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イスラームの黒人奴隷
もう一つのブラック・ディアスポラ
原書: ISLAM'S BLACK SLAVES: The Other Black Diaspora
- 出版社在庫情報
- 在庫僅少
- 初版年月日
- 2007年5月
- 書店発売日
- 2007年5月31日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2012年2月27日
紹介
イスラーム世界にもブラック・アフリカから売られてきた黒人奴隷がいた。しかしそのあり方は,キリスト教世界のそれとはまったく異なっていた。奴隷解放が美徳として奨励されていたからだ。イスラームの黒人奴隷の歴史を一望のもとに描き出す初の通史。
目次
はじめに(設樂國廣 訳)
第1章 対比(高野太輔 訳)
第2章 アラビア半島から(高野太輔 訳)
第3章 イスラーム帝国(高野太輔 訳)
第4章 奴隷制の慣行(柴山 滋 訳)
第5章 勢力範囲のひろがり(佐藤健太郎 訳)
(1)中 国
(2)インド
(3)スペイン
第6章 ブラック・アフリカのなかへ(三沢伸生 訳)
第7章 オスマン帝国(三沢伸生 訳)
第8章 「異端」の国イラン(前田弘毅 訳)
第9章 リビア交易ルート(前田弘毅 訳)
第10章 恐怖の一九世紀((1)前田弘毅/(2)勝沼 聡 訳)
(1)東アフリカ
(2)スーダン諸国家とサハラ砂漠
第11章 植民地化による奴隷制の変容(勝沼 聡 訳)
(1)北部ナイジェリア
(2)フランス領スーダン
(3)モーリタニア
(4)ソマリア
(5)ザンジバルとケニア海岸
第12章 奴隷制の存続(粕谷 元 訳)
(1)モーリタニア
(2)スーダン
終 章 アメリカでのブラック・ムスリムの巻き返し(加藤鉄三 訳)
監訳者あとがき
地図出典
原 注
索 引
前書きなど
はじめに
私が先に出版した『ブラック・ディアスポラ――世界の黒人がつくる歴史・社会・文化』[富田虎男監訳、明石書店、一九九九]は、大西洋の奴隷貿易によって産み出された黒人社会の出現、展開そして特質について言及している。その序文で私は、「本書では、イスラーム世界向けの大規模な奴隷貿易を扱っていない。この黒人たちの身にふりかかったことについての物語を語るには、もう一冊の書物が必要となるであろうと私は早くから心に決めていた。本書では、自分で限定した主題で充分だと思う」と。
そのとき、そのもう一冊の書物の出版を手がける考えはまったくなかった。というのは、私は前著『ブラック・ディアスポラ』のテーマを探るよりどころとしたような環境、文化、言語そして政治的なかかわり合いといった面で、イスラーム世界とかかわってこなかったからである。
前著への書評者のなかには好意的ながらも、私がイスラームの黒人奴隷貿易に言及しなかったことに遺憾の意を表明する人がいた。このテーマを探ろうとして、まず、私には励ましよりも困難さのほうがより目に付いた。『ブラック・ディアスポラ』では、問題点は資料の豊富さそのものにあったが、イスラームに関しては資料の明らかな不足が問題の一つであった。イスラームにおいては、奴隷制は、西欧におけるように道徳的、政治的、経済的問題ではなかった。西欧では、奴隷制は、この制度を非難あるいは擁護する立場から多くの論文や書物が生み出され、西欧社会の発展に深く影響を与えた人種的態度を促し進めた。
しかし、イスラーム世界の奴隷貿易の資料はより豊富であることが判明し、その研究はより見返りの大きいものであった。ときには脇せりふ的でしかない場合もあるが、特定の場所の特定な時代においては、イスラームの奴隷貿易や奴隷制の性格の諸側面についての意味深い記述が存在している。最近の研究者によって光があてられ暗闇での手探りだけという状況を超えることが可能である。ときどき、一つの出典が他の出典を導き出し、新しい発見にたどり着くことがあった。手がかりを探していくと、瞬く間に冒険の一歩となった。読者は、この本を書いていた私が受けた興奮を少しでも感じてほしい。
