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回想の全共闘運動
今語る学生叛乱の時代
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2011年10月
- 書店発売日
- 2011年10月27日
- 登録日
- 2011年9月13日
- 最終更新日
- 2014年12月19日
紹介
大学闘争40+α周年への記念出版!
各大学当事者の回想を中心に、大運動の実像を伝える。
若い世代への全共闘世代よりの最後の資料提供!
全共闘運動の出現を1968年とすれば、今年は43年目に当たる。それ自体が歴史的な総括の対象となるには十分すぎる時間の経過である。事実、40年の節目には、いくつかの書物が世に問われた。しかし、一方においては対象の狭さがあり、また他方では世代を隔てた研究の難しさが見られた。
本書はそれらに対して、①運動を担った当事者が、②個別大学の闘争の事実に立脚し、③かつ大学を超えた討論を目指して、上梓するものである。
40余年の時をこえて各世代に送るメッセージでもある。
目次
まえがき
第1章 いかに顧みるか●視点と方法
1、導入─大学闘争を振り返ることの意義と意味 大石和雄
2、いま全共闘をどう扱うか?方法の問題 神津陽
一、全共闘はなぜ登場したのか(関係論的検討)
二、全共闘とは何だったのか(時代思想との関わり)
三、なぜ全共闘は広がったのか(主体の拡大)
四、では、どのように全共闘を書くか
3、学生運動と社会主義の結合としての全共闘運動 大石和雄
─半私的・半党派的全共闘論─
大学入試の動機 中大夜間部「歴研」に加入 共学同の結成
中大学費闘争の勝利 日大闘争と東大闘争について 丸山研
究室破壊行動について 大学闘争の終焉
第2章 東京教育大●筑波移転闘争の記録
1、かつて教育大闘争があった〈16の断章〉 水沢千秋
2、全学闘と廃校と─東京教育大65~70年私史─ 前田浩志
二月の小雪の中で──以下〝起〟(六七年ピケストまで)
ピケストの大衆的教訓──以下〝承〟(全学闘発足まで)
廃校論とその風景──以下〝転〟(交錯する論理と組織)
守衛所占拠から衝突──以下〝結〟(反動と弾圧の中で)
第3章 慶應大●68年・69年バリスト闘争の記録
1、六八年・六九年─慶應大学バリスト闘争回想記 その1 三森義道
*六八年米軍資金導入拒否・塾監局占拠闘争を闘って
米資闘争の概略 全学闘の結成 夏休み占拠闘争 当局による
右翼学生の組織化 慶應史上初の塾監局占拠闘争を敢行 秋期闘
争敗退への道程
2、六八年・六九年─慶應大学バリスト闘争回想記 その2 三森義道
*六九年大学立法反対闘争および通教闘争を闘って
米資闘争敗北後の情勢 大学立法反対闘争の経過および通教闘争を
闘って その後の慶大闘争とML派の解散について
第4章 日大●正義の百姓一揆の記録
1、思想性なき正義の百姓一揆 太郎良譲二
─無知な民は権力からどの程度の不義と弾圧を受けると、叛逆を決意するのか─
団塊世代は全共闘世代か 日大闘争は「全共闘運動」にあらず
◆日大闘争年表(一九六八年一月~六九年一月・抜萃)
2、日大全共闘にとっての東大闘争共闘とは何だったのか 太郎良譲二
─経闘委行動隊員の体験─
東大凱旋前夜の全共闘会議 東大凱旋 日大全共闘(一一・二二)
東大一・一八 いわゆる安田講堂陥落まで
◆六九・一・一八(警備無線傍受記録、一部)
第5章 筆者座談会●全共闘運動を検証する
大石和雄 司会
佐野正晴 インタヴュアー
太郎良譲二
前田浩志
三森義道
(二〇一一年八月七日)
〈インタヴュアーよりの8つのテーマ〉
1、全共闘運動を行なったときの心情的基盤は、いかなるものだったのでしょうか
2、全共闘運動の具体的な獲得目標とその実現方法について、今から見てどのように思っておいでですか
3、当時の新左翼に広まっていた戦後資本主義体制の危機論について、どの程度に信奉していたのでしょうか また、現在の時点での認識はどうでしょうか
4、「社会主義」「共産主義」について、当時存在した既成の社会主義国家と異なるどのような理念を抱いていたのでしょうか また、現在の時点での認識はどうでしょうか
5、全共闘の終息後、差別問題が主要課題として浮上しましたが、そのことについてどう考えたでしょうか また、現在の時点での認識はどうでしょうか
6、テロ、内ゲバ、粛清が激しくなった時期について、当時何を考えたでしょうか また、現在の時点での認識はどうでしょうか
