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水平社宣言起草者 西光万吉の戦後 加藤 昌彦(著) - 明石書店
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世界人権問題叢書64

水平社宣言起草者 西光万吉の戦後 非暴力政策を掲げつづけて

発行:明石書店
四六判
288ページ
上製
定価 3,300円+税
ISBN
978-4-7503-2540-8
Cコード
C0336
一般 全集・双書 社会
出版社在庫情報
在庫僅少
初版年月日
2007年5月
書店発売日
登録日
2012年2月27日
最終更新日
2012年2月27日
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紹介

戦前,水平社宣言を起草し,部落解放運動の先駆者となった西光万吉。戦後はその運動からは距離を置き,不戦・非暴力を掲げた「和栄」政策を提唱して,その実現に奔走する。世間に容れられずとも,真摯に時代を生きた男の,孤高の平和政策とその半生を描く。

目次

まえがき
第1章 和栄政策の起点
 和栄政策の基礎
 戦争協力への反省
 新しい農村の夢
 「エスペラントの学校へ」
 戯曲『沢村辰之助』と非暴力
 米田富からの平和政策の依頼
 『紀の国の田舎医者――華岡清洲先生』
 ネルーへの手紙
 西光の戦後のビルリ王
 「祖国日本と世界の危機に際して」
 『山背王物語』
 不戦憲法を守りませう
第2章 平和省の提案と「和栄政策」の具体化――一九五一年から一九五四年の社会党分裂の時代
 松本治一郎・米田富・八木一男・田中織之進・的場鹿五郎とともに
 「平和省」の提案
 ネルー首相への手紙
 『不戦日本の自衛について』
 国連への訴え
 両派社会党への宣伝を続ける
 続くインド外交
第3章 社会党の平和政策としての「和栄政策」――一九五五年一〇月から一九五九年、統一以後
 浅沼稲次郎との会談など精力的に動く
 社会党第一三回大会で採決される
 社会党の平和国土建設隊構想と混乱
 米田富の民社党内での和栄政策論争
第4章 敬遠される和栄政策と支持される和栄政策――一九六〇年から一九六五年
 一九六〇年社会党大会での「和栄政策」への野次
 ケネディの平和部隊
 重ねる党への和栄政策推進の要請(一九六一年)
 海外技術協力事業団の田中織之進質問に(一九六二年)
 世界連邦打田町宣言の成立(一九六二年一二月)
 「国際和栄政策」の「史的栄光」
 知的リーダーからの返信
 「おろされた日の丸あげる 不戦日本の和栄隊行進歌」
第5章 「低開発国にたいする国際協力策」として
 一九六五年の苦渋
 和栄隊構想、新聞に発表される(一九六六年六月)
 世界連邦主義者、エスペランチストへの訴え
 社会党との関係の消滅
第6章 西光万吉の最後の仕事――「老人の童話」について
 木村京太郎に支えられて
 「老人の童話」第一回から第四回(一九六七年)
 「老人の童話」第五回から第一六回(一九六八年)
 「老人の童話」第一七回から第二七回(一九六九年)
 いのち尽きるまで(一九七〇年)
あとがき

