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イギリス労働者の貧困と救済
救貧法と工場法
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2005年10月
- 書店発売日
- 2005年10月26日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2015年8月22日
紹介
底辺の差別された労働者の姿を描くことに一貫してこだわり続けた,実践的社会科学者であり社会労働史家である安保則夫の学問的軌跡を辿って編まれた研究書。1830年代から20世紀初頭のイギリスにおける労働者の労働・生活状態と貧困問題を追究している。
目次
イギリス社会労働史研究の課題――安保則夫の仕事を受け継いで(高田実)
第一部 救貧法と失業問題
第一章 新救貧法行政の展開、一八三四~四七年
第二章 イギリス救貧法行政の展開――一八六一~六五年の「綿花飢饉」と失業者救済問題を中心として
第三章 イギリスにおける失業救済事業の展開、一八八六~一九〇八年――いわゆる「救貧法の解体」の一過程として
第四章 一九〇五~〇九年の王立救貧法委員会について――イギリス失業政策史との関連において
第五章 一九〇五~〇九年の王立救貧法委員会と失業問題
第二部 貧困観の旋回と新自由主義
第六章 イギリス新自由主義と社会改革――世紀転換期の社会改革論争にみる「自由主義の変容」の意味
第七章 イギリス新自由主義と社会改革――世紀転換期における失業=社会問題の認識をめぐって
第八章 イギリスにおける貧困認識の旋回――『ロンドンの見捨てられた人びとの悲痛な叫び』をめぐって
第九章 貧困の発見――チャールズ・ブースのロンドン調査をめぐって
第三部 工場法とマッチ工場の労働
第一〇章 イギリス工場法とマッチ工場、一八四三~六三年
第一一章 一九世紀後半期イギリス工場法と「暗い劣悪な工場」――マッチ工場と黄燐中毒問題を中心として
第一二章 一八八八年のロンドン「マッチ女工ストライキ」
あとがき――安保則夫氏の仕事を編んで(井野瀬久美惠)
初出一覧/索引
前書きなど
イギリス社会労働史研究の課題――安保則夫の仕事を受け継いで
歴史は社会の底辺を生きる無数の労働者に支えられて動いてきた。この自明の事実を描く歴史家が少なくなっている。額に汗し、油と泥にまみれ、往々にしてさまざまな差別を受けて働く者の姿が歴史像のなかから消えかけているように思える。
労働から生活へ、生産から消費へ、労働運動から新しい社会運動へ、実態から言説へ、記録から記憶へ、国家史から帝国史やグローバル・ヒストリーへ、歴史学の主要な関心はこの三〇年のあいだに大きく変化した。それに伴って多数の貴重な研究成果が生み出されたことは否定できない。しかし、そうした歴史学の方法的転回に揺れ動かされることなく、底辺の差別された労働者の姿を描くことにこだわり続けた実践的社会科学者が関西にいた。本書は、この社会労働史家、安保則夫の学問的軌跡を辿り、そのアカデミック・メッセージを後進に伝えるために編まれた研究書である。
当然ながら、その仕事は安保自身の手でなされるはずであった。しかし、残念なことに彼の早すぎる死はそれを不可能とした。いまとなっては、後に続く者が安保の意図をできるだけ正確に汲み取りながら、その軌跡をフォローするしかない。ただ、本書はそうした消極的な理由だけから編まれているわけではない。より積極的に、安保則夫との対話の場を設定することを通じて、今後のイギリス社会労働史研究のあり方を再検討する機会を提供したいと考えている。一人の研究者の学問的な軌跡を追う作業は、感傷的な追憶の儀式ではない。それは、読者それぞれがその人の精神史を読み解くことを通して、自己を再確認する好機となりうる。われわれが安保の仕事とどのような対話を行なうか、もちろんそれは読み手それぞれの判断に委ねられている。
安保則夫が、神戸の被差別部落問題への強い実践的関心とそこから生まれる学問的な問題意識を基盤にして、洋の東西における労働運動と貧困・差別の歴史、彼自身の言葉を借りれば「寡黙の歴史」を主要研究テーマとした研究者であったことは周知の事実であろう。このうち日本に関する研究はすでに、『ミナト神戸 コレラ・ペスト・スラム――社会的差別形成史の研究』(学芸出版社、一九八九年)としてまとめられている。
ただ忘れてならないのは、安保の学問形成がイギリスの労働運動と貧困問題研究を起点としており、彼がこのテーマに対する関心を一貫して抱き続けていた点である。たしかに一九八〇年代後半以降、安保のなかで神戸を中心とする兵庫県の貧困・差別問題とその形成史に対する関心がより大きくなったことは間違いない。しかし、彼の学問的な業績を振り返ってみると、一八三〇年代から二〇世紀初頭にかけてのイギリス労働者の労働・生活状態と貧困問題について、時代を追いながら体系的に追究していることがよくわかる。
このテーマに関する安保の仕事は大きく四つの系列、同時に四つの時期に分けられる。第一に、一八三〇~四〇年代の労働運動(一九七二~七七年、四論文)、第二に、イギリス救貧法行政史(一九七八~八一年、五論文)、第三に、貧困観の転換(一九八二~八七年、四論文)、最後に、一九世紀後半の工場法とマッチ工場労働者(一九九〇年代以降、三論文)である。本書には、これらのうち第二から第四の系列を収録し、全体を三部構成とした。論文の執筆順序と実際の歴史展開が若干前後するところもあるが、安保の学問の軌跡と方法的深化を追うという趣旨からして、計一二本の論文を執筆年次順に配列した。
