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国家社会主義の興亡
体制転換の政治経済学
- 出版社在庫情報
- 在庫僅少
- 初版年月日
- 2007年7月
- 書店発売日
- 2007年7月1日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2012年2月27日
紹介
ソ連建国から資本主義への体制転換を経てロシア連邦に至るプロセスをたどり,東欧や中国の政策との比較分析を通じてその業績と欠陥を再評価する。社会主義がもたらした成果を今後いかに活かすべきかを問いかける名著の邦訳に訳者による4つの書下ろし論文を載録。
前書きなど
訳者解題
本書は、ケンブリッジ大学社会・政治学部のデービッド・レーン(David S. Lane)による The Rise and Fall of State Socialism, Polity Press, 1996. の翻訳とそれに関連する論文を含めた書物である。
著者のレーンは日本だけでなく世界的に著名なソ連・ロシアの政治・経済・社会の実証・理論研究者である。かれはソ連社会とその後のロシア社会の急激な転換を冷静に実証分析することで、社会主義、資本主義への体制転換の理論的な意味を描き出している。
(中略)
言うまでもなく、本書で共通して用いた「国家社会主義(State Socialist)」概念はレーンの名を著名にするものであり、議論の対象として魅力的なものである。同時に、日本語でのこの用語は、民族主義と社会主義の折衷的政策を指向したナチス(国家社会主義・国民社会主義:National Socialism)体制を指すものでもあり、厳格に区別されなければならない。翻訳上、同じ訳を使っているが、明らかに内容は異なる。もっとも、軍需産業・自動車産業の振興、産業国有化、福祉政策は共通するものであり、全体主義として両者をとりまとめる見解にも一定の距離の近さが感じられよう。
もうひとつ、本書での議論には、「現存した社会主義」を等身大で、理論的に描き出そうとする接近が意識されている。社会主義(共産主義)を資本主義との対比で、アングロ・サクソンにない接近として工業社会のひとつの像をソ連とその後続に見いだしている。これは、伝統的な比較経済システム論の視座、すなわち資本主義対社会主義の見方とは大きく異なっている。このことにより、レーンは、一方で、途上国の開発政策と、他方で先進資本主義諸国での福祉国家化と市民社会の発展を取り込んで社会主義を捉えている。国家社会主義がアジアや中南米で民族解放と重なって、ポピュリスト的な措置と重なって発露することも、工業社会への進化過程研究のなかに押し込められよう。同時に国家社会主義は、グローバリゼーション、国際的な政治・経済の文脈のなかで捉えられる。言い換えれば、経済システムの発展を初期条件、世界的な分業と経済発展水準にかかわらせて考察することの重要性が示唆されている。そして、このような視角は資本主義への転換後の社会研究にも当てはまる。
(中略)
本書は、ソ連崩壊を踏まえ、ソ連がなぜ七〇余年持続できたのか、ソ連がなぜ崩壊に至ったのかという両立困難な問いに真正面から対峙した書物である。国家社会主義の歴史と理論の再検討により、国家社会主義の生成から崩壊の全史を明らかにしている。本書は次のように位置づけられる。
本書において、著者は社会主義をイデオロギーと政治運動として広範囲に再評価している。著者は社会主義の伝統を記述し、一九一七年ボリシェビキ革命に始まった「社会主義プロジェクト」を鳥瞰している。著者はまたマルクス・レーニン主義諸国の勃興を検討し、経済的後進諸国に対する実際の政治的アピールを伴う開発原則になったと論じている。
本書の第一部は世界共産主義運動を特徴づける「共産党員の世界」を描いている。東欧、ソ連と中国における発展が比較される。国家社会主義の大きな成果が概括されている。しかし、その欠点もまた述べられており、それは覚醒と改革をもたらすのである。
第二部「決着」は世界資本主義との関係で国家社会主義の緊張を述べている。崩壊に導く国内および国外の変化の源――インテリゲンツィアの勃興、経済低落、イデオロギーの衰退、国際的圧力――が分析・評価されている。東欧、ソ連、中国で採用された改革戦略が比較、論評される。国家社会主義理論が検証され、長期の要因と積もり積もった変化が考察され、崩壊を説明するために著者は「政治」階級と「獲得」階級の間の対立を強調している。
本書はこの分野での主導的な権威的研究者のひとりにより国家社会主義の成果と欠点の明解で包括的な説明、国家社会主義が資本主義に対する実行可能な選択肢として自らを打ち立てることに失敗した理由を論じている。工業社会、開発、社会主義論とマルクス主義、社会的階層化と社会変化、共産主義後に焦点を当てた研究・教育コースの必要文献になっている。
国家社会主義、工業社会のあり方、開発のあり方は、過去を振り返る貴重な視座であるとともに、移行後の社会を跡づけるうえで避けることができない見方であろう。それゆえ、本書では、林、小西と溝端の論文を加え、かれの理論的・実証的成果をいかに移行研究のなかに生かしているのか、その成果をもとにして過去をどのように振り返っているのかを明らかにしている。こうした論文はかれの研究との交差のうえに、かれとの議論や共同研究のうえにあることはいうまでもない。しかし、アジア諸国、とくに中国、ベトナムといった社会主義諸国のあり方、アジア型経済システムのあり方にも関心を持つ日本の研究者と、「ヨーロッパの共通の遺産」としてのソ連型社会主義、ヨーロッパの国家社会主義を捉えるイギリスの研究者との間に横たわる、開発と社会主義の理解に関する微妙なニュアンスのずれを感じ取っていただければ幸いである。国家社会主義の論点は、歴史の問題であると同時に、アジアに共時的に存在する経済システムに固有のものであり、その意味では国家社会主義の生成、崩壊はアジア研究のうえに再構成される必要がある。国家社会主義崩壊のあり方はなお未解決(open question)の領域をはらんでいる。
最後に、本書から学ぶ点として、社会主義という知的資産をいかに今後に活かすのかが問われよう。著者が再三指摘しているのは、社会主義という知的資産の複雑さとともに、奥深さである。資本主義への移行を「歴史の終わり」とは捉えず、「伝統的な形態におけるレーニン主義」すなわちボリシェビズムの終わりと捉える。しかし、この終わりを新たな混迷の時代への突入と見れば、社会主義諸国の体制転換は新たに資本主義の問題にキャッチアップしたに過ぎないということもできる。市場移行はそれで経済システムが完璧なものになることを意味するわけではない。それどころか、ホームレスを含む深刻な貧困、経済格差、何よりも先進諸国でのアブセンティズム・倫理的なモラル低下、さらに投機的な資本主義と拝金主義、いずれも資本主義経済が解決できない問題である。つまり、著者をして、国家社会主義の興亡を踏まえ、資本主義を超える社会像を考えるという知的行為にいささかの迷いも不要であることが明らかになろう。私は、これまで市場移行諸国において、経済主体が市場にどのように適合するかという点に関心を持ってきた。しかし、本書は、市場に適合して自由・平等といった価値観により、人々の満足は満たされるのか、市場に適合しなければ人間は生き残れないのか、といったより根源的な経済問題を避けて通ることはできないことを教えているように思われる。「社会主義の目標は、国家社会主義の崩壊によって評価を落とすものではない」という結論の重みを真摯に受け止めたい。
二〇〇六年一二月
溝端佐登史
上記内容は本書刊行時のものです。
