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キューバ 革命の時代を生きた四人の男
スラムと貧困 現代キューバの口述史
原書: Four Men: Living the Revolution―An Oral History of Contemporary Cuba
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2007年4月
- 書店発売日
- 2007年4月13日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2015年8月22日
紹介
家族をも含めた長時間のインタビューによる4人の男性の個人史。貧困の中にいた人たちが革命の前後をどのように生きたか,個人の内面も含め,日常生活の細部にまで及ぶその叙述は,同時に政治・文化・経済状況など当時のキューバ社会の全体像をも明らかにする。
目次
はじめに
序 章
第一部 ラサロ・ベネディ・ロドリゲス
第一章 たいへん黒く、たいへん貧しい
第二章 幻想だらけ
第三章 ラス・ヤグアスへの転居
第四章 わたしは生身の人間だ
第五章 くびきを取り去る
第六章 ボリーバルでの生活
第七章 わたしはオチュンの娘と結婚する
第八章 わたしは革命と恋している
第二部 アルフレド・バレーラ・ロルディ
第一章 実際上、浮浪者
第二章 わたしは自分の住所を教えたことがない
第三章 自分自身を打ち負かす?
第四章 自分の家
第五章 純粋に実際的な決定
第六章 公平な分け前を得る
第七章 新しい家、古いやり方
第八章 今日のわたしの家族
第九章 人生は続く
第三部 ニコラス・サラサール・フェルナンデス
第一章 パパの重荷
第二章 あがく
第三章 理解し始める
第四章 フローラ・ミール・モンテ
第五章 政治と個人的問題
第六章 かれらは理解しないだけだ
第七章 先へ進む
第八章 わたしたちの社会主義社会
第四部 ガブリエル・カポテ・パチェコ
第一章 捨てられる
第二章 エルネスト、リタ、そしておやじ
第三章 自分の道を見つけた
第四章 フィナと我が子たち
第五章 かれらがわたしを闘士にしてくれた
第六章 今、もっと失う
注
訳者あとがき
前書きなど
訳者あとがき
本書は、オスカー・ルイスの多くの著書のうちで、キューバのスラムについて書かれた三部作『四人の男』(一九七七)『四人の女』(一九七七)『隣人』(一九七八)の最初のものである。貧困の中に生まれ育った人たちがどのような経験をしながら生活をしていたかを、四人の男の生活史を通じて個人の内面、家族との関係、コミュニティとの関係、そして国家との関係からひじょうに詳細に、しかも生き生きと描き出している。貧困の文化を背負って生きる人たちが、革命を契機にこの文化の再生産の鎖を断ち切り、新たな価値観を獲得しながら国家を建設する作業にどのように参加していくのか、その平坦でない過程を知ることができる。キューバの市井の人たち、とくに極貧の人たちを描いた書物として、今日でも本書は傑出した存在であり、他に類書が少ない状態で、学術上ひじょうに貴重な貢献をするものであると考えられる。
そのような本書の重要な点は貧困の文化と関連している。それは、他国のスラムの比較研究からルイスが提起した「貧困の文化」の再生産の連鎖が革命によって断ち切られることができる、という例をキューバ最大のスラム、ラス・ヤグアス(仮名)の住民の生活史の事例から示したことである。ルイスによれば、「貧困の文化」がひとたび形を成せば、都市や田舎の違い、あるいは国境を越えて、また世代を越えて再生産される。この文化を背負った人たちは、スラムを含むより大きな社会の一員であるものの、つねにマージナルな地位につかざるを得ず、中心からの疎外感、劣等感にさいなまれ、計画性を持たず、刹那的であり、母中心家族を持ち、家族や親族といった人間関係以上のコミュニティの公式の組織も持てない。子どもたちはそういった環境の中で社会化され、貧困の文化を再生産していくという。ルイスはメキシコ、プエルトリコ、ニューヨーク、そしてキューバのスラムでの参与観察調査を通じて研究し、何冊もの著書でこれらの事例を紹介している。キューバでの調査は、革命という大きな社会変革を通じて、貧困の文化を背負う人たちがその文化から脱出し、どのように変われるのかを数人の生活史を通じて実証するという点で大きな意味を持ったのである。