7、その後の内外の大きな政治的事件について、どのような感想を抱いたでしょうか
8、今日の若者たち、その置かれた状況などについて、メッセージなり、コメントなり、語りたいことがあれば、お願いします
前書きなど
あとがき
本書出版企画の話が最初に持ち上がったのは二〇一〇年晩秋であった。同年一〇月三一日に、本書執筆に当たった者を中心にして、遅ればせながら「大学闘争40+2周年記念討論集会」を開催したのであるが、その総括のなかで集会報告集を発行する話が出され、それが発展して、それならば「全共闘運動総括」の決定版を出版しようということに話が発展していったわけである。
とはいえ、構想は容易には纏まらなかった。前書きにある『21世紀への置文』に掲載された各論文を個別報告として収録することは何なく決まったが、第五章の「総括座談会」をどう展開するかが難題であった。結局、全共闘運動を主に当時高校生として眺めていた世代の方に「問題提起者」として加わっていただき、その方からの質問・疑問をもとに座談会を展開するという形に落ち着いたわけである。
そのため、当初の「全共闘運動総括」という意図からみれば、及びえなかったテーマも幾つか存在する。「層としての学生運動」という学生運動論やその内容としての「大学改革」論の中身がそうであるし、それとの関係も含めての、全共闘運動にプラスあるいはマイナス的に関与した各「党派」に関する評価にも触れられなかった。また、六八年から六九年における各局面での時系列的な総括にも論及できなかった。さらには、それ以前の学生運動の定式であった「自治会運動やスト(授業ボイコット)」とは異なる「大学占拠」「自主管理」という戦術形態や「全共闘」という運動組織論、「大学解体」「自己否定」などの意味や評価などについても突っ込んだ考察ができなかった。
このように、本書は様々な面で「全共闘運動総括決定版」としてはきわめて不十分なものである。それでも出版しようと決断したのは、たとえ追憶的なものであれ、あの闘争の記憶は残されていかなければならないという強い思いによる。本書作成過程の本年三月には東日本大震災とそれに起因する東電福島第一原発の大破という、日本社会では未曾有の災害が発生した。その中から、戦後日本社会を根底的に問い直すべきとの提起が多くの人からなされている。その提起自体には全く異論はないが、「心情」だけでは社会の変革は容易にできない。戦後憲法─天皇制民主主義と非戦平和という「戦後平和と民主主義」にズッポリ浸され、ひたすら経済成長に邁進してきた戦後日本社会・国家を根底から変革するということの困難性を、私たちはあの全共闘運動で体感したのではなかろうか。
全共闘運動終焉後の七〇年代以降の「社会運動」なるものの実質を歴史主義的に振り返ってみても、そこに私たちは大いなる歴史の後退を見てしまうのである。その意味で、今改めて自らの原点である全共闘運動を想い起こしてみる必要があるのではないか。それが、この時期にも拘わらず本書出版に踏み切った思いである。
最後に本書を、この四月に逝去した矢下徳治氏に真っ先に呈することをお許し願いたい。矢下氏は前田氏と東京教育大学の全学闘運動を担うとともに、前述の「大学闘争40+2周年記念討論集会」の司会を務め、本書出版に向けた編集同人の一人としても活動してきた。その過程で急逝されたが、矢下氏も実質的な本書編纂メンバーである。ここに、改めて氏の冥福を祈りたい。
本書の編纂に当たっては、巻末に掲げた七名の筆者のほかに、多くの方々のご協力を得た。政治同人誌『21世紀への置文』を引き継いだ『置文21』の同人のみなさん、教育大・慶大・日大・中大の旧全共闘のみなさん、なかんづく「9・30の会」に結集する日大全共闘のみなさんには、ご援助をいただき、また励まされた。
第五章座談会の録音・文章化を引き受けられた荘司良樹氏、表紙カバーはじめ要所の写真を提供された川上照代氏には、お礼の言葉もない。本書出版を快諾され様々アドバイスをいただいた⑭彩流社の竹内淳夫社長にも厚く感謝申し上げたい。 (二〇一一年九月五日) 大石 和雄
版元から一言
まえがき
全共闘運動が世に現われたのは一九六八年。それから実に今年で四三年となる。
しかし、その前の四〇年目で、一定の回顧意識が現われたのは当然であった。その結晶がいくつかの出版物として登場した。本書の七名の筆者の一人である神津陽氏の著書、『極私的全共闘史』(彩流社、二〇〇七)もその一つであるが、惜しむらくは中大を中心とした回顧にとどまった。より人々に知られたのは、小熊英二氏の『1968』(新曜社、二〇〇九)であったろう。
