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「プガジャ」の時代  ★70年代のサブカルチャー 森 晴樹(著者) - ブレーンセンター
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「プガジャ」の時代  ★70年代のサブカルチャー (プガジャノジダイ ナナジュウネンノサブカルチャー)

社会一般
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新書判
420ページ
並製
定価 1,200円+税
ISBN
978-4-8339-0701-9   COPY
ISBN 13
9784833907019   COPY
ISBN 10h
4-8339-0701-1   COPY
ISBN 10
4833907011   COPY
出版者記号
8339   COPY
Cコード
C0274  
0:一般 2:新書 74:演劇・映画
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2008年6月
書店発売日
登録日
2010年10月13日
最終更新日
2012年10月30日
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紹介

中嶋らも、いしいひさいち、村上春樹ら超豪華執筆陣がいた伝説の雑誌、「プレイガイドジャーナル」。
その栄光と挫折を歴代編集長が語る!

1970~80年代、大阪に熱くおもろい情報誌があった。
『プレイガイドジャーナル』
若たちは親しみを込めて「プガジャ」と呼び、
それを持って街に出た。
今や伝説となった「プガジャ」をつくっていた人々の、
情熱と涙の人間ドラマ!

目次

【第1章「プガジャ」70年代の情報誌事情<森晴樹>】
■目次
・情報誌の草分けだった「プガジャ」
・タダで映画を見られると思って
・どんな仕事をしていたか
・情報に対する考え方が今とは違っていた
・アクティブだった当時の若者たち
・自主上映も多かった
・「プガジャ」の自主企画
・井筒監督と『ガキ帝国』のころ
・映画にも出た森晴樹編集長
・メッセージ性が必要とされない時代に
・「プガジャ」といしいひさいち
・「プガジャ」の果たした役割
・政治運動との距離
・「プガジャ」を特徴づけたもの

【第2章「プガジャ」変革の時、サイズ変更の事情<村上知彦>】
■目次
・サイズ変更時の編集長
・「プガジャ」との関わり
・編集長としてやろうとしたこと
・B6からB5へ、なぜ変えたのか
・いしいひさいちとの出会い
・サイズ変更による影響と反響
・大物続々登場の誌面
・未来につながる「プガジャ」のおもしろさ
・中島らものことなど
・人と人との<つながり>をつくった「プガジャ」

【第3章「プガジャ」で過ごした日々。80年代の空気<春岡勇二・ガンジー石原>】
■目次
・僕たちが入社した八〇年代前半の「プガジャ」
・B6サイズ最後の号に間に合った
・二十代にしかできない、しかしいちばん楽しい仕事
・ひとつの時代が終る予感
・他の情報誌とは違っていた
・さまざまなものが変わっていった
・吉本興業とトラブった!
・女性が強かった編集部
・音楽シーンにも変化が
・継承されている「プガジャ」スピリット
・劇団員でありつつ編集部員
・雀三郎製アルカリ落語の会
・フォークからアメリカ西海岸へ

【第4章「プガジャ」創刊時から、70年代の空気<山口由美子>】
■目次
・もっともっと会社じゃなかった
・動き始めた渦のど真ん中にいた
・時代のすべてがロックだった
・「プガジャ」のイメージは<未完成>
・続けてても違う「プガジャ」になっただけ

【第5章「プガジャ」最後の苦闘<小堀純>】
■目次
・名古屋の『プレイガイドジャーナル』に入る
・とにかく貧乏だった
・北村想の「寿歌」と『不・思・議・想・時・記』
・名古屋の「プガジャ」から、大阪の「プガジャ」へ
・のんきでルーズだった大阪「プガジャ」
・意識改革、経営改革に取り組む
・編集長になり、中島らもに出会う
・吉本の情報拒否問題で学んだこと
・「プガジャ」で出会ったイラストレーターたち
・「もうあかんねん」と言われて
・「身売りするとはこういうことや」
・「プガジャ」を本当の出版社にしたかった
・性に合っていた大阪
・プロの仕事はできていた

【資料編】
■目次
・「プガジャ」発刊の辞
・「プガジャ」最後の編集後記
・情報誌年表
・プレイガイドジャーナル記事索引・抜粋
・プレイガイドジャーナルの歩み

著者プロフィール

森 晴樹  (モリ ハルキ)  (著者

1949年大阪府出身。「プガジャ」第4代編集長。 70年代後半から80年代初めに、個性あふれる誌面を展開し、当時の学生たちから強く支持される。 阪急ファイブ内オレンジルームで上映会を企画するなど、 関西の自主映画作家を支援した。 現在はフリーライター&編集者、クイズ&パズル制作者。

