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現代の奴隷制
タイの売春宿へ人身売買されるビルマの女性たち
原書: A MODERN FORM OF SLAVERY: Trafficking of Burmese Women and Girls into Brothels in Thailand
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2006年11月
- 書店発売日
- 2006年11月30日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2015年8月22日
紹介
アジア各国の現代史を戦争や軍事主義等で抑圧された女性たちの視点から読み解くシリーズ第1弾。国際人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチが,タイで行われているビルマ人女性の売春目的の人身売買の惨状を,当事者のインタビューを交えながら報告する。
目次
「アジア現代女性史」シリーズの刊行にあたって(アジア現代女性史研究会代表 藤目ゆき)
謝 辞
序 章
虐待の実態/求められる行動
第1章 背 景
A 政治的経済的要因
B 関連するタイ国内法および国際法
C 近年の厳重な取り締まり――アーナン政権およびチュアン政権
第2章 三人の肖像
リンリン/ニーニー/スェィスェィ
第3章 女性や少女たちの人身売買
A リクルート(斡旋)
B 売春宿
第4章 タイ政府の役割
A 人身売買における役人の関与――処罰されないパターン
B 逮捕されない人身売買業者、ポン引き、斡旋業者、売春宿のオーナー、買春客
C 差別的かつ恣意的に逮捕される人身売買の被害者たち
D 守られていないデュー・プロセス(正当な法の手続き)
E 拘留期限延長、略式裁判、拘留中の虐待
F 強制退去
G 刑罰以外の手段――公式送還
第5章 非政府組織(NGO)
タイにおけるNGO/ビルマにおけるNGO
第6章 強制売春とHIV/エイズとの不可分な関係
A HIV感染を引き起こす虐待
B タイ政府の責任
C HIV感染者またはHIV感染の疑いがある人に対する人権侵害
D HIV/エイズに関する情報の隠蔽
E ビルマ帰国後の扱い
第7章 国際社会の反応
米国の政策と人身売買/他の国々/HIVとエイズ/国連機関
第8章 結論と勧告
タイ政府への勧告/ビルマ政府への勧告/国際社会への勧告
原 注
訳者あとがき(古沢加奈)
前書きなど
訳者あとがき
本書は、一九九三年に国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチによって刊行された“A MODERN FORM OF SLAVERY: Trafficking of Burmese Women and Girls into Brothels in Thailand”の全訳である。
私が原書を初めて手にしたのは一九九四年であったが、その二年程前の一九九二年三月に、私自身、タイ南部のラノーンで、売春宿に置かれているビルマの女性たちとの接触を試みた経験がある。一九九〇年代初頭、タイ国内では、すでに彼女たちのことが報道されていたし、ビルマの軍事政権による民主化運動弾圧からタイ・ビルマ国境に逃れてきたビルマ人たちからも彼女たちのことを聞いていた。ラノーンでは、友人たちの協力を得て売春宿の近くまで車で行った。売春宿は、町中ではなく、ラノーンの中心部と港の間の閑散とした地域に何軒か固まって建っていた。女性たちの姿を確認はできたものの、売春宿には拳銃が常備されているため停車することさえも危険だと言われ、それ以上近づくことはできなかった。「TOYOTA」という売春宿の名の看板が妙に印象に残っている。そんな状況を目の当たりにしているだけに、女性たちの生の声をたくさん集録しているこの本の貴重さを実感している。出版されてからすでに一〇年以上になるが、いまだに問題は解決していない。ここでは、この間に起こった時事的状況の変化や法改正など、現時点での状況を理解するために必要不可欠と思われるポイントをまとめてみたい。
ビルマからの人身売買の背景にある、ビルマ軍事政権による圧政、人権侵害は、今もなお続いている。一九八八年九月一八日に民主化運動を弾圧した軍事政権は、国家法秩序回復評議会(State Law and Order Restoration Council: SLORC)と名乗っていたが、一九九七年一一月一五日には名称を国家平和開発評議会(State Peace and Development Council: SPDC)とし、構成メンバーを入れ替えた。しかし、基本的には軍事政権の続行に変わりはなく、一九九〇年五月二七日の総選挙で圧勝したNLD(国民民主連盟)への政権移譲も果たされていない。アムネスティ・インターナショナルによると、二〇〇五年二月現在、ビルマには一三〇〇人以上の政治囚がおり、その多くが深刻な健康問題で苦しんでいる。二〇〇四年一一月・一二月に三回の大量釈放があり、計一万四三一八人が釈放されたが、そのうち政治囚は六一人だけであった。ちなみに、このとき、民主化運動の学生指導者ミンコーナインが一五年半ぶりに釈放された。NLD書記長のアウンサンスーチーは、一九八九年七月二〇日から一九九五年七月一〇日まで自宅軟禁状態に置かれた。一九九五年の解放後も厳しい監視と行動制限の下で民主化運動を続けていたが、二〇〇〇年九月二二日から二〇〇二年五月六日まで再度自宅軟禁状態に置かれた。そして、二〇〇三年五月三〇日、ビルマ北部遊説中に軍事政権側の支持者による組織的襲撃を受け、ラングーンへ移送された後、また自宅軟禁状態に置かれた。軍事政権は彼女の軟禁をさらに延長し、二〇〇六年一〇月現在も、自宅軟禁は解かれていない。彼女は、計一一年もの間、拘禁されているのである。
