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本を生みだす力
学術出版の組織アイデンティティ
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2011年2月
- 書店発売日
- 2011年2月21日
- 登録日
- 2011年2月10日
- 最終更新日
- 2011年2月10日
書評掲載情報
2011-04-24 | 朝日新聞 |
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紹介
市場規模という点では極小の出版産業から生み出された本が、時には社会を変革し、歴史を動かす原動力ともなってきました。本にははかり知れない可能性がありますが、ここ十数年、特に学術書をはじめとする「堅い本」は、深刻な出版不況にさらされています。この危機は、出版だけでなく学術コミュニケーション全体の危機ともつながっています。本書は、ハーベスト社、新曜社、有斐閣、東京大学出版会という、規模・形態を異にする4つの出版社の事例研究の成果です。学術書の刊行に関わる組織的意思決定の背景と編集プロセスの諸相を丹念に追いつつ、学術出版社が学術知についての品質管理をおこなう上で果たしてきた「ゲートキーパー」としての役割とは何か、そこで育まれる出版社、編集者の組織アイデンティティはどのようなものかを明らかにしました。電子本と「ファスト新書」の時代、学術的知の未来に関心のあるすべての読者・著者・出版者にお届けします。
目次
まえがき
序章 学術コミュニケーションの危機
一 「出版不況」の一〇年
二 出版事業者の経営危機
三 ベストセラーと書店の賑わい
四 利益無き繁忙と「一輪車操業」
五 出版不況と学術コミュニケーションの危機
六 出版社における刊行意思決定をめぐる問題
ゲートキーパーとしての出版社
七 本書の構成
第Ⅰ部 キーコンセプトゲートキーパー・複合ポートフォリオ戦略・組織アイデンティティ
第1章 知のゲートキーパーとしての出版社
一 文化産業と「ゲートキーパー」(キーコンセプト①)
二 学術知のゲートキーパーとしての出版社
三 組織的意思決定としての刊行企画の決定
四 「複合ポートフォリオ戦略」(キーコンセプト②)
五 「組織アイデンティティ」と二つの対立軸キーコンセプト③
【用語法についての付記】
第Ⅱ部 事例研究三つのキーコンセプトを通して見る四社の事例
第2章 ハーベスト社新たなるポートフォリオ戦略へ
はじめに
一 ハーベスト社の歴史
二 現代的変化の背後にあるもの
三 小規模学術出版社に特有の事情
第3章 新曜社「一編集者一事業部」
はじめに
一 創業から経済的自立まで
二 新曜社における刊行ラインナップの特徴
三 新曜社における刊行意思決定プロセスの特徴
編集会議を無くした出版社
四 刊行ラインナップと「人脈資産」
五 新曜社が持つ組織アイデンティティと四つの「顔」
第4章 有斐閣組織アイデンティティの変容過程
はじめに
一 法律書中心のラインナップ
二 分野拡大の功罪
三 コア戦略への回帰
四 テキスト革命の進行
五 標準化された構造と過程
六 強力なテキスト志向市場への敏感さ
七 編集職の自律性
八 組織アイデンティティの多元性・流動性・構築性
第5章 東京大学出版会自分探しの旅から「第三タイプの大学出版部」へ
はじめに
一 成長の歴史
二 出版会と出版部のあいだ
三 東大出版会の誕生
四 組織アイデンティティをめぐる未知の冒険
五 「理想と現実」二つのタイプの大学出版
六 内部補助型の大学出版部におけるゲートキーピング・プロセス
第Ⅲ部 概念構築四社の事例を通して見る三つのキーコンセプト
第6章 ゲートキーパーとしての編集者
一 編集者という仕事
二 編集者の専門技能とそのディレンマ
三 「ゲートキーパー」としての編集者像再考
四 編集者の動機をめぐる現代的危機
第7章 複合ポートフォリオ戦略の創発性
一 刊行目録と複合ポートフォリオ戦略
二 刊行計画とタイトル・ミックス
三 「包括型戦略」としての複合ポートフォリオ戦略
四 複合ポートフォリオ戦略の創発性
五 複合ポートフォリオ戦略と組織アイデンティティ
【補論 複合ポートフォリオ戦略の創発性をめぐる技術的条件と制度的条件】
第8章 組織アイデンティティのダイナミクス
一 文化生産における聖と俗
二 組織アイデンティティの多元性と流動性
三 職人技をめぐって
四 協働の仕方と成果
五 学術出版組織の四つの顔
六 四社の事例のプロフィール
第Ⅳ部 制度分析文化生産のエコロジーとその変貌
第9章 ファスト新書の時代学術出版をめぐる文化生産のエコロジー
一 学術書の刊行と文化生産のエコロジー(生態系)
二 教養新書ブームの概要
三 ファスト新書誕生の背景
四 学術出版をめぐる文化生産のエコロジー日本の場合
五 「ピアレビュー」と学術出版をめぐる文化生産のエコロジー
米国のケース
六 ギルドの功罪
第10章 学術界の集合的アイデンティティと複合ポートフォリオ戦略
一 大学出版部のアイデンティティ・クライシス米国のケース
