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消費社会の魔術的体系
ディズニーワールドからサイバーモールまで
原書: ENCHANTING A DISENCHANTED WORLD, 2nd ed.
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2009年4月
- 書店発売日
- 2009年4月16日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2015年8月22日
紹介
われわれはなぜ「消費」を促され、強いられ続けているのか。ウェーバーからボードリヤールにいたる社会学思想の系譜と、世界を覆う「新しい消費手段」のさまざまな実例とを交差させ、合理化とともに「魔術化」の道を辿り続ける現代消費社会を解析する。
目次
まえがき
第1章 新しい消費手段を一巡り
ディズニーワールド
新しい消費手段
消費の殿堂
消費の殿堂の概観
フランチャイズ店およびファーストフードレストラン
チェーン店
カタログ販売
ショッピングモール
電子ショッピングセンター
ディスカウントストア
スーパーストア
クルーズ船
カジノ
成人向け娯楽
イータテインメント
その他の消費手段
競技施設
高級ゲーティッドコミュニティ
教育環境
医療と病院
博物館と慈善事業
メガチャーチ
結論
第2章 消費の革命と拡大する社会
なぜ今なのか
経済
若者市場の成長
技術革新
新しい促進手段
米国人の消費額の変化
消費の殿堂の役割
米国人の消費様式の変化
ワンストップショッピング
目的地
自分ですること
社会的関係の変化
他国人の消費様式の変化
国際的影響力の増大
米国への巡礼
傾向に対する批判
結論
第3章 社会理論と新しい消費手段
マルクス主義理論と消費手段
消費者に対する搾取と管理
ウェーバー理論と魔術化、合理化、脱魔術化
合理化
脱魔術化
魔術化
ポストモダン社会理論と再魔術化
結論
第4章 合理化、魔術化、脱魔術化
新しい消費手段の合理化
効率性
計算可能性
予測可能性
人間的技術から非人間的技術への置換による管理
合理性の不合理
合理化と脱魔術化の結びつき
魔術化としての合理化
結論
第5章 再魔術化 I ――エクストラヴァガンザおよびシミュレーションを通したスペクタクルの創出
スペクタクル
エクストラヴァガンザ
シミュレーションによるスペクタクルの創出
シミュレーションの時代
シミュレーション化された人々
シミュレーションと新しい消費手段
テーマ化
「典型的なシミュレーション」
シミュレーション化されたコミュニティ
結論
第6章 再魔術化 II――内破、時間および空間を通したスペクタクルの創出
内破
消費手段の内破
時間と空間
空間――家庭への内破
時間――消費可能時間の内破
時間――過去、現在および将来の所得の内破
スペクタクルとしての時間
異常空間
結論
第7章 消費の風景
社会地理学と風景について
消費の風景
一見わずかに変化した消費の風景――イタリア、ミラノ
激変した消費の風景――テネシー州ピジョンフォージ
まったく新しい消費の風景――オハイオ州イーストンタウンセンター
結論
第8章 新しい消費手段の社会への影響および未来
新しい消費手段はほんとうに「新しい」のか
モダンとポストモダン
特定的な連続性と不連続性
より一般的な要因
その他の問題
かつて明瞭であった区別の不明瞭化
消費のブラックホール
均一化
衛生化
変化した関係
変化した意識
生産なのか、消費なのか、その両方なのか
鉄の檻なのか、小さな檻なのか、開け放たれた空間なのか
ハイカルチャーとローカルチャー
過剰消費への対処
娯楽
脱魔術化された人々
人種、階級、ジェンダーと消費の殿堂
人種
社会階級
顕示的非顕示
ジェンダー
脱魔術化――われわれはどこに向かっているのか
注
訳者あとがき
索引
前書きなど
まえがき
消費者としてわれわれは、数十年前には考えられなかった多くのことをすることができる。たとえば、
(…中略…)
『消費社会の魔術的体系――ディズニーワールドからサイバーモールまで』は過去半世紀における前述の環境やそれらに類似した他の多くのものの進展に関する書物である。われわれが商品やサービスを消費する場所で革命的な変化が起き、消費の性質だけではなく、社会生活にも重大な影響を与えてきた。