前書きなど

まえがき
 実に差別は暴力によって生まれ、暴力によって維持される。それゆえに、差別なき社会は非暴力によってのみ実現されねばならない。暴力による道は、たとえ、それがいかに「正義」や「平和」の美名で覆われようとも、新しい差別を結果し、夥しい苦難を人類に与え続ける。
 また実に「文明」時代の人類は、生態系の中にのみ依存しながら、動植物の大量殺害と自然破壊をなしてきた。人類の自然への暴力は、生態系全体を質量ともに日毎に縮小させている。人類の新しい「文明」の時代は、自然への非暴力の道の模索でなくては、自らの生存もあり得ない。
 その生涯を通じて差別と果敢にたたかい続けた自主的部落解放運動の創始者の一人、西光万吉は、戦前においてこの非暴力の道と葛藤し、戦後は自然とその道をひたすら邁進した数少ない日本の社会運動家である。
 「生命」のある自然は「生命」なき自然によってのみ生存しているが、差別によって人間としての生命を奪われてきた被差別者の一人である西光は、生命なきものにすら生命を見出してきた。
 一八九五年(明治二八)に奈良県の被差別部落に生まれた西光は、差別によって人生の幾多の挫折と辛酸を嘗めさせられた。しかし、そこから立ち上がり、郷里の同志と共に一九二二年(大正一一)三月、全国水平社を創立した。西光は常に根源的なものを求め、新しい時代を吸収する力と聖人的な人格とによって衆望を集め、全国水平社創立の推進者となった。そればかりではなく、日本の社会運動にも力強い足跡を残した。一九二二年四月に結成された日本農民組合では中央執行委員を務め、一九二八年二月の第一回普通選挙では労農党から立候補した。直後の三・一五共産党員大弾圧で検挙され、獄中「転向」して一九三三(昭和八)年に仮釈放された後は、日本主義の運動に転じ、一九三四年には大日本国家社会党に入党している。戦時下、弾圧の中で、農民運動・労働運動を、窒息させられるまで続けた。
 こうした戦前の西光の活動は、部落解放運動の中でも知られるところであるが、戦後の活動については、西光周辺の人々以外、知る人は少ない。その理由は西光が部落解放運動に登場することがほとんどなく、自身が創案した政策──和栄政策に没頭していたからであった。
 西光の没頭した和栄政策は、日本の軍国主義の解体とともに成立した非武装憲法の基礎の上に創られたもので、多くの国家が自国の軍事力に投じる政治的・財政的・社会的総合力を、すべてそのまま、非軍事の平和創造に向けようとしたものであった。核戦争による人類滅亡という現代の危機において、軍事予算スケールをそのまま国際的援助に投入し、平時の積極的国際貢献を企図したもので、日本でも、そしておそらく世界でも初めての国際平和貢献政策であった。
 戦後日本を分析する視点として、次の諸点が挙げられることが多い。(1)世界で最初の被爆国として、核戦争反対が日本社会の人々の基底的な希求となったこと、(2)アメリカの軍事的支配から出発し、日米軍事同盟の枠の中、アメリカの核の傘の下に入ったこと、(3)憲法に非武装がうたわれたこと、(4)近代日本のアジア侵略の戦争責任とその補償が問われつづけていること、が挙げられる。これらは相互にからみ合いながら、それぞれの論理をもって自己展開している。
 また戦後日本の安全保障については、大きく二つの問題が長く論議されてきた。一つは自国防衛の問題であり、また一つは日本経済の発展とともに課題として登場してきた世界の平和創造に対する日本の国際的義務の問題である。西光万吉はこの二つの問題について、統一的な解答を出していた。西光の和栄政策は、原爆の惨禍をあび、武装放棄を決めた戦後日本の根本方向を示し、核戦争による人類全滅の危機の時代という厳しい認識に立って、世界平和を創造しようとする日本の平和総合政策であった。またそれは同時に、世界政府実現途上の、各国のモデルとなる先駆的プランであった。
 西光が敬愛をもち続けたマハトマ・ガンディーの国インドは、非暴力で大英帝国の植民地支配から脱した。しかし、ガンディー主義者の反対にもかかわらず、武装国家となった。ガンディーは次のように述べている。「一時は強力な武力をもっていた国が改心した場合には、その国は世界に対して、それゆえに彼らの敵に対しても、いっそうよく非暴力を示すことができる」と。持とうと思えば持てる国が武装放棄することが、世界平和への大きな推進力となることを主張したガンディーは、インドで非武装国家創建を果たせず没した。
 一方、西光は世界史的な非武装憲法をもつ戦後日本を背景にし得た。西光はそれに甘んじず、その基礎の上に国際的平和貢献を日本に義務づけようと努力した。和栄政策はガンディーの非武装国家の次の時代を切り拓く非暴力主義の創造的なプランであった。それはすでに、一九五一年(昭和二六)に提案された。
