ1
3-1. 武術としてのムエタイ
3-2. 伝統ムエタイ
3-3. 武術ムエタイの技法
第4章 前近代ムエタイ2
4-1スコータイ時代アユタヤ時代のムエタイ
4-2 ムエ・カッチュアクの誕生
4-3 タイの近代化とムエ・カッチュアク
4-4 ムエ・カッチュアクの技法
第5章 近代ムエタイの誕生
5-1. ムエ・カッチュアクからグローブへ
5-2. 近代ムエタイとナショナリズム
5-3. ムエタイ伝説(1)カノムトム
5-4. ムエタイ伝説(2)フランス人兄弟を倒したタイの軍人
5-5. 近代ムエタイと女性
5-6. 国民的なスポーツとして発展
5-7. 近代ムエタイ草創期の技法(1920年頃~1940年頃)
5-8. 国民的なスポーツへの変容期の技法(1940年頃~1970年頃)
第6章ムエタイ賭博
6-1.ムエタイ賭博の種類
6-2. 賭け試合
6-3. ギャンブル・ムエタイ(個人対個人の賭け)
6-4. スタジアムの情報屋
6-5. ギャンブル・ムエタイ化
6-6. ギャンブル指向のマッチメイク
6-7. ギャンブルのない国際式ボクシング
6-8. 選手の小型化と若年化
6-9. ビジネス・ツールとしてのムエタイ選手
6-10. ムエタイのギャンブル志向の是非
6-11. 暗黙のルール
6-12. ギャンブル・ムエタイの闘い方
フィールドノートから:スタジアムの金網
:ムエタイ黄金時代
第7章 ムエタイと仏教
7-1. 闘う前に
7-2. ムエタイの仏教的装備
フィールドノートから:プラクルアン
第8章 ムエタイ情報誌に見るムエタイの変化
第9章ムエタイ選手の姿
9-1. ムエタイ人生
9-2. ムエタイのジム
9-3. オーナーと選手
9-4. ムエタイ選手の人気
9-5. ムエタイ選手の1日
9-6. 引退後の生活
9-7. タイ人にとってムエタイとは?
フィールドノートから:ムエタイの強さ
:大沢昇さんの話
:ムエタイのひろがり
結論
あとがき
参考文献
前書きなど
「はじめに」から
ムエタイは、タイでは一般に戦乱の時代に生まれ、軍事訓練として伝承されてきたと考えられている格闘技である 。この格闘技は第2次世界大戦前にリングで闘う近代スポーツとして現在の形になり、発展してきた。ルールは、拳にグローブを着用して、打つ、蹴る、また組んでの肘打ちや膝蹴りを認めている。また、ムエタイの試合は必ず宗教的な儀礼が伴い、教訓などを大切にする伝統的な格闘技でありながら、本来は違法である賭博が伴うのを例外的に許容する格闘技でもある。本研究では、ムエタイが近代的なルールで行なわれるようになった後、賭博の影響によってムエタイの伝統的な「理念」と「技法」、そしてタイ社会における「存在意義」が変容したことを明らかにしようとする。
ムエタイは現在日本で行なわれているキックボクシングやK-1のルーツであり、このようなムエタイを模倣して創られた新興格闘技の団体では、ムエタイの技術を修得するために、本場タイからムエタイのコーチを招聘しているジムも多い。
しかしながら、このような新興格闘技選手と現在のタイのムエタイ選手では、技の使用方法や勝負観に違いが見られ、観客が求めている「闘い方」にも違いが見られる。近代柔道に倣う言葉で説明するならば、現在のムエタイは、「一本」を取る勝負方法でなく、「技あり」や「効果」を積み重ねて勝利を得るスタイルとなっている。新興格闘技では判定勝ちよりもKO決着やTKO(テクニカルノックアウト)が3割以上あるが、ムエタイでは10試合の興行のうちKO決着は1試合あるかないかであり、1日の興行がすべて判定で終わることが多い。