軍事政権による人権侵害は広範囲にわたり、ビルマの民衆を苦しめ続けている。シャン、カレン、カヤー、モン州の一部でSPDCによる反政府勢力の掃討作戦が行われているが、村人たちは強制的に移住させられたり、ポーターとして国軍に強制徴用され武器や弾薬を運ばされたり、人間地雷探知機として地雷敷設地帯を国軍部隊より先に歩かされたりしている。さらに、多くの女性たちが、国軍兵士にレイプされており、虐殺されるケースもある。SWAN(シャン女性アクションネットワーク)とSHRF(シャン人権基金)が二〇〇二年に発行した“LICENSE TO RAPE: The Burmese military regime’s use of sexual violence in the ongoing war in Shan State”(『レイプの許可証――ビルマ軍事政権によるシャン州での戦時性暴力の行使』)は、ビルマ国軍による一七三件の性暴力事件について詳しく報告し、女性に対する性暴力が戦争の武器として組織的に用いられていることを明らかにしている。
ビルマでは、軍事政権が貿易規制の緩和政策などによる外国資本の本格的導入を図った結果、一九九〇年代前半には外国企業の投資も増えた。都市部の表面的な変化からは、一定の経済発展が見えてきたように思われたが、農村部の経済は厳しい状況にあった。一九九七年以降は、東南アジアの通貨危機の影響によるビルマへの投資額の激減、インフレの進行などにより、都市部の経済成長も後退し、深刻な状況が続いている。軍事政権下の厳しい経済的状況を背景に、ビルマから隣国への人身売買は後を絶たない。特に近年では、女性たちが中国に人身売買されるケースも増加している。
一九九五年の北京会議(第四回国連世界女性会議)の後、ビルマでは女性政策に関する大きな変化がいくつかあった。一九九七年には女性差別撤廃条約に署名し、批准している。また、女性問題委員会をはじめとする種々の政府の女性組織(母と子の福祉協会、女性スポーツ連盟など)を設置した。しかし、それらの組織は男性主導であり、メンバーはほぼ全員が軍事政権高官の妻たちである。体裁だけは整えているが、実態は、北京会議の趣旨に則しているとは言い難く、中身が伴っていない状態であると言わざるをえない。
一方、一九九〇年代半ばから、タイ・ビルマ国境や北タイを拠点とするビルマの女性たちの組織化が進み、新しいグループやネットワークも誕生した。人身売買によってタイや中国に売られてきた女性たちにコンドームを無料配布するなどのサポートに取り組む活動も展開されている。彼女たちは、現軍事政権による圧政・人権侵害から逃れて来た女性たちや、数十年にわたって内戦を戦ってきた少数民族の女性たちである。一九九九年一二月九日には、Women’s League of Burma(ビルマ女性連盟)が創立された。同連盟には、Burmese Women’s Union(BWU)、Kachin Women’s Association-Thailand(KWAT)、Karen Women’s Organization(KWO)、Kuki Women’s Human Rights Organization(KWHRO)、Lahu Women’s Organization(LWO)、Palaung Women’s Organization(PWO)、Pa-O Women’s Union(PWU)、Rakhaing Women’s Union(RWU)、Shan Women’s Action Network(SWAN)、Tavoy Women’s Union(TWU)、Women’s Rights and Welfare Association of Burma(WRWAB)の合計一一の組織が加盟している。
タイでは、一九九〇年代から、この問題に関連する法律の改正が相次いだ。一九九七年には、「一九九七年女性と子どもの人身売買に関する保護および禁止法」が成立し、「一九二八年人身売買禁止法」は廃止された。新法では、人身売買に関する犯罪の範疇が広げられ、教唆した者に対する刑罰も定められた。旧法では、人身売買によってタイ国内に連れてこられた被害者を三〇日間更生施設に収容するとされていたが、新法ではシェルターや職業訓練所などの施設の提供が規定されている。また、新法では、被害者を女性や少女に限定せず、性別を問わないものと定められている。「反テロ対策」の一環として国際的に人身売買に対する取り組みが強化されている近年、タイ政府による人身売買対策には特にめざましい動きが見られる。タイは、二〇〇三年に発効した「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約に対する人身売買補足議定書」の署名国であり、また、女性と子どもの人身売買に対するASEM(アジア欧州会合)計画作成の中心メンバーでもある。