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子ども部屋のアリス
- 初版年月日
- 2015年7月
- 書店発売日
- 2015年6月27日
- 登録日
- 2015年5月19日
- 最終更新日
- 2016年5月25日
紹介
『子ども部屋のアリス』は、ルイス・キャロルが『不思議の国のアリス』を子どもでもわかるように書き直し、新たにカラーイラストをつけた、4つのアリス・シリーズの最終作です。
本書は、公式初版(THE NURSERY "ALICE" second edition, 1890)の原書からテニエルのカラー画20点を収録しました。19世紀ヴィクトリア朝の上品な色調を忠実に再現しています。
『不思議の国のアリス』入門書であると同時に、作品世界を深く理解するための解説書としての側面も備えています。日本ルイス・キャロル協会会長・安井泉氏の新訳でお届けします。
目次
子ども部屋のいとし子
はじめに──すべてのお母さんに向けて
1・シロウサギ
2・アリスがのっぽに
3・涙の池
4・コーカス競走
5・トカゲのビル
6・かわいいワンちゃん
7・青いイモ虫
8・赤ん坊がコブタに
9・チェシャネコ
10・へんてこりんなお茶会
11・女王さまの庭
12・ロブスター・カドリーユ
13・タルトを盗んだのはだれ
14・ふってくるトランプ
解説──ルイス・キャロルが『子ども部屋のアリス』に込めた思い
年譜──ルイス・キャロルの The Nursery “Alice” に関する日記の記述
前書きなど
解説──ルイス・キャロルが『子ども部屋のアリス』に込めた思い
『子ども部屋のアリス』(The Nursery “Alice”,1890)は、『不思議の国のアリス』(Alice’s Adventures in Wonderland, 1865)の作者ルイス・キャロル(Lewis Carroll)が書いたおはなしです。ルイス・キャロルは、本名をチャールズ・ラトウィッジ・ドッドソン(Charles Lutwidge Dodgson)といいます。キャロルには、アリスを主人公にした三つの物語がありました。『地下の国のアリス』(Alice’s Adventures Under Ground, 1864)、『不思議の国のアリス』、『鏡の国のアリス』(Through the Looking-Glass and What Alice Found There, 1871)です。
本書の「はじめに──すべてのお母さんに向けて」にもあるように、『不思議の国のアリス』の対象年齢は五歳以上であり、ゼロ歳から五歳までの子どもが、読者の空白地帯になってしまうことが、キャロルは、ずっと気がかりだったようです。一八八一年二月二十日の日記には、小さい子どもたちに向けて、子ども版『不思議の国のアリス』カラー挿絵入り( a “Nursery Edition” of Alice with pictures printed in colours)を出版することについて、十五日に、マクミラン社に相談の手紙を送ったという記述があります。この子ども版では、とくに挿絵のカラー化にこだわっていたようです(巻末年譜参照)。手紙の中で、キャロルは、子ども向けの本が出版されたとしても、『不思議の国のアリス』と競合することはない、値段はこのくらいに抑えたいなど、かなり具体的に夢を語っています。
ところが、この夢が実現するには、十年の歳月が必要でした。『不思議の国のアリス』(全十二章)は、ようやく一八九〇年、『子ども部屋のアリス』(全十四章)となって出版され、とうとう、小さい子どもたちの手に渡ることになりました。四つ目のアリスの誕生です。
キャロルは、『子ども部屋のアリス』に、何を託そうとしたのでしょうか。
この小さな物語をじっくり読んでみると、キャロルは、四つあるアリスの物語の中でも、『子ども部屋のアリス』を、一番たいせつにしていたのではないかと思えてきます。想像していた以上に、たいせつな物語が誕生していたのです。『子ども部屋のアリス』は、キャロルが、十八番であることば遊びを封印して、『不思議の国のアリス』を、みずからの手でやさしく書き直しただけのものではなかったのです。
