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ドイツ現代文学の軌跡
マルティン・ヴァルザーとその時代
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2007年3月
- 書店発売日
- 2007年4月5日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2010年8月5日
紹介
ギュンター・グラスと並び称される現代ドイツ文学を代表する作家マルティン・ヴァルザーを中心に,東西ドイツの統一と絡め,過去の戦争責任問題,それに付随するユダヤ人問題,外国人問題等々に焦点を当てつつ,ドイツ現代文学の潮流を浮かび上がらせる。
目次
まえがき
第1章 ドイツ現代文学概観
第2章 『暴れ馬』における生と愛の複層構造
第3章 東西ドイツの統一と文学
第4章 新しいドイツ文学の可能性――ラファエル・ゼーリヒマン
第5章 統一ドイツの試練
第6章 『子ども時代の復権』に見る過去の再構築
第7章 『みんなバラバラ』における親和力の諸相
第8章 『ほとばしる泉』における歴史と文学
第9章 ヴァルザー対ブービスのアウシュヴィッツ論争
第10章 『愛の履歴書』における老いと性愛
第11章 『ある批評家の死』をめぐる反ユダヤ主義論争
終 章
付 録
転換期の文芸思潮――マルティン・ヴァルザーとの対話
Literarische Gedanken nach der Wende――Ein Gesprach mit Martin Walser
あとがき
マルティン・ヴァルザー年譜
参考文献
索 引
前書きなど
まえがき
第2次世界大戦後、すでに62年が経過し、文学の置かれている状況も昔とはだいぶ変わってきている。これは洋の東西を問わずいえることであるが、特にわが国におけるドイツ文学受容のいちじるしい減少傾向にもこの変容はあてはまる。戦前の日本ではゲーテ、シラーを中心としたドイツ文学が文学界に主要な地位を保っていたことを思い起こしたい。戦後のアメリカ文学やフランス文学についてかなりの知識をもつ者でも、現代のドイツ文学には暗いというのが一般的である。
それは、ドイツが第2次大戦後、米英仏ソによる4占領地区に分割され、1949年以降は東西ドイツが独立し別個の道を歩んだという複雑な政治的事情もあろう。あるいはまた、ドイツ語によって書かれる文学(ドイツ語圏文学)が、1990年の統一以前は東西ドイツのみならず、オーストリアやスイス等にも及ぶという地理的不明確さがあるかも知れない。しかし戦後ドイツ文学を部分的にではなく、全体として総括的に紹介するということがあまりなされてこなかったこともその一因ではなかろうか。本書執筆の動機には以上の背景がある。
初めに、筆者と現代ドイツ文学の出会いを振り返っておきたい。筆者は青春時代に8年間(1964-72)ハンブルク大学に留学し、哲学を主専攻、独文学を副専攻としてかの地で大学生活を送った。その時期はドイツが「経済復興の奇跡」といわれた頃で、当時の日本がまだ貧しかったから、ドイツ国民の生活が活気にあふれ輝いて見えた。日独敗戦後20年という時間的経過の点では同じであったが、すべてにわたって彼我の差は歴然としていた。
ちょうどその頃、ナチの実行犯を自国民の手で裁く「フランクフルト裁判」(1963-65)が行われており、筆者はその取り組みに強い印象を受けた。
同時に、C. F. v.ヴァイツゼッカー教授の平和樹立のための「世界内政治」という考えにも影響され、以後その基盤となるカント哲学の研究に専心することになった。ドイツの大学は主専攻と同時に副専攻科目の勉学も必須のため、独文学科ではハインツ・ニコライ教授の現代文学のゼミに顔を出し指導を受けた。ギュンター・グラス、ヴォルフガング・ヒルデスハイマー、ペーター・ハックス、それにデビューしたばかりの無名のペーター・ハントケがゼミの課題に取り上げられた。そのハントケはいまやオーストリアを代表する作家になったのであるから、いまにして思えばニコライ教授の慧眼が光る。ハンブルク大学の独文学科では、なにかにつけてチュービンゲン大学の修辞学の教授ヴァルター・イェンスの発言が引き合いに出され、学生もよくイェンスを引用した。これは、イェンスが生粋のハンブルクっ子であり、名門校「ヨハネウム」の出身でハンブルク大学の卒業生であったこととも関連している。文芸評論家でもあったイェンスは「モモス」(Momos)というペンネームで『ツァイト』紙などに盛んにドイツ現代文学に関して執筆し、自然筆者自身の中にもイェンスの文学観、文学史が入り込むことになった。