<BR>村上 知彦  (ムラカミ トモヒコ)  (著者

1951年兵庫県出身。「プガジャ」第5代編集長。 マンガ雑誌『漫金超』などを刊行中の 株式会社チャンネルゼロより出向の形で編集長に。 在任時に、B6サイズで親しまれた 「プガジャ」のB5サイズへの変更を断行。 新たな時代を築いた。 現在はマンガ評論家、大学講師。

<BR>春岡 勇二  (ハルオカ ユウジ)  (著者

1958年島根県出身。 B6サイズ最後の「プガジャ」から編集に参加。 映画を担当し、最後の2年間は副編集長を兼任する。 現在は映画評論家、大学講師。

<BR>ガンジー 石原  (ガンジー イシハラ)  (著者

1959年兵庫県出身。 83年4月号より「プガジャ」編集に携わる。 演芸・寄席欄のほか、マンガ家・川崎ゆきおの連載、 河内家菊水丸のカセットブック企画なども担当した。 編集部在籍中から「ガンジー石原」の名前で 舞台に立つことも。本名は石原基久。 現在はライター、大学講師。自身の事務所FALLの名義で、 イベントの企画制作、レーベル運営も行っている。

<BR>山口 由美子  (ヤマグチ ユミコ)  (著者

大阪府出身。「プガジャ」創立メンバーの一人で、 第3代の、そして唯一の女性編集長。 各方面から高い評価を受けた 70年代後半の「プガジャ」を牽引した。 編集長就任以前には、誌面のアートディレクションから 表紙のイラストまで手がけた経験を持つ。 現在はフリー編集者。

<BR>小堀 純  (コボリ ジュン)  (著者

1953年愛知県出身。 「プガジャ」最後の編集長。 『名古屋プレイガイドジャーナル』から、
請われて経営母体の違う 大阪「プガジャ」の編集長となり、再建に尽力する。 現在はフリー編集者であると同時に、 関西演劇シーンの相談役として活躍。

<BR>鈴木 一誌  (スズキ ヒトシ)  (装丁

本書の装丁家。
1950年、東京都立川市生まれ。東京学芸大学、東京造形大学ともに中退。
グラフィックデザイナー杉浦康平のもとで12年間アシスタントをつとめ、85年、独立。
本文ページのレイアウト・フォーマットをめぐって朝日新聞社とのあいだで争われた「知恵蔵裁判」を93年に提訴し、
99年に高裁で敗訴。81年、映画批評で第1回ダゲレオ出版評論賞。98年、講談社出版文化賞ブックデザイン賞。
デザインのおもな仕事に『昭和――二万日の全記録』、『Japan An Illustrated Encyclopedia――英文日本大事典』、
『クロニック世界全史』、『大辞泉』、『鈴木清順全映画』、『小川紳介 映画を獲る』、
『加藤泰作品集』ほか多数。
著述に「ページネーションのための基本マニュアル」「明解日本語文字組版」(共著、99年、『印刷ガイドブック――DTP実践編』玄光社、所収)、
『知恵蔵裁判全記録』(共著、01年、太田出版)がある。

ブレーンセンターの本では、『子どもの写真はもう撮れない』(妹尾豊孝、07年)、『群集のまち』(太田順一、07年)
『新なにわ塾叢書1巻 プガジャの時代』(08年)、『新なにわ塾叢書2巻 大阪の近代建築と企業文化』(09年)、『新なにわ塾叢書3巻 水都大阪盛衰記』(09年)
『後藤正治ノンフィクション集』(後藤正治、09年~)、『父の日記』(太田順一、10年)など多数。

追記



「プガジャ」最後の編集長・小堀純氏の発言より

 よく言うのは<関係性>ということですよね。最後の編集後記をみんなで書いたときに、

私は「プガジャ」というのは「誰かと誰かが出逢っていく“キッカケ”の《場》としてあっただろう」と、

そいうことが大事なんじゃないかと書きました。そういう《場》というのはみんなで、関わる人がつくっていくものですよね。

だから、人と人が関わっていくということが大事で、そういう《場》として「プガジャ」はやっぱりおもしろかったんじゃないかなと思います。



【新なにわ塾】

 適塾や懐徳堂の伝統を受け継ぎ、大阪が歩んできた道を《光と影》《栄光と挫折》の両面から振り返ろうとする市民講座。

上記内容は本書刊行時のものです。