アラビア語の使用に当たって問題がある。アラビア語には主に発音やアクセントを表すために付けられたさまざまな記号があるが、これは私の知識の及ばぬところである。そこで、私は、そのようなことに無知であることを認めるほうが、わずかな知識を身に付けようと試みるよりも間違いを起こす危険性が低いと判断した。したがって私は、資料に付けられた記号を慎重に書き写した。しかし、例外として、都市や王朝の名称は広く知られている英語表記にした。表記において不統一や間違いがあったらお許しを願いたい。
別の問題として、黒人という意味をもつスーダン(Sudan)という語の用法である。広い意味でブラック・アフリカの北部一帯と、狭い意味ではその名がついた特定の国を表しているからである。前者については、フランス語の“Soudan”を使うことで区別することを考えたが、これは引用のなかの綴りの不統一という別の問題を引き起こした。最終的に私は、可能な限り、the Sudan、その形容詞形のSudanicを北部一帯を示す語として、定冠詞theのないSudanとSudaneseは国としてのスーダンとそこの住民を示す語とした。どちらの地域を意味しているかは文脈が示しているはずである。
本書は、テーマ上、決定的に重要なのはイスラームであるが、イスラームに関する著作ではない。私は基本的には、ヒューマニストである。しかし、宇宙に対して畏敬の念をもっているので、既存の宗教の一つ、二つによって提示された特定の神が宇宙を創ったとは考えないが、宇宙がどのようにして、またなぜ創造されたかについて、いかなる可能性も排除しない。しかし、私は、われわれがユダヤ主義に負っている人間的な偉業を拒否しないのとの同様に、われわれがイスラームに負っている人間的な偉業を拒否するものではない。私はユダヤ主義の遺産と伝統の所産の一部なのである。特定の宗教の発展しつつある文化が人間の進歩のために果たしてきたことを認識することは、それが妨害してきたことを認識することと同様に理にかなったことである。
キリスト教社会は、最もおぞましい非人間的な形で奴隷制とかかわった責任があった。しかし、奴隷貿易の廃止運動と奴隷制自体の廃止運動を指導したのもキリスト教徒であった。イスラームは、特定の精神的戒律および共通の習慣から、たとえ個々のムスリム[イスラーム教徒]が史上最もどう猛な奴隷所有者であったにせよ、奴隷の処遇や奴隷解放の素早さにおいて比較的人間的であった。このことはどちらか一方の宗教およびそれぞれの信奉者たちをともに悪魔のように看做すことへの警告として記録されるべきである。
また、この本はあとで「新しい奴隷制」と呼ばれることになるものについての本ではない。「新しい奴隷制」とは、負債によるまたは封建的慣行の遺制としての強制労働のような一種の捕囚状態を指し、とくに子どもを閉じこめ搾取する点で実にいまわしいものであった。この捕囚状態は、あるイスラーム社会の内部――たとえばパキスタン――にも、また、インドのようにほかのどの地域ででも見られる。しかし、それは厳格な意味での奴隷制ではなく、人と人との合法的所有関係として存在している。
本書は、大西洋の奴隷貿易から、今日なお存在している創造的伝統をもった黒人や黒人社会に至るまでの、西半球の黒人の歴史を語ることを試みた『ブラック・ディアスポラ』の姉妹編である。それゆえ、本書は、遺憾なことには今日なお終焉を見ない現象である、イスラーム世界の黒人奴隷制の、特質や経験だけを扱うものではなく、「ブラック・ディアスポラ」というパラドックスを扱うものである。「ブラック・ディアスポラ」は、かなりの人数が現存しているのにその存在自体が否定され、にもかかわらず、彼等の創造的業績はその認知を怠っても拒んでも、実際には存在しているというパラドックスをかかえているのである。
(設樂國廣 訳)
上記内容は本書刊行時のものです。