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「プガジャ」の時代 ★70年代のサブカルチャー
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2008年6月
- 書店発売日
- 2008年6月1日
- 登録日
- 2010年10月13日
- 最終更新日
- 2012年10月30日
紹介
中嶋らも、いしいひさいち、村上春樹ら超豪華執筆陣がいた伝説の雑誌、「プレイガイドジャーナル」。
その栄光と挫折を歴代編集長が語る!
1970~80年代、大阪に熱くおもろい情報誌があった。
『プレイガイドジャーナル』
若たちは親しみを込めて「プガジャ」と呼び、
それを持って街に出た。
今や伝説となった「プガジャ」をつくっていた人々の、
情熱と涙の人間ドラマ!
目次
【第1章「プガジャ」70年代の情報誌事情<森晴樹>】
■目次
・情報誌の草分けだった「プガジャ」
・タダで映画を見られると思って
・どんな仕事をしていたか
・情報に対する考え方が今とは違っていた
・アクティブだった当時の若者たち
・自主上映も多かった
・「プガジャ」の自主企画
・井筒監督と『ガキ帝国』のころ
・映画にも出た森晴樹編集長
・メッセージ性が必要とされない時代に
・「プガジャ」といしいひさいち
・「プガジャ」の果たした役割
・政治運動との距離
・「プガジャ」を特徴づけたもの
【第2章「プガジャ」変革の時、サイズ変更の事情<村上知彦>】
■目次
・サイズ変更時の編集長
・「プガジャ」との関わり
・編集長としてやろうとしたこと
・B6からB5へ、なぜ変えたのか
・いしいひさいちとの出会い
・サイズ変更による影響と反響
・大物続々登場の誌面
・未来につながる「プガジャ」のおもしろさ
・中島らものことなど
・人と人との<つながり>をつくった「プガジャ」
【第3章「プガジャ」で過ごした日々。80年代の空気<春岡勇二・ガンジー石原>】
■目次
・僕たちが入社した八〇年代前半の「プガジャ」
・B6サイズ最後の号に間に合った
・二十代にしかできない、しかしいちばん楽しい仕事
・ひとつの時代が終る予感
・他の情報誌とは違っていた
・さまざまなものが変わっていった
・吉本興業とトラブった!
・女性が強かった編集部
・音楽シーンにも変化が
・継承されている「プガジャ」スピリット
・劇団員でありつつ編集部員
・雀三郎製アルカリ落語の会
・フォークからアメリカ西海岸へ
【第4章「プガジャ」創刊時から、70年代の空気<山口由美子>】
■目次
・もっともっと会社じゃなかった
・動き始めた渦のど真ん中にいた
・時代のすべてがロックだった
・「プガジャ」のイメージは<未完成>
・続けてても違う「プガジャ」になっただけ
【第5章「プガジャ」最後の苦闘<小堀純>】
■目次
・名古屋の『プレイガイドジャーナル』に入る
・とにかく貧乏だった
・北村想の「寿歌」と『不・思・議・想・時・記』
・名古屋の「プガジャ」から、大阪の「プガジャ」へ
・のんきでルーズだった大阪「プガジャ」
・意識改革、経営改革に取り組む
・編集長になり、中島らもに出会う
・吉本の情報拒否問題で学んだこと
・「プガジャ」で出会ったイラストレーターたち
・「もうあかんねん」と言われて
・「身売りするとはこういうことや」
・「プガジャ」を本当の出版社にしたかった
・性に合っていた大阪
・プロの仕事はできていた
【資料編】
■目次
・「プガジャ」発刊の辞
・「プガジャ」最後の編集後記
・情報誌年表
・プレイガイドジャーナル記事索引・抜粋
・プレイガイドジャーナルの歩み
追記
「プガジャ」最後の編集長・小堀純氏の発言より
よく言うのは<関係性>ということですよね。最後の編集後記をみんなで書いたときに、
私は「プガジャ」というのは「誰かと誰かが出逢っていく“キッカケ”の《場》としてあっただろう」と、
そいうことが大事なんじゃないかと書きました。そういう《場》というのはみんなで、関わる人がつくっていくものですよね。
だから、人と人が関わっていくということが大事で、そういう《場》として「プガジャ」はやっぱりおもしろかったんじゃないかなと思います。
【新なにわ塾】
適塾や懐徳堂の伝統を受け継ぎ、大阪が歩んできた道を《光と影》《栄光と挫折》の両面から振り返ろうとする市民講座。
上記内容は本書刊行時のものです。