したがって、戦後20年のドイツ文学の概観はイェンスによるところが大きい。その後の8年間は自分自身のドイツ滞在による同時体験の文学史であり、以後ほぼ2年に1回のドイツ行き(うち2回はケルン、コンスタンツに長期滞在)によって培ってきた文学体験が、本書の根底に横たわっているといえよう。しかし、主専攻科目の哲学分野で博士論文「カント実践哲学と平和の理論」を完成の上、博士号を取得して帰国してから、十数年間は専らドイツ思想、特にカント哲学の研究に従事したのであった。それが1988年を境に、正確には東西ドイツ統一の前後から、主たる研究領域を哲学からドイツ文学に移すことになったのである。それまでの研究過程で、「文学」のほうが「哲学」よりも多くのことをなしうるとの予感を得たからである。もちろん、それは文学には思想が必要ということを前提とした上での結論である。知の活動の余地は哲学よりむしろ文学空間のほうに多いのではなかろうか。古くはカント学徒から出発して、文学者になったフリードリヒ・シラー、近くはフッサール、ハイデガーの哲学を研究したのち実存主義の大成者となったジャン・ポール・サルトル等の例もある。クリティーク(文学批評)の面でも、ヴァルター・ベンヤミン、テオドーア・アドルノ等に見られるごとく、文学には思想は欠かせないのである。マルティン・ヴァルザーが筆者の視界に最初に飛び込んできたのは、「我々のアウシュヴィッツ」で文学と思想を真剣に省察する作家としてであった。
この間に冷戦の象徴であった東西ドイツの統一(1990年10月3日)が実現した。この歴史的大事件は、政治学、歴史学、社会学のみならず、文学においても強烈な足跡を残した。戦後から現在に至るドイツ文学の流れをたどってみると、この統一という歴史的転換が文学に及ぼした影響は実に大きい。ヴァルザーのエッセイ「ドイツについて語る」は、この問題を先取りしたものである。ここにもマルティン・ヴァルザーが顔を出す。彼は東西ドイツ統一以前から、統一の必要性を唱え続け、当時のインテリ層やリベラル層から、敵視ないしは無視され続けてきた。しかし、彼が予言したように、統一はみごとに成就したのである。ドイツ現代文学における人間観の諸相を追究する場合、統一との関連での過去の戦争責任問題、それに付随するユダヤ人問題、外国人問題等は避けて通ることはできない。これらのどれにもかかわっているのがヴァルザーである。以上のようなコンテクストの中で、ドイツ現代文学の軌跡を探るのに最適な作家としてマルティン・ヴァルザー(1927- )がごく自然に浮かんできたのであった。
ヴァルザーが現代ドイツ文学を代表する作家であり、またその文学活動が半世紀以上もの長きにわたっていることもこの選択にあずかっている。これほど息の長い作家は現代のドイツでは珍しい。ノーベル賞作家ギュンター・グラス(1927- )と並び称されるゆえんである。それに、ヴァルザーの作品群はその時々の時代の特徴を実によく反映しており、あたかもドイツ戦後史の年代記のごとき観すら呈している。したがって、彼の作品を同時代の視点に立って解読し、ドイツ現代文学の潮流を浮かび上がらせることができたらと思う。
その際、現代ドイツ社会に対する批判的検討がなされることは当然である。ナチズムと教育の問題、ユダヤ人問題、また旧東独の社会主義リアリズムの問題、政治と文学、歴史と文学、それに文学と性愛等々がそれである。ヴァルザーは社会批判者(Gesellschaftskritiker)とも呼ばれるが、それは特に彼の作品に個人と社会の関係が色濃く反映しているからであり、さらに折に触れ社会的発言をなし、しかも大胆な挑発的ともいえる発言を続けているからでもある。
ところで、統一なった「ドイツ連邦共和国」(BRD)は、もはや第2次大戦前のように覇権を目指すことはせず、EUの枠組みの中で政治国家というよりは平和志向の文化国家を目指している。最近の作家たちも、老若を問わず平和主義の流れの中に新しい創作の可能性を見出している感がある。作風も全体として硬く重い内容のものから、明るく楽しいエンターテイメント風なものに変わってきている。本書で扱うラファエル・ゼーリヒマンがその一例である。
さて、マルティン・ヴァルザーはユダヤ人作家フランツ・カフカに関する博士論文を書いたのち、放送局の仕事や草創期のテレビの仕事をしながら数年間作家修行に励み、1955年にカフカの影響が認められる短編集『家の上の飛行機およびほかの物語』を発表した。これがいわば彼の処女作であり、その中の1編「テンプローネの最期」に対して「47年グループ賞」が授賞され、文壇へのデビューがなった。