この書は上・下両巻にわたり、厖大な紙数を費やして事実を再構成し、その典拠を示したことによって画期的なものと思えたが、惜しむらくは小熊氏自らがかなり後の世代に属し、その文献主義の成果には隔靴掻痒の感がつきまとうということがあった。もちろん、それは歴史叙述の方法の問題でもあり、軽々しく批判はできないことであるが、「一九六八年」の当事者からすると、かなりの異和感が残るものであったことは確かである。
もう一つの問題は、個別大学闘争の取り上げ方がなお不十分であることである。東大闘争を中心にし、次いで日大闘争を取り上げ、その前段としての慶大・早大・横国大・中大を視野に収めているのはよいが、東大とともに一九六九年度入試中止処分をうけた東京教育大の闘争にはまったくふれていない。慶大の闘争は六八・六九年にも燃え上がったが、六五年の学費闘争のみが取り上げられている、などである。
それに対して、前記の神津氏の著書は二年先んじて刊行されていたが、中大にとどまらないより広い裾野と繋がっていた。それが、政治同人誌『21世紀への置文(おきぶみ)』(現『置文21』)における大学闘争四〇周年特集の連続掲載である。この同人誌は年一回刊の比較的狭い範囲でしか流通していないものであったが、その編集部は苦心して、大学闘争四〇周年におけるその当事者たちの各個別大学闘争の記憶の掘り起こしと収集をめざした。その結果、二〇〇七年号(神津氏論文をここに収録)・二〇〇八年号・二〇〇九年号・二〇一〇年号の四号にわたって、四大学の有志六氏の労作が日の目を見た。基本的に、それらを一冊の本に編んだのが本書である。
本書を手にとられた方は、個別大学闘争の記録に重きを置くと謳いながら、中大・教育大・慶大・日大の四大学しか取り上げていないことに不満を覚えられるかもしれない。しかし、すでに一九六八年以後の比較的短い時間で、少なくとも全都的な各大学全共闘の繋がりは粉々に飛び散ってしまっていた。その後の長い年月の中で、社会の微地形を辿って改めて邂逅したのが、右記の四大学(の当事者)であったわけである。その意味では、この新たな邂逅は奇跡的ともいえると考える。
また、小熊氏がその叙述の中軸に据えた東大闘争がないことは、いかにも画龍点睛を欠くものだという指摘もあろう。右記の『21世紀への置文』の編集部もそれなりに努力して、東大闘争当事者の発言を得ようとした。しかし、残念ながら、改めての邂逅を果たすことはできなかったのである。このことは、各大学全共闘主体の胸中には、四〇年を経ても書き尽くせない様々な想いがある、ということであろう。
もっとも、小熊氏の本や本書を読んで、大学闘争の事実相がつかめたとするのは、早計である。最近も、芝工大全学闘の諸君が、勝利に終わった芝工大闘争の記録を上梓されたりしている。この種の多くの書を読み合わせる努力によってこそ、事実相は明らかになるといえる。その意味では、本書もなお記録途上のものである。日大のみなさんは、いろいろな会を創り今なお記録の作業を進め、正式記録を編み上げようとしているのである。
こう考えてみると、⑴当事者が直接、⑵個別大学闘争に執着して、記録を遺していくという本書の行き方が、二一世紀も二回り目に入る中で、どれほどの意義をもつのか?という問いが頭をよぎらないでもない。すでに小熊氏の本がほのめかしているように、大学闘争という枠自体が狭く、問題はそこに端を発した社会的な闘争・運動がどのように広がり、また今に至っているのかだ、とも立てることができるからだ。すると、高校生闘争、中学生…若者叛乱、市民運動、リブの運動、党派的には赤軍各派、等々の考察のほうが重要だということになる。極端に言うと、各大学での発端はどうでもいいということになりかねない。
社会的な闘争・運動が順調に発展してきているものだとしたら、このような方法でもよいかもしれない。しかし、歴史はジグザグに富み、大いなる後退がある。今現在の日本において、考えなくてはならないのは実はこの点ではなかろうか。記憶はやはり一つの財産なのである。戻るべき地点があるということは、政治においては大きな強みとなる。しかし、心さなくてはいけないことは、それは容易に保存されるものではなく、刻々うつろい、崩れているということだ。
晩唐の詩人、李商隠は、自己の五〇年を振り返った果てに、「此の情、彼の時、すでに惘然」と嘆じた。われらすでに彼の時より四〇余歳を生きて、今、茫然たらざるものがよくあるであろうか。切に本書の意義を訴える次第である。 (二〇一一年九月五日) 前田 浩志
上記内容は本書刊行時のものです。