キューバはカリブ海では最大の島国であり、革命前はこの地域で最大のスラムがいくつも存在した。このようなスラムは、キューバのスペインからの独立を進める人たちへの地方の農民からの支援を絶つために、スペイン植民地政府が一八九六年に主要都市周辺に農民を強制移住させたことに始まるといわれている(UN-Habitat 2003 : 209)。それ以降、一九〇二年のキューバの独立を経て、一九五九年の革命までスラムは成長を続けた。革命後、そのスラムの多くが整理され、本書の登場人物たちも経験したように、スラムの元住民はキューバを脱出した人たちの壊した家屋や自分たちが自助・相互扶助によって建設した住宅団地へと移動した。ハバナ周辺にグリーンベルトが設けられているが、その一部はスラムの跡地を利用したものである。そこでは果樹や野菜が栽培され、そこでの農産物はハバナ市民に供給されている。もちろん、都市民は、学生を含めてボランティアで農業労働にも従事してきた。一九五九年八月に始まるアメリカ合衆国による経済封鎖、そして一九九〇年代初めのソ連と東欧の社会主義国家の崩壊が、物資不足などに拍車をかけてきたが、他方では有機農業に力が入れられ、グリーンベルトは安全で健康的な農作物の一大供給源にもなってきたのだ。
革命後、キューバがたどった道のりはけっして平坦ではなかった。本書でも、何人かの登場人物が語っているように、一九六一年四月の亡命キューバ人によるプラヤ・ヒロンの侵攻事件、一九六一年以降のアメリカ合衆国との国交断絶と経済交流の停止、一九六二年十月のミサイル危機、そして何よりも一九九一年のソ連の崩壊とそれに続く東欧の社会主義体制の崩解はキューバに大きな試練を与えた。ソ連を中心とした社会主義国の支援が停止することは大きな打撃であったことは言うまでもない。しかし、キューバは耐え、考え、そして新たな道を進み始めた。観光の推進はその苦渋の選択の一つであった。革命前、ハバナやサンティアゴ・デ・クーバのようなキューバの大都市には一大売春街があり、賭博場が溢れ、アメリカ人観光客が溢れていた。観光化はアメリカ化をも意味し、革命後のカストロ政権は観光化を否定的にとらえがちであった。しかし、とくに一九八〇年代以降キューバは徐々に独自の観光政策を進め、今日ではそれは諸外国の手本にもなっている。とくに環境に最大限やさしいエコツーリズム、健康を害した人が療養中にできるヘルスツーリズムなどは諸外国が手本にしつつある。今では、観光はさとうきび栽培とその加工を凌ぐキューバ最大の産業にもなっている。
スラムと貧困の文化はほとんどの社会では不即不離の関係にある。しかし、キューバでは、そうではなく、スラムは部分的に残るものの、貧困の文化からひとびとは抜け出すことにかなり成功したといえる。たしかに革命後の社会改革とりわけ配給制度はひとびとを飢えからある程度解放したし、無料の医療や教育制度はかつては、それを享受することができなかった人たちが、より快適に社会で生きることを可能にした。しかし、スラムの問題は完全に解消されたわけではけっしてない。とくに旧ハバナのインナーシティの年代ものの、石づくりの住宅などでは問題が残っている。革命前の富裕であった人の邸宅の多くが、多くの世帯によって細分化され、使用されている。部屋に光が入らない、換気がしにくい、水道が屋内に引かれていない、トイレがないといった問題がこれらの住居にはある。キューバのスラムの問題は、社会経済的な質の問題ではないのであり、そこに他国との大きな違いを見ることができる(UN-Habitat 2003 : 209~211)。一九八二年に旧ハバナとその要塞群が世界遺産に登録された。近年の観光化とともに、旧ハバナ市内の整備が進められ、外国資本との合弁事業として古い邸宅がホテルに転換されている例も少なくはない。邸宅に住んでいた住民は、郊外などの住宅に移住を余儀なくされてきたが、スラムを解消し、同時に、歴史的建造物を観光のために役立てるという点ではけっこうなことなのかもしれない。
