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チベットの歴史と宗教
チベット中学校歴史宗教教科書
原書: Gyal rabs chos 'byung dang rigs lam nang chos; Tibetan Reader VI Part II / VII part II / VIII part II
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2012年4月
- 書店発売日
- 2012年4月10日
- 登録日
- 2012年4月5日
- 最終更新日
- 2012年6月19日
紹介
1959年のダライ・ラマ十四世の亡命後、幾多の困難を乗り越えたチベット人の、次世代のために作成された教科書。王統史、仏教史、論理学、仏教学という4つのチベット文化の心髄を学び、国を失う体験をしながらも偏狭なナショナリズムに陥ることなく慈悲の心を養う。
目次
第1部 王統史
○六年生
第1課 チベット世界の形成とそこに住む者たちの起源
第2課 原初のチベット社会の姿
第3課 古代チベット王国の覇権
第4課 チベットの政治と仏教の繁栄
第5課 ティソンデツェン王からランダルマ王までの時代
第6課 分裂期のチベット
○七年生
第7課 チベットとモンゴルが高僧と施主の関係を結ぶ
第8課 パグモドゥ派の時代
第9課 リンプン派の時代
第10課 地方官ツァン派の時代
第11課 勝者王(ダライラマ)一世から四世までの時代
○八年生
第12課 勝者王(ダライラマ)五世の時代
第13課 勝者王(ダライラマ)六世の時代
第14課 勝者王(ダライラマ)七世の時代
第15課 勝者王(ダライラマ)八世の時代
第16課 勝者王(ダライラマ)九世と十世の時代
第17課 勝者王(ダライラマ)十一世と十二世の時代
第18課 勝者王(ダライラマ)十三世の時代
第19課 勝者王(ダライラマ)十四世
第1部 注
第2部 インド仏教史91
○六年生
第1課 卍ボンの伝統
第2課 釈尊が兜率天から人界に降臨し、母の胎内に宿り、お生まれになったこと
第3課 釈尊が様々な技芸に秀で、妃たちと戯れられたこと
第4課 釈尊が輪廻の苦しみを御覧になったこと
第5課 釈尊が出家して苦行をなされたこと
第6課 釈尊が悪魔を降されたこと
第7課 釈尊が覚りを開き、その教えを説かれたこと
第8課 釈尊が涅槃に入られたこと
○七年生
第9課 釈尊の法灯をついだ七人の弟子(付法藏七師)
第10課 三回にわたる仏典結集
第11課 クリクリ王の十の夢兆
第12課(補遺) 仏の教えに三度の迫害がおきた様
○八年生
第13課 聖ナーガールジュナ(龍樹)
第14課 アーリヤデーヴァ師(聖提婆)
第15課 聖アサンガ(無着)
第16課 ヴァスバンドゥ師(世親)
第17課 ディグナーガ師(陳那)
第18課 聖ダルマキールティ(法称)
第19課 グナプラバー師(徳光)とシャーキャプラバー師(釈迦光)
第2部 注
第3部 論理学
○六年生
第1課 チベット論理学(ドゥラ)の基礎
第2課 問答法の基礎──色についての議論
第3課 存在するものの分類について
第4課 原因と結果について
○七年生
第5課 普遍と特殊について
第6課 定義するものと定義されるものについて
○八年生
第7課 認識の分類について
第8課 五十一の心の働きについて
第3部 注
第4部 仏教
○六年生
第1課 仏・法・僧の三宝の礼拝・供養の作法について
第2課 「四つの聖なる真実」(四聖諦)の体系
第3課 観音の六字真言(オーン・マ・ニ・ペ・メ・フーン)の説明
○七年生
第4課 行為とその結果について
第5課 ボン教の哲学と実践
第6課 ニンマ(古)派
第7課 カギュ派
第8課 サキャ派
第9課 カダム派
第10課 ゲルク派
○八年生
第11課 悪行の軽重
第12課 説一切有部と経量部の思想
第13課 唯識派の思想
第14課 中観派の思想
第4部 注
解説
前書きなど
解説
1959年のチベット暦の正月、中国軍に対するチベット人の怒りは最高潮に達していた。ダライラマ十四世を護ろうとノルブリンカ離宮の回りに集まってきたチベット人たちが中国軍に殺戮される事態を避けるために、ダライラマは西暦の三月十七日に離宮をでてインドへと向かった。
チベットの政教の長であったダライラマがインドへ亡命すると、中国政府はチベットの社会主義化を急速に推し進め、さらに大量のチベット人がヒマラヤを越えた。二十四歳のダライラマは数万に及ぶチベット難民の生活のたつきを探すこととなり、インド政府と話し合った結果、難民たちは道路建設の労働者として雇い上げられることとなった。山間部にある道路建設現場には事故がしばしば起こりたくさんのチベット難民が命を落とし、彼らの子供たちも劣悪な環境下で弱っていった。