(中略)
以上のように、第一部に収められた諸論文は、一八三四~一九〇九年における新救貧法の成立・展開・解体の歴史を、主として失業者対策行政に焦点をあわせながら描いている。
これに続き第二部では、救貧法の限界という実態のなかで、貧困観の旋回が起こり、世紀転換期に後の福祉国家の形成にもつながる新たな貧困観が登場したこと、そして、社会改革が「新しい経済社会の実現をめざす社会再建の構想」として位置づけられたことが明らかにされる。しかし、こうしたポジティブな側面をもつ新たな貧困観とその思想的基盤たる新自由主義も、その裏面では人間に対する厳しい姿勢を維持するという限界があったことを、安保は見逃さない。新自由主義者たちは、救貧法とは異なる形で「援助に値する者」と「援助に値しない者」とを峻別していた。しかも国家と個人の相互的な義務関係のなかで援助が与えられること、つまり義務を果たさない個人に対する国家の義務は存在しないという厳しい判断を彼らが堅持していたことを明らかにした。
(中略)
さて、このような安保則夫の業績は研究史上どのような意義を有しているだろうか。筆者の視点から、とりわけ重要と思われるのは、つぎの四点である。
まず第一に、安保の仕事は歴史研究における視点と構想力の重要性、とりわけ「下からの歴史」へのこだわりの大切さを教えてくれる。
近年一次史料が容易に利用できるようになり、イギリス史研究の精度は格段に高まった。それを前提とすれば、およそ二〇年前に書かれた諸論文がどれほどの意味をもつかについて、正直なところ疑問がないわけではない。しかし、そうした制約を勘案しつつも、われわれは、安保の研究から歴史像が史料の豊富さだけでは描かれえないことの意味を学ぶべきである。
いうまでもなく、できるだけ多くの一次史料に接する努力を行なうことは歴史家として当然である。しかし、歴史を書くうえでそれと同じくらい重要なのが研究者の視点や構想力である。安保の場合には、一次史料の相対的少なさを、基本文献と基本史料の精読によってカバーしつつ、日本の現実から問題を照射し、国際比較を行なおうとする姿勢が、歴史像を魅力あるものにしている。この点は、近年「ヨコたて史学」(=「輸入史学」)が横行し、研究の国際化が進むにつれて、各国の「国民史」が比較的無批判に輸入されるというパラドキシカルな学界の現状に対して、警鐘を鳴らすものとしても理解されなければならないだろう。
それでは安保則夫の、この視点と構想力を担保したものは何か。何よりも強調すべきは、「下からの歴史」を描くことへの徹底したこだわりである。社会を支える労働者、特に底辺の不熟練労働者の視点から歴史を書いている。
(中略)
第二に注目すべきは、安保が社会福祉行政史の重要性を早くから指摘していた点である。第一部所収の論文に関して特記すべきことは、一九七〇年代後半という比較的早い時期から、救貧法行政の実態への関心が明確であったことだ。ある社会福祉立法の歴史的意義を議論する場合には、ほとんどその成立史に関心が集中し、成立後の法の実際の運用については等閑視されてきた。このため、新たな立法の成立や政策転換の意義が過度に評価されて、早急に一般化されるきらいがあった。しかし、安保は早期から、こうした傾向の問題性を強く認識し、その克服に自ら着手していた。その慧眼と先駆性が正しく評価されるべきである。
(中略)
第三に、認識と実態の相対的な区別から、制度史と文化史の交流の可能性を学ぶことができる。
(中略)
最後に、安保の研究からわれわれが学ぶべきもののリストからどうしても落としてはならないのが、現代と過去の対話という視点である。言い古された言葉ではあるが、安保の場合、この言葉は、研究実践と社会実践の双方がシンクロナイズしながら進行する実践のあり方を指し示している。日本の現実の社会が提起する問題を内在化させ、それが歴史を視る目を先鋭化させることで、歴史のなかに埋もれていた真実が可視化される。今度はその歴史認識が新たな現代の歴史意識を生み出していく。
(中略)
研究の精緻化と国際化に伴い、大量の一次史料に接することなしには、質の高い歴史研究を生み出すことは不可能となっている。しかし、史料それ自身が何かを自発的に語ってくれるわけではない。いくらたくさん史料を読んでも、そこからメッセージを読み取る歴史家がいなければ、史料は何も語らない。
どんな歴史家が、どんな視点から史料に接するかによって、史料が語るストーリーは大きく異なってくる。安保自身は必ずしも大量の一次史料を渉猟し、その重みで歴史を書くタイプの歴史家ではなかった。むしろ、現実社会から問題関心を汲み取り、社会科学の理論をベースとしつつも、歴史の事実の重みに素直に頭を垂れる社会科学的歴史家であった。差別と貧困のないよりよき社会の実現をめざすという現代の視点から、過去の歴史に学びつつ、未来を見つめていた。そうした問題関心のなかで、常に現実・理論・歴史的実証の緊張感あふれる最高級の歴史研究をめざしていた。
いうまでもなく、この課題はオープン・エンディングである。安保則夫はこの困難な課題と最後まで必死に格闘していた。それを示すものがここにある。安保自身が妻とともに、マンチェスター市立図書館で書き写したノートの山である。安保家に所蔵されている堆く積まれた工場監督官調査に関するこのノートは、「歴史家たるもの、だれが社会を底辺で支えているのか、忘れてはならない」と語りかけているように思えてならない。
われわれの安保則夫との学問的対話はこれからも続く。
二〇〇五年八月
高田 実
上記内容は本書刊行時のものです。