キャロルが託そうとした思い、それは、言いかえると、この本をどうしても世に送り出したいという、キャロルの、心のエネルギーといえるものです。
それが何であるかの答えは、「冒頭の詩」と「はじめに」にあります。キャロルは、『不思議の国のアリス』でも『鏡の国のアリス』でも、冒頭に美しい詩を書いています。これらの詩に、それぞれの作品に込めた、キャロルの哲学ともいうべき思いが、凝縮されているのです。
キャロルは、『子ども部屋のアリス』を、ゼロ歳から五歳までの子どもに向けた、と言っていますが、この本の中身からして、それは明らかに無理です。『子ども部屋のアリス』を世に送り出すことによって、子ども部屋の至福を創り出したかったのでしょう。キャロルは、『子ども部屋のアリス』を、「人生の夜明けを生きるおさな子」と共にいる母親の手元に、ぜひとも届けたかったのではないでしょうか。
冒頭の詩「子ども部屋のいとし子」は、すばらしい詩です。たった二連のこの詩から、子どもは愛に包まれて育てられるべきだという、キャロルの信念が伝わってきます。キャロルは、男性で、生涯にわたって独身であり、自分の子どももいませんでした。なのに、なぜこれほどまでに、子をもつ母親の気持ちがわかっていたのでしょう。それは、きっと、キャロルが、いつも、温かいまなざしで、しかし、ときには、その鋭い観察眼で、子どもや母親たちを見つめていたからでしょう。
キャロルの温かいまなざしは、「はじめに──すべてのお母さんに向けて」の結びに書かれている「二つは欲張り」というエピソードにも現れています。
greedy(よくばり─よくばりよ、二つは)とdeedy(勤勉な──よくまあ、二つも)のだじゃれを言いたかっただけなのかと思われかねないエピソードを、キャロルは、なぜ、「はじめに」の最後に、わざわざ書いたのでしょうか。
キャロルがお母さんたちに伝えたかったことは、子どもは、大人のいうことばを、なんでも杓子定規に理解し、例外を認めない、張りつめた気持ちをもっているものだということではないでしょうか。親たるもの、ガラスのように、ときとして壊れやすい、子どもの純粋な心を、十分にわかってあげてほしいという、キャロルの願いが現れています。
公爵夫人に「ブタ」と呼ばれた赤ん坊が、とうとう、ほんとうにコブタになってしまうエピソードも、このことにつながります(第八章)。子どもは、言われたように、大人が接したように、育っていくものです。「やさしいね」と言われながら育った子どもは、やさしい子になると、よく言われますが、親のことば一つで、子どもは変わってしまうものです。キャロルは、物語全体を通して、子どもの心に細心の注意をはらいながら、『子ども部屋のアリス』を創り上げています。
『子ども部屋のアリス』の原題はThe Nursery “Alice”です。マザーグース(伝承童謡)のことを、英国ではnursery rhymes(ナーサリーライム──子ども部屋で歌われる韻を踏んだ詩)といいますから、The Nursery “Alice”は、当然、それを念頭において命名したのでしょう。
英国のnursery(子ども部屋)は屋根裏にあり、男女であっても、幼いきょうだいはベッドを並べて寝ています。ナーサリーライム(伝承童謡)は、その名から、子ども向けに書かれた詩のように思われがちですが、実は、そうではありません。『オックスフォード・ナーサリーライム辞典』の序論には、もともと子どもたちのために作られた詩は数えるほどしかなく、ナーサリーライムの詩の歴史を遡っていくと、昔の王位継承の争いや、ペストの大流行など、子どもたちが、何も知らずにすやすやと眠っているゆりかごからは、どんどん遠ざかっていく、と書いてあります(The Oxford Dictionary of Nursery Rhymes, new edition, edited by Iona and Peter Opie, 1997, p. 3.)。
原題The Nursery “Alice”にも、Nurseryという同じ語が使われています。しかし、ともすればゆりかごから遠ざかってしまう「ナーサリーライム」とは、まったく違って、キャロルは、小さい子どもたちとそのお母さんのために書いたという意味を、このNurseryという語に込めました。さらに、クォーテーションマーク付きの”Alice”は、『不思議の国のアリス』のことですから、The Nursery “Alice”は、子ども部屋で、お母さんといっしょに読む、あるいは読んでもらう『不思議の国のアリス』のおはなし、という意味になります。