このような状況を受けてダライラマは、インド政府の支援の下、難民の子供たちをダラムサラに集めて育てる決断をした。1960年5月、五十人の子供たちが道路工事現場からダラムサラへと到着した。いくつかの建物に子供たちを集めて住まわせ、ダライラマの姉ツェリンドルマが先頭に立って子供たちの世話をした。当初子供たちは泣き声もあげる力もなく次々と息絶えていったものの、世界中の援助団体の力によって、死者の数は徐々に減っていった。これが有名なチベット子供村(TCV)の始まりである。
一方、本土チベットの仏教文化は「宗教をアヘン」と忌み嫌う社会主義中国の下で徹底的な破壊を受けた。中国政府は反革命分子の巣窟として僧院を破壊し、僧侶を還俗させ、代々の名王・名僧によって作られてきた経典、仏像、仏塔は廃棄された。廃棄された経典は道路にあいた穴の穴埋めなどに用いられたため、経典を踏めないチベット人は外を歩くこともままならなくなった。このような本土チベットの事態は、チベット文化を護ることができるのは、もはやインドに亡命した難民だけであることを示していた。
文化大革命が終わり中国政府による国境の監視が緩くなると、チベット人の親たちは、子供たちがチベット人として育つことを願って、子供たちをインドに送り出した。1980年代から始まった開放政策によって中国の学校の教科書や学費は有料となり、貧しいチベット人にとって教育の機会自体が遠のいたため、さらに多くのチベット人の子供たちインドへ逃れた。しかし、2008年、北京オリンピックの年に起きたチベット蜂起以後、中国政府はネパール政府と協力して国境の監視を強めており、チベットからの亡命者の数は激減している。
現在、チベット子供村の支部はインド各地に作られたチベット人居留地に建ち、一万数千人の子供たちが教育を受けている。ダライラマの姉ツェリンドルマが1964年に胃がんで他界したあとは、「チベットの母」の座は、ダライラマの妹ジェツゥンペマが引き継がれた。
チベット子供村の子供たちは、無償で衣食住の提供を受け、十年にわたってインドの義務教育とチベット文化の教育を受けることができる。新学期はチベット暦の新年(ロサル)に合わせて始まり、その年に七つになる子供が新一年生となる。卒業年次の十年生においては、世界中のチベット亡命社会の学校において共通試験が行われる。卒業試験で優秀な成績を収めた学生は、理系・文系・ビジネスの三コースに別れてより上の学校に進み、中でも優秀な学生は特進学校に進む。子供たちの生活は、教師ばかりでなく、生活の面倒をみる寮母、コック、近郊の僧侶たちなど、多様な大人たちによって見守られている。
子供村の教育においては、チベット文化の心髄である仏教が非常に重要な役割を担っている。寮にも学校にも共有のスペースには仏画とダライラマ法王の写真が飾られており、一日は読経で始まり、教科書の内容も仏教色が豊かである。チベット子供村のモットーである「自分より他者のことを思いなさい」(Other before self)も、仏教の利他の精神に基づいており、このモットーの下で、教師と生徒、生徒同士の間には家族のような雰囲気が醸成されている。生徒たちは卒業後も失業した人に仕事を融通する、病気になった人の面倒をみる、後輩の里親になるなどの助け合いを続けることとなる。
以上のことからも分かるように、チベット子供村の教育理念は、チベット文化の心髄である仏教を通じて、完成された人格を作り上げることにある。子供村で育つうちに子供たちは、エゴを押さえ、他者を慈しむ習慣を身につけ、国を失うという究極の体験をしつつも偏狭なナショナリズムに陥いることなく、中国人に対してすら慈悲の心を示すようになっていく。このチベット難民の姿に世界中の人々は感銘を受け、世界中から集まってきた援助の下で、チベットの僧院文化はかろうじて存続し、チベット子供村の運営も可能となってきたのである。
本書はチベット子供村で用いられているチベット文化を教える教科書の、六年生、七年生、八年生用の三冊を一冊にまとめたものである(チベットの文字や文学を教える教科書はまた別にある)。内容は「王統史」「インド仏教史」「論理学」「仏教」の四部構成であり、それぞれの部の記述内容は、伝統的なチベットの文献群からの忠実な要約・抜粋で構成されている。たとえば、「王統史」はチベットの年代記文献(チュージュン)によっており、「インド仏教史」は『プトン仏教史』、『ターラナータの仏教史』からの引用が多く見られる。また、「論理学」は僧院内で用いられている伝統的な論理学の入門書(ドゥラ文献群)によっており、「仏教」は、ゲルク派の開祖ツォンカパの主著『ラムリム』中の「小人物の修行」が典拠となっている。また、インドの四大学派、チベットの四大学派についての記述は宗義書文献(ドゥプタ)に拠っている。
「論理学」と「仏教」の12章~14章は福田洋一が、それ以外の章は石濱裕美子が担当した。「論理学」と「仏教」のインド仏教の諸学派については、直訳するだけでは理解し難い部分があると思われたので、かなり言葉を補った。
チベット人性を育むテクストの一つとして、また、チベット仏教文化の入門書として、本書は読者の興味に応えることができると思う。
上記内容は本書刊行時のものです。