二 RAE(研究評価作業)と学術界の集合的アイデンティティ
英国のケース
三 「ニュー・パブリック・マネジメント」と学術界の自律性
日本の場合
あとがき
付録1 事例研究の方法
付録2 全米大学出版部協会(AAUP)加盟出版部のプロフィール
注
文献
事項索引
人名索引
前書きなど
『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ作・英訳題名『ザ・ネバーエンディング・ストーリー』)の導入部で、主人公のバスチアン・バルタザール・ブックスは、自分が通う学校の屋根裏部屋に身を隠し、古書店から勝手に持ち出してしまった本を前にして、次のようにつぶやく。
本って閉じてあるとき、中で何が起こっているのだろうな?(中略)そりゃ、紙の上に文字が印刷してあるだけだけど、―― きっと何かがそこで起こっているはずだ。だって開いたとたん、一つの話がすっかりそこにあるのだもの。ぼくのまだ知らない人びとがそこにいる。ありとあらゆる冒険や活躍や闘いがそこにある。―― 海の嵐にであったり、知らない町にきたり。みんな、どうやってかわからないけど、本の中に入っているんだ(1)。
バスチアンが言うように、本というものが持つ最大の謎であり、また他の何ものにも代えがたい魅力ともなっているのは、その中に物語の世界が丸ごと包み込まれている点であるように思われる。実際、本を開くということは、しばしば、物語の世界へとつながる扉を開いてその世界の中に入り込んでいくことでもある。
そしてそれは、小説やドキュメンタリーなどのように、もともと物語としての性格を色濃く持っている本の場合に限らない。同じような点は、本書で主として取り扱っていく学術書についても指摘できる。特に人文・社会科学系の学問分野においては、バスチアンの言葉を借りて言えば、表紙を開いた瞬間に「一つの話がすっかりそこにある」紙の本こそが最適の媒体である場合が少なくない。
言うまでもなく、学術コミュニケーションの媒体としては、書籍だけでなく論文あるいは各種の電子媒体もきわめて重要な役割を担っている。また、それらの媒体には、それぞれ本にはない独特の強みもある。しかしながら、著者が自分の物の見方や世界観を丸ごと提示しようとする際にも、また読者が著者の思考や論理の筋道を丹念に追いながら理解していく上でも、紙の本に匹敵するメディアは(今のところまだ)存在しない(2)。そして、本というものにそのような特長があるからこそ、市場規模という点だけから見れば「矮小」とさえ言える出版産業を介して生み出されてきた数々の書籍が、時には社会を変革しまた歴史を動かしていく原動力になってきたのだと言えよう(3)。
このような、はかり知れない可能性を持つ本というものは、そもそも誰の手によって、どのようなプロセスを経て社会に送り出されていくものなのだろうか。また、著者(研究者)・編集者・出版社の経営者などさまざまな人びとは、どのような利害関心を持って本づくりに関わっているのだろうか。本書では、このような一連の問いに対する答えを、主として学術出版社についての事例研究を通して探っていく。ケーススタディの対象となるのは、編集者でもあるオーナーが大半の業務を一人でこなす「ひとり出版社」、社会科学系の中堅出版社、およそ一〇〇名の従業員を擁する大手の学術出版社、日本における代表的な大学出版部、という四社である。本書が、これら相互にきわめて対照的な性格を持つ四つの出版社の比較を通して浮き彫りにしていこうとするのは、学術出版社が刊行すべき本とそうでない本とを選り分け、また学術知や情報についての品質管理をおこなう上で果たしてきた役割―― すなわち、「ゲートキーパー(門衛・門番)」としての学術出版社の役割である。
この、出版社が担ってきた学術的知の門衛としての役割に対して重大な影響を及ぼしかねないのが、過去一〇数年にわたって続いてきた「出版不況」である。一九九〇年代後半に本格化した売上げ不振によって、出版物の販売額は二〇〇九年にはピーク時(一九九六年)の七割前後にまで落ち込んでしまっている。書籍の売上げ不振は、学術書をはじめとする「堅い本」に関して特に深刻なものであり、学術出版の危機ないし学術書の危機が指摘されるようになって久しい。
『はてしない物語』の本編は、「ファンタージエンの危機」という章で始まる。バスチアンは、『はてしない物語』を夢中になって読み耽っているうちにいつしかその物語世界の内部に入り込みその登場人物の一人になってしまうのだが、その時、ファンタージエンと呼ばれるその世界は既に「虚無」の浸食によって消滅の危機にさらされていたのであった。出版不況は、どのような時にどのような形で、虚無がファンタージエンに与えていたのと同様の壊滅的な打撃を学術コミュニケーションの世界に対してもたらしていくのであろうか。また、それを防ぐための手だてはあるのだろうか。このような問いに対する答えを見定めていくためにも、出版社が学術的知のゲートキーパーとして果たしてきた役割について明らかにしていくことは、必要不可欠の作業となるであろう。
上記内容は本書刊行時のものです。