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ポルノグラフィと性暴力【オンデマンド版】
新たな法規制を求めて
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2008年12月
- 書店発売日
- 2008年12月15日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2014年12月25日
紹介
インターネットの普及に伴ってますます増殖し、通常のメディアでも一般化が進むポルノグラフィ。「表現の自由」が叫ばれる裏側で多発する、ポルノグラフィが直接的・間接的に引き起こす性被害をいかに法的に救済するのか。アメリカとカナダの事例から考察。
目次
はしがき
第1部 ポルノグラフィの再定義
第1章 ポルノグラフィとは何か
1 男性支配のエロス化
2 女性の従属
3 男性の社会化とポルノ使用
4 男性の非人間化
第2章 性売買としてのポルノグラフィ
1 性・ジェンダー・暴力
2 性売買の概念区分
3 売買春
4 ポルノグラフィ
第3章 性売買批判の論拠
1 二重の論拠
2 性差別としての性売買
3 「性=労働」論をめぐって
第2部 深刻化するポルノ被害
第4章 ポルノ被害とは何か
1 ポルノ被害の類型
2 制作被害
3 消費被害
第5章 二つの凶悪事件
1 バッキービジュアルプランニング事件
2 「関西援交」シリーズ事件
第6章 インターネット時代の暴力ポルノ
1 暴力ポルノの現状と歴史
2 インターネットの影響
3 裁判と報道の限界
第3部 ポルノグラフィの法規制
第7章 「わいせつ」物規制法
1 性の私秘化
2 わいせつ物規制法の起源
3 ポルノ産業による性の公然化
4 自由主義からの批判
5 フェミニズムからの批判
第8章 アメリカ「反ポルノグラフィ公民権条例」
1 条例制定前史
2 条例の意義
3 条例の特質
4 条例の挫折
5 違憲判決の論理
6 条例と「表現の自由」
7 条例の継承
第9章 カナダ「わいせつ」物規制法の「被害アプローチ」
1 「性の不当な搾取」の禁止
2 バトラー判決の概要
3 バトラー判決の先駆的法理
4 日本への示唆
第4部 性的人格権の復位
第10章 性的自己決定権の意義と限界
1 性的自由の意義
2 「性=雇用労働」論批判
3 「性=自営業」論の問題点
第11章 性的人格権の復位
1 〈性〉の人格的価値
2 性売買批判としての性的人格権
3 性的自由の権利構造
4 今後の方向性
【参考資料】アメリカ反ポルノグラフィ公民権条例(モデル条例)
あとがき
前書きなど
はしがき
ポルノグラフィと法規制――古くて新しい、しかも緊急の検討課題ではあるまいか。本書はこの問題に、ポルノグラフィが現実的かつ具体的にもたらしている広範な性被害の観点からアプローチする。そのことによって、ポルノグラフィの法規制論の土俵を、「表現の自由」から、性被害の救済方法の問題に転換することをめざしている。いいかえると、ポルノグラフィそのものをなくすことよりも、ポルノ被害をなくすことに法規制の目的を変え、そのことをつうじて性的表現物の質的転換をめざすのである。
いま――とくにインターネットの発達にともなって――ポルノグラフィはかつてないほど増殖・流通し、一般メディア(雑誌・広告・テレビ・ゲーム・映画等)さえますますポルノ化し、ポルノグラフィのいわば「社会標準化」が急速に進行している。それとともに、ポルノグラフィの影響を明らかに受けていると思われる性犯罪が激発している――痴漢、強制わいせつ、盗撮、集団強かん、等々。社会を震撼させた凶悪なものを含め、そうした多くの性犯罪の報道を注意してみれば、ポルノグラフィが加害者に与えたであろう影響を明白に知ることができる。また、ポルノグラフィの制作現場では、出演者(圧倒的多くが女性)に、非常に屈辱的で残酷で非人道的な行為が行なわれ、中には組織的・集団的に女性をだましてポルノグラフィを撮影したり、集団で暴行・拷問を加えたりすることが行なわれている。未成年に虐待的性行為を強要してつくられるポルノグラフィも、いまだ多く出回っている。
ところが、ポルノグラフィの現場で生じているこのような深刻な被害事実を伝えるマスメディアの報道はほとんどない。また、ポルノグラフィの社会標準化現象やポルノグラフィが生む深刻な性犯罪について批判的に論じる論説や著作、ポルノグラフィを、それがもたらしている日常的かつ広範囲にわたる深刻な性暴力被害という観点からとらえなおす検討作業は、皆無ではないが驚くほど少ない。ポルノグラフィの深刻な問題性は、多くの人々に潜在的には意識されながらも、大体において見過ごされてきた。その間に、ポルノグラフィの社会標準化は進行する一方であった。セクシュアル・ハラスメントやドメスティック・バイオレンスが次々に新たな性暴力・性犯罪として「発見」され、法的規制を含む社会的取り組みが進展したことと比べると、きわめて対照的である。