 西光は自らの和栄政策について、次のように述べている。「私の水平宣言を今皆が、高く評価してくれるが、この『不戦日本の自衛について』は、文章も水平宣言以上だ。今の世界人類にとって最も重要な政策である」「この不戦日本国民の決意こそ『世界は外交・防衛革命の時代に入った』という歴史的な大きな役割りを果たすものだと思っています。そして世界の平和思想史にもはじめてのもの」で、「この和栄策こそ『最も理想的で自主性のある現実的政策』だと確信しています」と述べている。
しかし、和栄政策は西光の生存中、日本社会で大きく議論されることなくきた。
 ところで、人類は産業革命以来、巨大な科学技術と機械力をもつに至り、とりわけ二〇世紀は巨大な機械と技術の力によって自己の生存基盤を破壊し、相互殺戮をし続けてきた。構造的な人類滅亡はすでに第一次世界大戦、第二次世界大戦と夥しい戦争で大規模となった。
 しかし同時に二〇世紀を彩るものとして、社会運動における非暴力主義の展開があった。非暴力主義は一九世紀以前からも連綿と続いてきたが、一九世紀末に世界的影響力をもったロシアの大文豪トルストイによってさらに深化・結晶され、広く深く世界の知識人をとらえた。この流れは、さらにインドのマハトマ・ガンディーのインド独立運動によって現実の運動となり、巨大な世界的影響を及ぼした。
 ガンディーは暴力について次のように述べている。「いままでの経験は、暴力の勝利が短命であることを語っている。それは、いっそう大きな暴力をひき起こしてきただけである」「暴力主義は人が他人を傷つける行為にのみ関係があることをはっきりさせておこう。それと反対に、自ら苦難を受けることは非暴力の本質であり、他人に対する暴力の選ばれた身代わりである。幾千という人びとがサティヤーグラハのために欣然として自らの生命を失ってゆくのを、わたしが喜びをもって黙認できるのは、わたしが生命の価値を低く見ているからではなく、結局はそれが最小限の生命の損失に終わることを知っているからである。さらにそれが、自らの生命を失う者を気高くし、その犠牲によって世界を道徳的に豊かにすることを知っているからである」「わたしの考える非暴力は、復讐というより、不正に対するもっと積極的で、もっと実際的な闘いである──復讐はもともと悪をつのらせる性質をもつものである」「われわれは、思想・言葉・行為において完全に非暴力的でありうるほど強くはない。けれどもわれわれは、非暴力をわれわれの目標にかかげ、それに向かってしっかりと進んでゆかなければならない」
 貧困と憎悪と対立に満ち満ちた現代の人類社会にあって、よりよき社会の実現は犠牲を伴わざるを得ない。しかし、非暴力の道こそ犠牲を最小限にするものである、とガンディーは人類に訴えた。
 ガンディー以後、非暴力の運動は、マーティン・ルーサー・キング牧師が指導したアフリカ系アメリカ人の解放運動をはじめ、世界の社会運動で展開されてきた。一九四九年には中米のコスタリカ共和国のように、軍隊を廃止する国まで出現した。まことに非暴力の運動は、滅亡の危機に立つ人類の刮目すべき思想・行動となった。
 非暴力主義は日本においても、トルストイの文学とともに入ってきた。しかし、その流れは、一部のキリスト者、宗教人、知識人、社会運動の指導者にとどまり、大きな運動として展開されることなく、今日に至っている。
 戦前・戦後の部落解放運動においても、非暴力主義についての情報と影響はきわめて小さかった。その中で西光は戦前よりガンディーに注目していた。戦後は明確に非暴力の立場にたち、非武装憲法を掲げる日本の国際社会の中での先進的役割を探求した。
 戦後の西光にとって非暴力主義はイデオロギーではなく、感性のものであって、大地にしみいる水のようであった。西光が少年時代より持ち続けてきた生き物に対する不殺生と、人と人の間での争いや対立を好まない性格に受け入れられたものであった。部落差別に対する激しい憎悪は、階級闘争のイデオロギーや独りよがりの日本主義では解消できず、戦争協力に対する深い反省とともに霧消した。戦後は戦前のように、運動方向で迷うことのない矜持の大道を歩んだ。西光が感性としてもっていたアヒンサー(不殺生)の深い精神的基盤に、ガンディーの非暴力主義が固く結合したのである。ようやく自身の求め続けていた人類史に光る大道に出合えた西光は、日本の再武装化や軍事力拡大に対して、終生その反対の論陣を張り続けた。
 この私の拙い文は西光万吉宅に残されていた未公表資料や関係者の聞き取りによって、西光万吉の「和栄政策」を追ったものである。

著者プロフィール

加藤 昌彦  (カトウ マサヒコ)  (

1946年生まれ。
関西外国語大学人権教育思想研究所教授。

上記内容は本書刊行時のものです。