また、キューバはこれまでに数多くの留学生を途上国から受け入れてきた。無償で教育を施し、小遣いを提供するこの留学制度は多くの医者や研究者、そして技術者を生みだし、それぞれの国家の建設過程で大きな役割を果たしてきた。
訳者はこれまで三度キューバを訪問している。最初は科学研究費補助金(国際学術研究)「観光開発にともなう社会的・文化的変化の比較研究」(代表:石森秀三・国立民族学博物館助教授(当時))によるもので、一九九〇年に一ヵ月間という短期間だったが、キューバ国内をバスやタクシーで移動しながら、観光に関する調査を実施した。二回目は、一九九四年の八月に一ヵ月間ハバナを中心に子どもの遊びについて調査した。このときには、元ハバナ大学で教えていたキューバ人にスペイン語の通訳を務めていただき、保育園から観光産業庁、その他の多くの機関や田園地帯も訪れた。三度目は、二〇〇五年の夏に科学研究費補助金[基盤研究(A)]「社会的弱者の自立と観光のグローバライゼーションに関する地域間比較研究」(代表:江口信清)によるガイアナ調査の帰りに四日間という駆け足で、旧ハバナ市内の変貌振りを観察しに寄った。過去十年あまりの目に付く変化の最大のものは、観光化の進展である。最初の二回の訪問時には至る所に「社会主義か死か」というスローガンやチェ・ゲバラのイメージが掲げられていた。また、大学教員を含め路上で貴重な書物を売る人たちを目にしたが、三度目にはこのような光景は残るものの激減していた。法律を含め、多様な側面が変化してきた。外国人観光客が着実に増え、それを受け入れる体制が整いつつあるということも目に付く。上述のように、かつての大邸宅がホテルに転換されるということもその一つである。とくに世界遺産に登録されている旧ハバナ市街地はいつも工事中で、年々変貌している。レストランやそこでのもてなし方も洗練されてきた。過去十数年間で多様な側面が変化したことは確かであるが、あまり変わらない点はひとびとの親切なところと、たくましさ、陽気さであろう。
さいごに、訳者は途上国をフィールドとしてきた研究者たち(山本勇次・大阪国際大学教授、村瀬智・大手前大学教授、藤巻正己・立命館大学教授、北森絵里・天理大学講師)とともに、一九九〇年代半ばから貧困の文化の研究を始めた。訳者はそれまで農民社会や観光現象を中心に研究していたが、農村社会と都市社会、そして観光現象と貧困問題は途上国では深く結びついており、避けて通るわけにはいかない。貨幣経済の浸透が急速に加速する一方、現金収入の機会を求めて多くの人たちが都市へ流出するものの、容易に仕事は見つかるものではない。その多くが周縁部のスラム社会の住人になる。そして、これも途上国にほぼ共通するが、農業をのぞいてこれといった産業を有しない場合、国は観光立国化の道を進みがちである。観光客相手のインフォーマルな仕事に多くのスラム住民が従事することになる。懸命に生きようとするスラムの住民ではあるが、スラム外の住民からは忌避される傾向にある。その理由はほぼ共通している。スラムは良からぬ人たちが生活している悪の巣窟といったマイナスのステレオタイプ・イメージが持たれ、外部者は特別な目的がない限りスラムへは近寄らない。このことがイメージを固定化させてきたのだ。その実態の解明、そして貧困の文化からひとびとが脱出するためには自生的リーダーが必要ではないか、ということを実証する研究をこれまで共同研究者と一緒に行ってきた。スラムには、ルイスのいう貧困の文化にどっぷりつかった人たちだけでなく、中産階級的な価値観を持ち、勤勉に労働し、長期的な展望を持って生活する人たちもいる。さらに、こういう人たちの中から山本勇次がいう自生的リーダーが出現し、多様な背景を持つスラム住民を束ね、自分たちの生活環境の改善に取り組む事例も多いことが共同研究によって明らかにされてきた。ルイスの活躍した一九五〇年代、六〇年代とは違って、今日ではNGOをはじめとする内外の支援組織の活躍が著しく、自生的リーダーが中心になってこれら外部組織の支援を取り込むことによって、生活環境の改善が行われる例も少なくはない。貧困の文化は、形を変え再生産される一方で、キューバ革命のような社会の大転換によって消滅させることができるだけではなく、外部組織の支援をうまく取り込んだ自生的リーダーたちの活躍によっても消滅させえるのではないかという結論に達している。
二〇〇七年三月三日
上記内容は本書刊行時のものです。