ポルノグラフィを性被害の観点からとらえることには、従来から大きく二つの壁が立ち塞がってきた。一つは、ポルノグラフィを見たり読んだりすることと性犯罪を実行することとの間に「科学的」な「因果関係」が立証されていない、とする議論である。逆にポルノグラフィは性犯罪を減少させているのだという主張が根強くある。もう一つは、ポルノグラフィはもっぱら「表現」にすぎず、映像の中で行なわれていることはすべて「バーチャル」な「演技」、男性の「ファンタジー」にすぎない、という通念である。この一般通念は、ポルノグラフィの制作現場で生じている出演女性に対する震撼すべき性暴力を不可視化する社会的圧力となっている。これら二つの壁に新たに加わったのが、「性=労働(セックスワーク)」論である。本書で紹介しているような深刻な被害が明るみに出ても、それは「セックスという危険な仕事」に伴いがちな例外的現象にすぎず、多くの女性は「辛いけど」「お金のために」「仕事として我慢して」「自分の仕事に誇りを持って」ポルノグラフィに出演していると喧伝される。もしも運悪く、悪徳業者にひどい目に遭わされたとしても、「危険を承知で出てるんでしょう」「自己責任だ」とされる。
本書は、こうした社会状況や一般通念に、批判的な立場から書かれている。まず「第1部 ポルノグラフィの再定義」において、常に論争的なポルノグラフィの定義づけを行ない(第1章)、とくに実写のポルノグラフィを広く売買春と並ぶ性売買(セックス・トラフィッキング)の一形態と位置づける(第2章)。ポルノグラフィをもっぱら「表現」とみるのではなく、性売買行為の一形態とみなすことによって、ポルノグラフィの法規制の新たな視座を獲得するためである。さらにポルノグラフィを含む性売買を批判する論拠を、性差別と人格(尊厳)侵害の二側面から考察する(第3章)。
「第2部 深刻化するポルノ被害」では、ポルノグラフィがもたらす広範かつ膨大な性被害――ポルノ被害――について、具体的な事件や事実に基づいて論じる。まず「ポルノ被害」を類型化して概説したうえで(第4章)、近年発生した二つの凶悪かつ深刻な事件――バッキービジュアルプランニング事件と「関西援交」事件――を紹介する(第5章)。さらにインターネットの普及が、ポルノ消費と供給を未曾有に拡大・増大させ、メーカーとユーザーを一体化させることによってポルノグラフィをいっそう差別的・暴力的にさせている実態について検討する(第6章)。総じて、ポルノグラフィが原因となった、ポルノグラフィの中にいる女性と外にいる女性に生じている性被害が、決して例外的現象ではなく、広範に存在していることを明らかにする。
こうした事実を基礎にして、「第3部 ポルノグラフィの法規制」において、ポルノグラフィの新たな法規制――既存の刑法「わいせつ」物規制に代わる別のアプローチと思想に基づく法規制――を検討する。一つには、一九八〇年代にアメリカの各地方で制定が目指され、実際に地方議会を通過し、住民投票で可決された「反ポルノグラフィ公民権条例」について詳しく検討し、また、カナダの刑法「わいせつ」物頒布罪規定を、アメリカの条例の思想に影響を受けつつ「被害アプローチ」から再解釈したカナダの最高裁判所判決を紹介し、その意義を明らかにする。それらはいずれも、個人的自由・権利に対してポルノグラフィがもたらしている具体的な侵害に、何よりも基礎を据えた規制立法である。
最後に、「第4部 性的人格権の復位」において、性に関する人の基本的な権利――本書はそれを「性的人格権」と呼ぶ――を展開する。ここでは、従来唱えられてきた「性的自由」や「性的自己決定権」が、性売買の文脈において批判的に検討され、それらと本書の提唱する「性的人格権」との関係が明らかにされる。性に関する人権を最後に論じるのは、ポルノグラフィに対する新たな法規制が、何よりも性に関する人権論にしっかりと基礎づけられなければ、それは従来の「わいせつ」物規制とはっきりと訣別することができず、ポルノ規制に批判的な人々が危惧するように、個人の自由と相反する国家主義的で、性道徳主義に基づく規制論に、いつでも変質しかねないからである。
本書が、ポルノグラフィさらには売買春を含む性売買一般に危機感を抱いている人々に、何らかの新たな批判的視点を提供することを願っている。
上記内容は本書刊行時のものです。