キャロルは、題名にこんな思いを込めた『子ども部屋のアリス』という本をどんなふうに書いたのでしょうか。
『子ども部屋のアリス』は、『不思議の国のアリス』と異なって、「むかしむかしあるところに……」(Once upon a time....)のように、むかしばなしの語りで始まります。子ども部屋にいるのは、おそらく、まだ字が読めない子どもたちでしょう。読み聞かせをしてくれるお母さんのおはなしを聞くのが、大好きに違いありません。そんな子どもたちがこの本を手に取ったとしたら、キャロルの望み通りに、きっと、本をかじったり、なめたり、絵を探して、べたべたさわるでしょう。親が「この、顔だけ見えている鳥さんはなんだろうね」などと問いかけると、しゃべりはじめた子どもは、すかさず、「これなあに」「このお花、なあに」「なんで三月ウサギさんの頭にはワラがついてるの」と親を質問ぜめにするはずです。
『子ども部屋のアリス』は、絵本の特徴も兼ね備えているのです。キャロルは、『子ども部屋のアリス』の作成に当たって、『不思議の国のアリス』のテニエルの絵を拡大し、彩色をテニエルに頼みました(巻末「年譜」参照)。
なぜ、「拡大」だけでなく「彩色」にこだわったのでしょうか。子どもは白黒よりも、カラーの挿絵が好きだからです。色が付いていれば、親子の会話は白黒とは比べものにならないほど弾みます。「このシロウサギさんのチョッキは何色かな」「あっ、これも同じ色だね。シロウサギさんとおそろいだ」「ウサギさん、おしゃれだね」という声を聞きながら、きらきらした目で、絵を見つめている子どもの姿が見えるようです。キャロルの言う通り、「子ども部屋は、陽気な笑い声であふれかえる」ことでしょう。
キャロルは、さらに、子どもを楽しませるための、仕掛けも用意しています。チェシャネコを見上げるアリスの挿絵の場面では、「ほうら(こうやって絵の左上の端をすこし折り返してみると)……あれ、チェシャネコさんが消えちゃたよ。アリスはこわくないのかな」といった親子の会話が聞こえてきます。さらに、シロウサギがこわがってふるえている姿を子どもに見せるために、本をゆすってごらん、と子どもを誘います。本そのものが、おもちゃにもなる「子ども参加型」の本になっているのです。
『不思議の国のアリス』では、物語の途中で、ときどき、作者キャロルが顔を出して、読み手に語りかける部分があります。この『子ども部屋のアリス』では、つねに語り手のキャロルがいて、しょっちゅう、小さい子どもたちに語りかけたり、問いかけたりしながら、おはなしが進んでいます。キャロルおじさんが、横に座っていて、絵本を見ている子どもたちに、直接読み聞かせをしているような語りが特徴です。そこでは、同じ単語のたたみかけるような繰り返し、単語を入れ替えた同じ構文の使用など、キャロルの本領が余すところなく発揮されています。キャロルが、子どもたちにしょっちゅう問いかけて、子どもたちを巻き込みながら、おはなしを進めていくのも、「子ども参加型」と言えるでしょう。
ふたたび『不思議の国のアリス』に戻りますが、第九章「ニセウミガメの身の上話」で、グリフォンが、アリスに向かって、「あれはみんなぜんぶ、あの人(女王様)の空想なのさ。だれ一人として死刑になんかなりゃしないんだ」「あれはみんなぜんぶ、ニセウミガメの空想なのさ。悲しいことなんか何一つとしてありゃしないんだ」(安井訳)と言います。
このことばは、おはなしとはいえ、すぐに、みんなの首をちょん切ってしまうこわい女王様や、ニセウミガメが涙を流す姿に、子どもたちがきっと悲しい思いをするだろうと、心を痛めたキャロルが、その子どもたちの純粋な心に配慮をした部分だと、わたしは確信しています。おはなしを聞いている、あるいは、本を読んでいる子どもたちは、このグリフォンのことばで、きっと心が救われるはずです。
この子どもの気持ちへの配慮は、『子ども部屋のアリス』では、ずっと顕著になっています。例えば、アリスが深いウサギ穴の下まで落っこちてしまう描写の部分では、キャロルは、「でも、だいじょうぶ。夢の中ならいくら落ちても、ちっともケガなんかしないよね。あー、落っこちちゃうと思っても、ほんとうは、その時、みんなはぜったい安全な場所でぐっすり眠っているんだもの!」と筆を運び、子どもがいだくに違いない不安を、先取りして解消しています。『子ども部屋のアリス』全体が、こういう、キャロルの配慮に満ちあふれています。