以来ほとんど休むことなくあらゆる文学的ジャンル(長編小説、放送劇、演説集、物語、短編小説、テレビ脚本、戯曲、詩、エッセイ、アフォリズム、コラム、翻訳等)にわたる執筆活動や社会的発言を続けている。主力分野の長編小説(Roman)としては1957年に書かれた『フィリップスブルクにおける結婚』が最初であり、その後年代順に『ハーフタイム』『一角獣』『ガリストルの病気』『転落』『愛の彼岸』『心理療法』『白鳥の家』『リスト卿への手紙』『潮騒』『狩り』『子ども時代の復権』『みんなバラバラ』『フィンク氏の戦い』『ほとばしる泉』『愛の履歴書』『ある批評家の死』『愛の瞬間』、それに2006年の最新作『不安のあがき』と計19の作品が発表されている。このほか、ベストセラーとなり、劇化や映画化もされ、いまなおロングセラーに名を連ねる『暴れ馬』という小説(Novelle)もある。
2004年7月に出版された作品『愛の瞬間』はヴァルザーが、それまで彼のほぼ全作品の出版元であったズーアカンプ社ではなく、新たにローヴォルト社より上梓したということで、文壇の一大ニュースとなった。なぜヴァルザーがズーアカンプ社と袂を分かったのかという疑問が、社会的関心事となり、文学企業(Literaturbetrieb)と作家の関係が改めて問われることになった。
社会学的に見ても、マルティン・ヴァルザーの文学には、現在に至る戦後ドイツの社会的諸相をとらえての問題提起があり刺激的である。たとえば『フィリップスブルクにおける結婚』(1957)では、当時まだタブー視されていた堕胎の問題などが扱われているし、『子ども時代の復権』(1991)ではドイツ統一の問題がテーマである。国内に賛否両論を呼び起こした「アウシュヴィッツの手段化」はドイツ出版書籍業界の平和賞受賞演説(1998)に絡むものである。日本同様、高齢化社会に突入した最近のドイツ社会における「老い」と「性愛」を主題にした『愛の履歴書』では、ヴァルザーは66歳の高齢女性の性愛を取り上げ、彼女の過去の恋愛遍歴を時代の状況の中で生々しく描写して話題を呼んだ。また、マルティン・ヴァルザーに関して書かれた作品も数多くあるが、2005年9月に出版されたマティアス・ローレンツの『アウシュヴィッツは我々を一点に押しやる マルティン・ヴァルザーのユダヤ人描写とアウシュヴィッツ論争』(Auschwitz drangt uns auf einen Fleck. Judendarstellung und Auschwitzdiskurs bei Martin Walser)は、ヴァルザーの全作品が「反ユダヤ主義的色彩に染まっている」と主張して文壇に賛否両論を呼んだ。筆者はこの書には同意することはできないが、その理由は本書の中で述べているとおりである。ヴァルザーは、このように反ユダヤ主義者といわれたり、またポルノ作家といわれたり、実に毀誉褒貶(きよほうへん)の多い作家であるが、それはとりもなおさず、ヴァルザー本人は自分の考えや姿勢は首尾一貫していると主張しているのであるが、矛盾の多い人間的な、あまりに人間的な作家だからであろう。
ここで、本書の構成について説明しておきたい。まず初めに現代ドイツ文学の大筋と概観を展開する。次にヴァルザー作品の中で一般読者に最も読まれ、マルセル・ライヒ=ラニツキがヴァルザー作品の中で唯一激賞した『暴れ馬』を取り上げて論じたい。続いて東西ドイツ統一問題に焦点を当て、文学の面ばかりでなく、政治学、社会学の視点からも新生ドイツの実情を報告する。これとの関連で「ドイツ・ユダヤ共生」の問題を取り上げ、ラファエル・ゼーリヒマンを扱う。本書の中にあって唯一ヴァルザー以外の作家の登場であるが、新しいドイツ文学の可能性を探るためにも、またヴァルザーとユダヤ問題を論じるためにも必要であり、「ドイツ現代文学の軌跡」を体系的に構成するためには欠かせない作家である。これらのあとに1990年代以降書かれたヴァルザーの小説5編を取り上げ、その作品論を展開する。終章においては、ヴァルザーがどのような人物であったか、現代ドイツ文学においてどのような位置を占めるかを、彼の最新小説にも触れながら文学・社会学的に総括する。最後に付録として、マルティン・ヴァルザーの文学観を身近に知ることができるようヴァルザー氏のヌスドルフの自宅で筆者が行ったインタビュー(独文)を掲載した。専門的な研究論文、一般読者向けのエッセイ、報告、インタビュー等を基にした硬軟取り混ぜての現代ドイツ文学論であるが、目指したのは精神史としての文学論である。
上記内容は本書刊行時のものです。