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帝国日本のアジア研究
総力戦体制・経済リアリズム・民主社会主義
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2015年1月
- 書店発売日
- 2015年1月30日
- 登録日
- 2015年1月22日
- 最終更新日
- 2015年1月30日
書評掲載情報
2015-04-19 |
読売新聞
評者: 牧原出(政治学者、東京大学教授) |
2015-03-15 | 日本経済新聞 |
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紹介
戦時期、総力戦体制のもと動員された知識人は勃興するアジアのナショナリズムをどう捉えたか。アジア経済研究所創設に貢献したアジア経済学者・板垣與一の歩みを通して、経済リアリズムに基づく日本・アジア関係の知的・制度的継続性を明らかにする労作。
目次
プロローグ
第1章 帝国日本の貫戦史
一 課題と視角
二 歴史的背景――貫戦期という時代
三 経済学の貫戦史と板垣與一――植民政策学と政治経済学
第2章 近衛新体制と海軍の南進論
一 海軍省による知識人の動員
二 板垣與一と東南アジア
三 板垣與一と海軍省綜合研究会
第3章 東南アジア軍政と知の動員
一 陸軍南方調査団の設立
二 板垣與一と東南アジア軍政
第4章 「戦時変革」と戦後国際秩序――地域再編と社民主義
第5章 アジア研究の再建
一 戦後アジアをめぐる知と組織
二 アジア経済研究所の誕生
第6章 戦後の学知とアメリカ
一 アメリカ民間財団と日本の社会科学
二 板垣與一とアメリカ反共リベラル
エピローグ 総力戦体制から民主社会主義へ
註
参考文献
あとがき
索引
前書きなど
プロローグ
一九五七年夏のある日、四人の研究者が一人の男性に付き添われて首相の静養先を訪れた。訪問先は商工官僚から政界に転じた岸信介。そのとき首相の座にあった岸は一九三〇年代後半に陸軍と協調して満洲国の工業化を推し進め、四〇年代前半は東条内閣の閣僚であった。敗戦を受けてA級戦犯容疑者として連合国に逮捕されるも、起訴を逃れて三年後に出獄し、一九五二年に政界へ復帰した。そして、一九五五年の保守合同を主導して以来、自由民主党の中心的存在であった。一九五七年に首相となったこの人物は、一九六〇年の日米安保改定で歴史に名を残すが、就任当初は経済に明るい政治家としてアジア諸国との賠償協定締結に注力していた。
岸のもとへ足を運んだ五人の訪問者は、板垣與一、川野重任、山本登、原覚天、藤崎信幸、アジアに関心を持つ四人の経済専門家と一人の元満洲国官吏、であった。一九五〇年代前半に、政財界を巻き込んでアジアに関する団体を相次いで設立・運営していた五人は、アジア研究機関を設立するよう首相に進言した。五人のうちの三人、周囲から「トリオ」とよばれた板垣、川野、山本は、戦時期に植民政策や経済政策を専攻した大学教員であった。岸との面談において五人を代表したのは、戦時期に海軍や陸軍の調査員を務めた板垣與一である。日本・アジア関係に関する報告を首相に提出した後、板垣は国立アジア研究所の設置を要請した。「いくら必要か?」との岸の問いに、板垣は満鉄調査部をはじめとする戦時期の研究機関の予算規模を挙げ、「三〇億円」と答えた。「わかった」という岸の声で八〇分間の面談は終わり、翌日の全国紙がそれを報道した。
板垣與一らの陳情は、岸信介だけでなく、政財官界の有力者を巻き込み、一九五八年一二月のアジア経済研究所(アジ研)の設立というかたちで結実する。日本におけるアジア研究の崩壊をもたらした敗戦から一三年、板垣らアジア専門家たちは、アジアに関する資料を収集・保存し、研究者を育成・雇用する場所を手に入れたのである。
通商産業省傘下の機関として誕生したアジ研は、本書が示すように、戦時期に政府の介入を通じて国民経済・社会の管理を試みた国家社会主義者(state socialist)と、協同主義的な帝国秩序によって植民地ナショナリズムとの融和を試みた機能主義的アジア主義者の連携による産物である。アジ研は、現在も経済産業省の独立行政法人・日本貿易振興機構に付随する組織として、地域研究に関する世界最大級の研究機関であり続けている。本書では、板垣與一(一九〇八─二〇〇三)の戦時期・戦後の歩みを追いながら、社会科学の戦時動員、植民地秩序と国民経済をめぐる問題、戦後における日本・アジア関係の再編とアジア研究の再建、冷戦下の文化政治と日米関係といった問題を議論したい。
上記内容は本書刊行時のものです。