書店員向け情報 HELP
お地蔵さまと心の癒し
大槌町復興地蔵物語
- 初版年月日
- 2012年12月
- 書店発売日
- 2012年12月15日
- 登録日
- 2012年11月16日
- 最終更新日
- 2012年12月13日
紹介
東日本大震災で、町長を含む町民の10分の1以上が犠牲になった岩手県大槌町。その数カ月後、ほぼ入居が終わった仮設団地ごとに、各一体のお地蔵さまが贈られた。ほどなくして、花を飾る、帽子や前掛けをかける、台座や館を作るなど、それぞれの仮設のやり方でお地蔵さまが祭られてゆく。失われた命への想い、慣れない仮設生活での心の癒し、復興への祈りなど、被災者の心の拠り所として静かに佇むお地蔵さま。人が死と向き合うとはどういうことか、どうすれば心の復興はなされるのかについて、野口法蔵師が語る。
目次
大震災とお地蔵さま──まえがきに代えて
第一章 災いを転じて悟りの道へ
津波にのまれる小さな命
現代の公案
災いを契機に人は変われる
愛だけで人を救えるのか
ラダックの僧院で体得したこと
僧侶であるということ
人道支援に訪れた北朝鮮で拘束される
中朝国境地帯にて
飢餓状態にある人間をどう救うのか
飢餓について考える
災難の受け止め方
人は死んだら生まれ変わる
生きているうちに徳を積む
般若心経一万回
失われた命のために菜食をする
第二章 仮設住宅にお地蔵さま
人口の一〇分の一以上が失われた大槌町
お地蔵さまに込められた復興への願い
すべての仮設にお地蔵さまを
お地蔵さまが果たす役割
人が拝むことで仏さまは表情を変える
遺影の表情すら変える祈りの力
言葉が世界を変える
お経を自分のからだに聞かせる
小さいことを徹底して続ける
霊性からのメッセージを受け取る
自分の人生は自分で生きる
第三章 お地蔵さまの功徳
平安時代から地蔵信仰が始まる
現実的な救済者として僧形になる
ラダックでは死者の力を借りるための架け橋
迷いの道をさまよう人間を救済する六地蔵
人の思いを投影できる存在
子どもの守護としてのお地蔵さま
お地蔵さまのお経とその功徳
大槌の人びとのその後と地蔵菩薩
般若心経全文
心の復興に向けて──あとがきに代えて
前書きなど
大震災とお地蔵さま―まえがきに代えて
……
震災から約半年経った二〇一一年一〇月。私は、津波で甚大な被害のあった岩手県大槌町のすべての仮設団地に、小さな石のお地蔵さまを贈りました。これは、地元のNPO団体から、「被災者が祈りをささげられるような場が身近にほしい」という要望を受けたことがきっかけで、詳しい経緯については本書の第二章で述べています。
この震災では、一万五〇〇〇人以上の方が亡くなり、三〇〇〇人近くの人がいまだ行方不明となっています。家族を失い、家や財産を流された方は、何十万人にもなるでしょう。その方々の人生は、あの日を境に一変したことになります。
この安全で、快適で、社会的にも経済的にも恵まれた現代の日本において、あの日、一万人以上の「死」と直面するような出来事が起こるとは、誰も思っていなかったでしょう。
しかし、「あの日」は訪れました。
私たちの日常生活は、意識していてもいなくても、実は常に死と隣り合わせだったという事実が明らかになりました。
科学が発展し、医学が進歩し、豊かな世の中になって、日常からどんどんと「死」が遠ざけられていきました。乳児の死亡率が激減し、平均寿命が延びた現代の日本では、「死」を直接目にするという機会が極端に減ってしまいました。それでも、人間は「死」を避けて通ることはできません。どれだけ科学が発展しても、いかに医学が進歩しても、人は誰でも最後には「死」と向き合わなければなりません。
ということは、常にそれに備えておく必要があるということです。備えがなければ、突如として目の前に現れた「死」にどう対処したらよいのかわからず、ただ茫然としてしまうだけです。そして、訪れる悲哀、絶望、喪失感に耐えられなくなるのです。皮肉なことに、暮らしがよくなればよくなるほど、「死」に対する準備はおろそかになっていったようです。
私が修行生活を送ったインドなどアジアの国々では、日常の中に死がありました。ガンジス川には当たり前のように死体が流れ、伝染病が流行れば乳幼児はあっという間に死んでしまいました。片足を引きずりながら路上で暮らしていた物乞いは、私の目の前で犬に足を引きちぎられそうになっても、はじめは気がつかないほどでした。ようやく追い払ったあとは、何事もなかったかのように前と同じ時間が流れ始めました。
かの国の人たちが、どのように「死」の備えをしているのか。それは、死に対してはっきりとした見方を持っているということです。一言でいえば「輪廻転生」です。人は死んだら生まれ変わる、そのことを根本的なところで信じているのです。だから、たしかに死は悲しいことかもしれないが、本当に悲しむべきものではない。心の底から恐れるべきものではない。なぜなら、死はすべての終わりではないからです。たとえ愛するわが子を失った親でさえ、ひとしきり悲しんだら、再び目の前の現実を生き始めます。子どもは死んだのではなくて、別の世界で生きていることを知っているからです。そして、供養や祈りを通して、死者や先祖の力が今生きている人間の迷いを吹き飛ばし、人に生きる勇気を与えてくれるわけです。死者の力を借りることで、自分がよりよく生きていける。それが、宗教が本来持っている力であり、智慧でしょう。
お地蔵さま(地蔵菩薩)は、死者と生きている人間とをつなぐ役割を果たしてくれます。とくに、疫病や飢餓、災害や戦争などで非業の死を遂げた人びとや、まだ祈りや信仰というものを知らない子どもの死。残された人たちが深い傷を負うような死に方をした魂を救ってくれるのがお地蔵さまです。
日本には、全国津々浦々、あちこちの路地や辻、村の入り口や境界に、お地蔵さまがいらっしゃいます。おそらく、日本で一番多い石像は、お地蔵さまではないでしょうか。その多くは、大きな災害や疫病が流行って、たくさんの人が亡くなった場合や、事故や行き倒れがあったところに設置されたようです。
お地蔵さまは、そのような死者の魂を鎮めるとともに、残された者、今生きている者に対して力を与えてくれる存在です。その意味でも、今回被災地に五一体の新しいお地蔵さまが置かれたことは、とても意味深いことではないかと思います。
これを機会に、お地蔵さまとはどんな仏さまであり、私たちはそこから何を学べばいいのか、考えてみることにしました。そして、「死」を覆い隠すようなこの現代の日本で、もっと死を知り、死を感じ、死に親しむことで、生をよりよくしていく道筋を、つたない私の経験からではありますが、探求してみたいと思います。
……
上記内容は本書刊行時のものです。
