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僕だって普通に生きたかったよ
ある自閉症児の生涯
- 初版年月日
- 2012年12月
- 書店発売日
- 2012年12月5日
- 登録日
- 2012年12月3日
- 最終更新日
- 2012年12月6日
紹介
2012年1月、ある重度自閉症児が息を引き取った。真木田清彦、35歳。
普通学級に通った小学校時代、福祉作業所での仕事体験、たび重なるパニックと自傷行為……。
彼が家族とすごした日々を、本人の手記と父の日記を織り交ぜて綴る。
目次
第1章 誕生
僕が生まれてきて良かったのだろうか
原因不明で、治療法もない病
幼稚園
母と父
埼玉県に移り住む
小学校は普通学級へ
医療と訓練
迷子
特殊学級
読み書き
療養手帳
身長一八〇センチ、体重一〇〇キロ
第2章 自閉症の言動
アトピー性皮膚炎
行方不明
パニックと自傷行為
こだわり1―食べ物
こだわり2―カセットとビデオ
こだわり3―おもちゃ
こだわり4―動物園
地域
第3章 福祉作業所
軽作業
所長交代
精神科
念書
親の会
専門知識を持った指導員
新しい所長
入所申し込み
体重が減る
父の記録
第4章 在宅、そして入院
入所施設と入院
つらい日々
パニックが続く
緊急入院
ショートステイ
第5章 幸せな時間
パニックのない日々
半年間の夢
第6章 再入院
選択肢
退院のめど
生きるも死ぬも
着衣破り
重度の障がい者
第7章 少しずつ最期に向かって
三年変わらず
床擦れ
頑張れ!
手足抑制
生きてほしい
終焉
阿弥陀仏のもとに
前書きなど
第1章 誕生
僕が生まれてきて良かったのだろうか
僕は死んだ。享年三十五。平成二十四年(二〇一二年)一月三十一日早朝、あと一週間で三十六歳の誕生日だった。
両親と僕の住居のある埼玉県P市のH病院の一室だ。早朝に主治医のF先生の連絡を受けた両親が急いで駆けつけたが、間に合わなかった。父は昨日様子を見に来ていたが、母は再入院してから一度も病院に来ていないので、四年半ぶりに僕を見たことになる。
母は僕に会うのが嫌だったわけではない。手足を拘束されたまま痩せ細っていく僕を見せたくないため、父がなにかと理由をつけて面会に同行させなかったからである。父は面会の時、顔写真を撮って母に見せていたので、その母にしても長期に会っていないという感覚はあまりなかったと思う。顔だけの写真にしたのは、手足を拘束された姿を見せて動揺するのを心配したからだった。
父は母の長い間の苦労に対して少しでも穏やかな時間を持ってほしいと考えていたのだが、手足の拘束等も含めて入院の状況は話していた。母は自分なりに状況は把握していたようだが、四年半ぶりに見た僕の痩せた体にはさすがに驚いたようだ。とくにすっかり萎えて細くなった足を摑み、自分の手ですっぽり握れる足首を摑んで、滂沱の涙を流したまましばらく動かなった。
僕は重度の自閉症だ。正確には小児自閉症というらしい。埼玉県から知的障がい者に発行される療養手帳(みどりの手帳)の総合判定はⒶで、最重度のランクだ。
こんな僕が生まれてきて良かったのか、またなんの意味があるのか、生まれてこなかったほうが良かったのではないかとも思う。
どんな人にも生まれてこなかったほうが良いなどということはないと言われるが、本当にそうだろうか。本人にとっても両親はじめ周囲の人たちにとっても、いないほうが良い場合もあるように思う。ある高名な知事が、馬鹿は生きている価値がない、というような主旨の発言をし、話題になったこともあるが、その馬鹿とはまさに僕のような人間だと思う。
三十六年に満たない一生だったが、重度自閉症だった一人の男性の生涯を記録しておきたい。
版元から一言
頑張りぬいて僕は旅立つ──重度自閉症児と家族の35年
上記内容は本書刊行時のものです。