消費手段は、本書で取りあげる環境を記述するために使う概念のひとつである。前述の環境は広範な商品とサービスの消費を可能にする手段と見なせる。しかし、お分かりのように、これらの場所は単にモノの消費を可能にすること以上の役割を果たしている。それらはわれわれを消費に仕向ける、さらにはわれわれに消費を強要するように構造化されている。
本書では、しばしば、これらの環境を消費の殿堂と呼ぶ。そうして、このような新しい環境の半宗教的で「魔術化された」性質を際立たせる。これらの環境は消費者の信仰を実践するために「巡礼」する場所になっている。
消費の殿堂(ならびに、たいてい、それらを含む消費の風景[後で詳述])は以前よりはるかに多くのものを消費するようにわれわれを仕向けるうえで一役買っている。われわれは過剰消費の方向に導かれている。また、過去とは異なるやり方で消費するようになっている。たとえば、今、われわれは独りで消費し、ひとつの場所で多種類の商品とサービスを購入し、同じものを多く買い、他のほとんどの人々も利用しているような場所で消費する傾向が強い。実際、わが国の消費の殿堂が世界の他地域に積極的に輸出されているので、他の多数の国の人々もわれわれと同じように盛んに消費し、同じ商品やサービスの多くを手に入れている。
新しい消費手段は社会の他の環境(野球場、大学、病院、博物館、教会など)がまったく時代遅れで、古臭いように見え始めるほどに公衆に受け入れられた。それゆえに、これらの他の環境の管理者はあわてて消費の殿堂を見習おうとしている。たとえば、大学はますます「テーマ」寮、ファーストフードレストラン、フードコート、土産物店、ゲームセンターなどを設置している。学生や親たちは全就学期間にわたって学生が在学したくなるほど特別で、「魔術化された」大学に引き寄せられる消費者と見なされる傾向が以前よりはるかに強い。同様に、最新の野球場は野球の試合だけではなく、それをはるかに凌ぐものを提供している。時には、試合は競技場内にある他のアトラクション、つまりテーマレストラン、フードコート、スイミングプール、ホテル、コンピューター化された強烈なスコアボード、多数の土産品店などを通じてちょっと気晴らしするものにすぎないと思われている。このような環境のなかでは、われわれはファンというより消費者と見なされている可能性が高い。言い換えれば、われわれはショッピングモールやテーマパークを眺めるような仕方で野球場を眺めることが多い。
このような変化の結果として、消費がわれわれの生活に浸透している。われわれはますます消費に夢中になっている。しばしば、われわれは消費に捧げられた環境のなかにいる。われわれの家庭でさえ消費手段になった。電話勧誘販売、ジャンクメール、カタログ販売、テレビ通販、サイバーショップなどがそこに入り込んだ。われわれはほとんど休む間もなく消費するための圧力を受けている。
もちろん、われわれのほとんどは熱心に消費社会の一員になっており、しきりに消費の殿堂を訪れて、それらが提供するものを手に入れている。われわれは最大のスペクタクルを提供している環境に頻繁に通っている。しかし、われわれはたやすく飽きてしまう。それゆえに、ファーストフードレストランからラスベガスのカジノホテルにいたる消費環境は互いに競い合って、どのような環境が最大のショーを上演できるのか調べている。その結果、展示がますますスペクタクル的になり、消費者を誘引する試みが絶えずエスカレートしている。
皮肉なことに、魔術化の努力が功を奏するのは、合理化や官僚化を必要としている多数の消費者を引き寄せたときである。そして、消費の殿堂に引きつけられ、飽き飽きした消費者にとって、消費の殿堂は徐々に脱魔術的なものになる。本書のかなりの部分で、このような正反対の圧力、つまり消費者を魔術化する圧力と脱魔術化する圧力について論じる。
この新しい消費世界の存在は何ら驚くことではない。多くの人々はこのような環境のなかで多大な時間を費やしている。しかし、消費者の魔術化と脱魔術化がどのくらい密接に関連しているのか、消費の殿堂の設計原理が消費に捧げられているとは考えにくい場所でどのように適用されているのか、ますます消費に支配されている社会の創造にこれらの原理がどのくらい役立っているのかについては、よく認識されていないかもしれない。本書では、新しい消費の殿堂がわれわれの考え方と生き方に及ぼしてきた、時には根本的ともいえる影響について詳細に考察する。
(…後略…)
上記内容は本書刊行時のものです。