新興格闘技とムエタイの間にある差異は何か? 両競技はルールが若干異なるが、現在のムエタイは明らかにKO狙いではなく、自分自身を守るための技法が重視され、怪我をできるだけ回避するような攻撃方法が用いられている。最初の1、2ラウンドは攻撃をしあうこともなく、両方が距離を取り合い、空蹴り、空打ちばかりを多用し、本気で闘っているようには見えない。さらに、最終の5ラウンド後半を過ぎると、相手選手をKOできるチャンスがあっても相手を攻撃するのをやめてしまうのである。
タイ人の古いムエタイファンやムエタイ関係者、往年の名選手によれば、「ムエタイは、数十年前は、多彩な技でKO決着が続出し、毎試合激しい打ち合いが見られる過激な格闘技であった」という。タイでのムエタイ人気もかつては他の娯楽を凌ぎ、ムエタイのチャンピオンであればタイ国民のスターであると言われるほど、国民を歓喜させるスポーツだったのである。しかしながら、現在ではタイのムエタイ人気は低下し、サッカーに代表される国際スポーツに人気を独占されるようになったと言う。
私は1988年より日本においてキックボクシングを修練していた。その頃、日本のキックボクシング界の手本と言えばタイで有名選手が繰り広げるムエタイの試合であった。私が最初に本場タイを訪れたのは1993年であった。1ヵ月の間、現地のムエタイ・ジムに寝泊まりし、本場の技術を修得しようと試みた。次に長期滞在して本格的なムエタイ修行をしようとタイを訪れたのは1999年であったが、その時、スタジアムで見たムエタイは、以前ビデオなどで手本としていたムエタイの技法とは既に異なるものになっていた。
ムエタイの帝王と呼ばれ、7つのチャンピオンベルトを巻いたアピデット・シットヒラン は、ムエタイ雑誌のインタビューに「今のムエタイは、ビジネスになってしまった」 と語っている。彼のような発言をするOBムエタイ選手は数多い。ドイツのムエタイ選手であり、ムエタイの教本を執筆するクリストフ・デルフも「今日、スタジアムやTVで観戦する観客たちは、おおむね賭博に関心を寄せている。誰が勝つかに焦点が当てられており、さまざまな種類の魅力的な技術には注目されていない」 と述べている。このような発言は、多くのムエタイの競技者やムエタイの師範にも見られる。伝統ムエタイの師範であり、ルンピニー・スタジアムの初代支配人であったケートシーヤパイは、ギャンブルゲーム化したムエタイについて「近ごろのムエタイの試合は、2匹の犬が嚙み合っているようなものだ」 と表現している。つまり、近ごろのムエタイは多彩な技がないと嘆いているのである。
なぜ、現在のムエタイがこのように言われるようになったのか、何がムエタイに影響を与え、変容させたのか。どのようにして現在のムエタイの勝負観が生まれたのか。なぜ倒すか倒されるかの緊張感のある激しい試合が見られなくなったのか。
本論文の出発点は、私がムエタイ修行にタイに来てスタジアムで感じたこの違和感である。その後、カセサート大学に学びながらバンコクのジムに所属して、練習に励み、ジムの仲間たちや関係者に話を聞くうちに、ムエタイの変容過程が徐々に見えてきた。私はそれを、タイ社会の変化に伴うムエタイの構造的変容という側面と、実際にムエタイの内部にいる選手やその家族、観客、ジム、スタジアムなどの実態的変化という側面から描いてみたい。とはいえ、ムエタイの格闘技としての強さが衰えたということではない。私自身が肌で感じ、多くの関係者から聞いたムエタイの強さはやはり驚くべきものである。第9章「ムエタイの世界」は論文のテーマを追求する上で削ぎ落とさざるをえなかった私自身のムエタイに対する敬意と熱い思いを綴ったものでもある。
上記内容は本書刊行時のものです。