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幸運を探すフィリピンの移民たち
冒険・犠牲・祝福の民族誌
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2019年2月28日
- 書店発売日
- 2019年2月28日
- 登録日
- 2019年2月20日
- 最終更新日
- 2019年2月28日
書評掲載情報
2020-11-14 |
日本経済新聞
朝刊 評者: 石井正子(立教大学教授) |
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紹介
フィリピン国民の1割が国外で働いていると言われるが、彼らの移動は経済的な理由だけで説明可能なのか。同国の歴史的・地域的背景を明らかにしながら、「幸運探し(サパララン)」のために移動する人々の姿を描き出し、労働移動を捉える新たな側面を提示する。
目次
序章 冒険とつながりの民族誌に向けて
一 サパラランとの出会い
二 幸運探しとしての移動
三 移民と故地とのつながり再考
四 調査方法と用語について
第一部 サマール島における人の移動
第一章 サパラランの歴史・地理的背景
一 「数多くの島からなる島」の人びと
二 島の歴史と人の移動(1)――開拓移民の受け入れ
三 島の歴史と人の移動(2)――都市での機会を求めて
四 島の歴史と人の移動(3)――国際移民の増加
第二章 バト村の人びとの暮らしと移動
一 バト村の概況
二 村の形成とその後の変遷
三 村人の移動の多様性
四 生きかたの一部としての移動
第二部 運命とサパララン
第三章 移動・豊かさ・リスク
一 サパラランとは
二 空間と移動――富の偏在とリスク
三 サパララン前線としてのマニラ(1)――「マニラ」の登場から分村成立まで
四 サパララン前線としてのマニラ(2)――新たな場所への挑戦
第四章 サパラランの過程
一 旅立ちとサクリピショ
二 幸運探しの方法
三 幸運の獲得
四 サパラランに対する評価
第三部 幸運を通じたつながり
第五章 祈りの世界のサパララン
一 村人の生活のなかの信仰
二 人の運命を変える力
三 幸運とモラリティ
四 神とのつながり、人とのつながり
第六章 ブオタン精神がつなぐ移民と村の人びと
一 村の社会関係――家族・親族・食の共有をめぐって
二 生を支え合う者同士としてつながる移民と家族
三 幸運者のフィエスタ帰省と幸運の分け与え
四 幸運の分け与えのジレンマ
第四部 つながりの揺らぎと再編
第七章 都市で暮らす移民の間の「分け与え」と「自立」
一 成功者の間にみられる理念
二 相互扶助と自助努力の狭間で
三 噂によるコントロール
四 複数の理念の間を巧みに生き抜く
第八章 「村」を離れる人びと
一 移民二世にとってのバト村とは
二 中間層住宅地で暮らす家族に起きた変化
三 国際移民の村との多様なつながりかた
四 移民と村とのつながり再考
終章 グローバル化時代における幸運とつながり
一 サパララン・モデルの汎用性
二 グローバル化時代の「幸運」研究
三 幸運を通じたつながりの関係性のなかで
四 移動文化を支えるつながりのダイナミズム
注
あとがき
参照文献
事項索引
人名索引
前書きなど
序章 冒険とつながりの民族誌に向けて
(…前略…)
以下、本書の構成と内容を簡単に説明する。本書は、この序章のほか、本論四部八章、終章からなる。第一部では、本書の舞台となるフィリピン中部のサマール島で、少なくとも数世紀前から人びとが活発に移動していた様子を描く。第一章では、サマール島に関する地方史、統計資料、口述資料をもとに、同島を取り巻く政治経済状況の変遷との関連で同島の人びとの移動の特徴について分析する。続く第二章において、サマール島西岸の調査村で行った村人の移動の史的展開に関する調査結果から、村では農業、漁業、賃金労働といった様々な分野で、移動を組み込んだ生業が営まれてきたことを述べる。
第二部は、本書が注目するサパラランという概念について詳述する。第三章は、カトリック教徒が九割を占める調査村の人びとの生活世界のなかから「サパララン」とはどのような考えかたなのかについて考察する。村人の行為や語りからすると、それは、①人間の運命は人それぞれ定まっているが、自己と神との関係に働きかけることで変えることもできるという主体的な意味合いを持つコスモロジーと、②富は世界に偏在しており、危険を覚悟のうえで行動するならば、一部の人はそれを得られるという空間と自己に関する観念に基づいていることがわかる。第四章では、村からの移民のライフヒストリーをもとに、幸運探しのプロセスを描き出す。プロセスのなかで重要なのは、幸運を得るためには「犠牲」(リスクを負い、苦難に耐え、様々な努力をする等)が必要であり、犠牲をいとわない姿が神に認められたならば、神から祝福が与えられるかもしれないという考えかたである。
第三部は、幸運を軸としてみた場合の、移民と神と周囲の人びとという三つの存在の関係性について考察する。第五章では、祝福は犠牲との単純な「交換」ではなく、神が好感を持つ人に与えるものであるため、人間は、神のような慈悲の心に基づいた分け与えをするモラルに準じた人(ブオタン)であり続けなくてはならないことを示す。つまり、幸運探しとは、神との間の絶え間ない相互行為と自己変容なのである。そして第六章で、この考えかたにより、移動後に富を得た移民が、ブオタンな行いをする人か否かという評判によって、幸運者か、富を得ただけの単なる金持ちかに分けられ、前者は故地においてつながりを持つ人びとが増え、後者は反対に孤立していく様を述べる。
第四部は、幸運を通じてつながる「村」から離れる移民に注目する。第七章では、調査村の人びとの考えかたや行いは一枚岩ではなく、都市に移住した移民の間では富の分配をめぐり、複数の理念が絡み合い、対立やすれ違いが日常的に起きている様子を述べる。つづいて第八章において、移民と故地の人びととのつながりが弱まり、移住先の人びととのつながりが新たに構築されるケースを取り上げる。ただし、故地とのつながりが弱まったような状態であっても、必要と思う契機があればそれは再活性化する。このようにつながりは、選択的に強まったり弱まったり、消えたり同じ原理のものが新たに出現したりして、サパラランという営みを支えていることを示す。
終章では、移民たちの出身地域における移動の意味とかれらの実践を理解する重要性を述べる。そして、これまで強調されることはなかったものの、「幸運探し」に類似した概念は世界の他の地域、時代、階層でも存在することから、幸運探しと人の移動の研究の深化は本書の事例の範疇を超えて求められうることを述べ、本書を括る。
(…後略…)
上記内容は本書刊行時のものです。