タイ政府は、二〇〇三年四月四日には、人身売買に関する三つの覚書を公表した。それらは、「女性と子どもの人身売買に関連する政府機関のための共通ガイドラインおよび実践に関する覚書」、「女性と子どもの人身売買に関する政府とNGO間の手続き協力に関する覚書」、「女性と子どもの人身売買に関するNGOの適用可能なガイドラインに関する覚書」である。三つの覚書の目的は人身売買された女性や子どもの保護と援助にあるとされており、その内容通りに機能すれば、これまで法によって「犯罪者」とされてきた女性たちが「犠牲者」と見なされ、状況が改善されるのではないかといった期待も寄せられている。売春についての法も一九九六年一〇月二二日に新たに施行され、「一九九六年売春防止・禁止法」が、旧法の「一九六〇年売春禁止法」にとって代わった。主に一八歳未満の児童売春を防止することに力点が置かれており、一八歳未満の子どもを買春した者に対する罰則規定が設けられた。売春斡旋者や売春宿のオーナーらへの処罰も強化されたうえ、一八歳以上、一八歳未満、一五歳未満によって罰則の重さについて異なった規定を設けている。売春に従事した者(性労働者)に対する処罰は軽減されたものの、なくなったわけではなかった。例えば、一九六〇年売春禁止法では、「売春を目的として道路などの公共の場所で勧誘した者には三カ月以下の懲役または一〇〇〇バーツ以下の罰金あるいはその両方に処する」と規定されているが、新法では「売春を目的として道路などの公共の場所で勧誘した者には一〇〇〇バーツの罰金に処する」と規定されている。売春法の改正にあたって、当初は、女性財団、女性の友、EMPOWERなどの女性団体も関心を寄せていたが、売春に従事した者(性労働者)に対する罰則規定を残すことが判明した時点で反対の声をあげた。彼女たちは、今回の改正では売春の地下化が進むだけはないかと憂慮していた。一九九六年売春法が成立した後も、タイでは売春法に関する議論が活発になされてきた。二〇〇三年一一月二七日・二八日、タイ政府は五〇〇人余りの国民を集め、売春の合法化に向けた公聴会を開催した。こうした積極的な動きの背景にある政府の思惑は、合法化による売春の統制から得られる莫大な税金収入にあると言えるだろう。EMPOWERなど、性産業で働く女性たちの権利獲得を目指している団体は、女性たちを処罰の対象としないことを望んではいるが、合法化に向けた政府の思惑とは大きなギャップがある。このようにタイでの法、政策面での変更があったものの、ビルマの女性たちに関しては、一九七九年移民法により、不法入国者として拘禁される点については変わりはない。
タイで性産業に従事しているビルマの女性たちは、現在もなお後を絶たない。人身売買によって連れて来られるケースもまだまだなくなってはいないが、一九九三年当時と比較すると、いったんビルマに帰国した後、再びタイに密入国し性産業に従事するケース、不当な借金地獄から抜け出した後もタイにとどまり長年にわたってタイで性産業に従事しているケースが増えている。二〇〇四年一二月二六日のスマトラ沖地震による大津波では、タイでの被災状況も厳しく、何千人もが死亡・行方不明となったが、一説によると、二〇〇〇人以上の性労働者が亡くなったと推計されている。そのうち大多数はビルマの女性たちであったが、密入国した彼女たちには、もちろんIDカードもなく、誰も本名さえ知らなかったため、身元の確認もままならないという報告がある。被災地域では、津波の被害からは逃れたビルマ女性たちも、住み込みで働いていた店が流され、仕事も行き場も失い、ビルマからの出稼ぎ労働者が働くプランテーション農園などに逃げ込むなどして、性産業従事者・不法入国者として捕まらないよう身を潜めている。このことからも明らかなように、タイの性産業に従事しているビルマの女性たちは今も多く、彼女たちが自らのために行使できる権利はあまりにも保障されていない。
上述したように、原書が刊行されてから今日までの間に状況が変化した部分もあったが、根本的な部分では問題は変わっていない。また、現在も続く人身売買はもちろんのこと、現在もタイで働く直接の原因が人身売買でない場合も、一番はじめにタイに来たのは人身売買によるものであったという女性たちのことを理解するうえで、この本が果たす役割は大きいと考えられる。
また、人身売買の背景にある政治的経済的要因を明らかにしようとする本書のアプローチは、世界的に拡大し続ける人身売買の現状と照らし合わせてみても非常に重要である。今日、米国主導の「対テロ戦争」の一環として人身売買禁止の動きが急速に広がってきたが、一九九七年からASEANの正式加盟国となっているビルマでも、二〇〇五年九月には人身売買取締法が制定された。しかし、このような動きが人身売買問題に解決をもたらすと楽観視することはできない。そればかりか、女性たちの直面する状況がより過酷なものに悪化するのではないかと懸念される。なぜなら、人身売買の背景にある政治的経済的要因が未解決のままだからである。米国主導の資本主義グローバリゼーションと「対テロ戦争」の進行自体が、人身売買の世界的拡大の背景にあることに注目する必要がある。
古沢 加奈
上記内容は本書刊行時のものです。