子どもたちは、いつも真剣にまわりのものごとを見ています。たまたま見た、テレビの幼児番組で、人が階段を降りて消えていくパントマイム(が~まるちょば出演)を見ている、三歳から五歳くらいの会場の子どもたちが、だいじょうだったのかな、という心配そうな目をします。そして、パントマイムの終わりに、手前の衝立が外されて、ちゃんと、パントマイムのお兄さんたちの無事が確認されると、子どもたちは実にほっとした顔をします。そういう幼児の気持ちの動きを、キャロルは、日ごろからじっと観察していたのでしょう。
各章の中には、おはなしが、最後のところでとつぜん脇道にそれたかと思うと、筋に関係なく終わってしまう箇所がいくつか見られます。一見すると、キャロルは、なんで、こんな関係のない話をとつぜん入れたのだろうか、と思いますが、よく読むとそうではないのです。そこには、やはり、キャロルから子どもたちへのメッセージが隠されていることに気がつきます。
たとえば、ダッシュという子イヌの誕生日に、オートミールのおかゆをあげる子どもたちの話は、いくら自分が好きだからといって、ほかの生き物も、自分と同じように好きとは限らないというメッセージを伝えているのでしょう。また、たくさんの脚をもっているイモ虫の話を聞いた子どもたちは、もしも、イモ虫を見かけたら、歩く姿を、きっと、真剣に見つめるに違いありません。子どもたちに、外界のさまざまなことに興味をいだかせ、鋭い観察眼を養おうとする、キャロルの親心が隠れているようです。
こうしてみてくると、この本を構成している、さまざまなものが、一つ残らず、すみからすみまで、「子どものために」という一点に収束しているのです。しかも、「子どものために」と言いながら、実は、なににもまして、幼い子どもに接する大人への警鐘として、存在しているのです。
『子ども部屋のアリス』は、幼児ではない大人のアリス・ファンにとっては、『不思議の国のアリス』を深く理解するための垂涎の解説書という側面も備えています。
わたしは、『不思議の国のアリス』では、アリスがいったんあけた小さい扉の鍵は、なぜまたかかってしまっていたのか、不思議でなりませんでした。この答えを『子ども部屋のアリス』に発見したのです。
へんてこりんなお茶会で、三月ウサギの頭のあたりになぜワラがついているのか、紅茶の茶碗はいくつ並んでいるのか、裁判に出ている十二名の陪審員は、すべて絵に描かれているのか、青いイモ虫の高い鼻や口に見えるのは……などに、『子ども部屋のアリス』が答えてくれます。これは、キャロルが、日ごろ、子どもたちからこういう質問攻めにあっていた成果ではないかと想像されます。大人はごまかせても、子どもの目はごまかせないのです。
絵に描かれているジギタリスという花の説明も出てきます。不思議な夢の世界で出会う花の説明としては、なかなかすてきな説明です。ただ、この説明自体は、言語学的な語源とは異なり、民間語源(folk etymology)といわれるものです(Webster's Third New International Dictionary)。このような豆知識は、『子ども部屋のアリス』を単なる子ども向け以上のものにしています。
『不思議の国のアリス』を土台にした、この新しい物語を、お子さまを膝にだっこして、あるいは、お子さまと並んで座って、おしゃべりしながら楽しむことのできる方は、ぜひ,そうしてあげてください。お子さまとの距離がゼロに近づけば近づくほど、幸せな気持ちは、それだけ大きくなります。これは、子どものことを深く考えることができる本です。
一方で、アリスが大好きというみなさんには、『子ども部屋のアリス』は、『不思議の国のアリス』再発見へといざなってくれるヒントが、たくさん含まれている本です。キャロルは、ここではほんとうは何を伝えたかったんだろうと思って読むと、限りなく奥が深い本になります。
キャロルが終生「アリス」を温め続けたように、この本をいつまでもおそばに……
版元から一言
アリス生誕150年!『不思議の国のアリス』オールカラー版!
上記内容は本書刊行時のものです。