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カナダの継承語教育
多文化・多言語主義をめざして
原書: HERITAGE LANGUAGES: The Development and Denial of Canada's Linguistic Resources
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2005年5月
- 書店発売日
- 2005年5月25日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2010年2月22日
紹介
多文化教育先進国カナダにおいて,移民が持ち込んだ文化や言葉をどのように教育の中で扱ってきたかを,カナダの言語教育研究の第一人者カミンズとダネシが1990年に論じた名著の待望の日本語訳。巻末に訳者による「カナダの継承語教育年表」つき。
目次
謝辞
第1章●イントロダクション 言語戦争
第2章●多文化のベールを取ると…… カナダ人のアイデンティティの形成
第3章●アンビバレンスの容認 多文化主義から多言語主義へ
第4章●人的資源としての言語 継承語強化の根拠と研究
第5章●声の否定 カナダの学校教育におけるろう児の言語の抑圧
第6章●21世紀の多文化主義と多言語主義 道を切り拓くか、遠くの星を眺めるだけか
付録資料●継承語プログラムの教育的効果
参考文献
カナダの継承語教育その後――本書の解説にかえて(中島和子)
カナダ継承語教育年表
索引
前書きなど
カナダの継承語教育その後――本書の解説にかえて
原書は133ページ、13×21cmの小冊子である。タイトルは『継承語――カナダの言語資源の開発と否定』である。庶民のための啓蒙書という体裁のもので、カナダの有識者(継承語教育擁護派)が手にとることはあっても、「カナダから一歩も出なかった……」とカミンズ教授自身が述懐しているほど、世に広まらなかったものである。カミンズの著作には、世界的レベルの学術書が数多くあるなかで、なぜ本書を選んで日本語に訳したのかと聞かれれば、答えは一つである。少数言語児童生徒の母語教育を多文化・多言語主義との関連でとらえ、母語教育の理論的根拠とその重要性をこれほど実証的にしかも実態に即して書かれたものは、私の知る限り他にないからである。国内の外国人児童生徒教育にかかわるものの一人として、ぜひ母語・継承語の教育的意義とその実現の難しさについて日本の識者や学校関係者にも知ってもらいたいというのが正直な理由である。カミンズ教授の著作には少数言語児童生徒の言語発達の問題をバイリンガル教育の立場から扱ったものが多いが、「言語資源」という概念とともに継承語教育の重要性を力強く打ち出しているものは他に見あたらない。
本書は6章と付録からなる。第1章でカナダ人のアイデンティティ構造との関係で継承語教育に関する政策立案者とマイノリティグループの論争を取り上げ、第2章でカナダの多文化政策との関連で、継承語論争を分析、歴史的に位置づける。第3章では、継承語教育に関する一連の連邦政府、州政府の政策と、継承語プログラムの台頭、隆盛、停滞を実態に即して全国的な規模で克明に追っている。第4章では、どうして継承語教育を公教育に導入する必要があるのかその理論的根拠を明らかにし、個人およびカナダ社会を豊かにする「言語資源」としての継承語という概念を導入している。巻末の付録には、その理論的根拠をサポートするカナダで行われた実証的研究を列挙している。第5章では、特異な少数派言語である、ろうコミュニティの言語問題を取り上げ、継承語に相当する手話の重要性を明らかにするとともに、マイノリティの子どものエンパワーメントの構造的枠組みを提示している。実は第5章は2003年に私が和訳して『ぼくたちの言葉を奪わないで!』に掲載されたものであるが、今回それに手を加えた。第6章では、これからの国際社会におけるカナダの役割との関係で、継承語教育とカナダの言語資源の育成の重要性を位置づけている。
以上で明らかなように、本書はカナダ学や地域研究としてカナダを扱う専門家はもとより、広く多文化主義、多言語主義、多言語社会と言語教育、国際理解教育、反人種差別教育、少数グループの言語権や言語学習権、少数言語児童の教育・言語・アイデンティティ問題などに興味のある読者に貴重な情報と視点を与えてくれる。もちろん、母語・継承語教育、バイリンガル教育に興味のある識者には必読の書と言える。ただし本書は、言語教育を専門とする読者はすぐ気づかれると思うが、いったいどのような学習者に、どのようなカリキュラムを立てて、どのような教材を使って、どのような方法で継承語を教え、どのように評価するかという、いわゆる教授法一般で扱われる具体的な内容に関してはまったくと言っていいほど触れられていない。本書の特色は、あくまでもカナダ型多文化・多言語主義の接点にある、両者の調整役としての継承語教育の意義づけにある。
多言語主義は、多文化主義がどれほど徹底して実践されるか、あるいはそれが単に便宜的な政策にすぎないかを測る一種のバロメーターになると言われる。多文化主義を「一つの社会に複数の文化が共存できるように、それぞれの独自性と異質性を尊重し、集団間の不平等を正そうとする立場」(応用言語学辞典、2003: 387)とし、多言語主義を「社会の多言語併用に積極的価値を認め、これを保障し推進する立場」(三浦、1997: 12)と定義するならば、論理的には多文化主義を推し進めれば、当然多言語主義を伴わざるをえないし、多言語主義は多文化主義を前提にすることになる。カナダはこの点で、多文化主義の枠内で、継承語教育を推進してぎりぎりの線まで多言語主義を実現しようとした貴重なケースと言える。同じ多文化主義を掲げる国でも、オーストラリアなどは多文化主義をモットーとするが英語一辺倒の一言語主義であるし、フランスなどのようにEU(ヨーロッパ連合)に向かって「多文化主義」を力説するが、国内に向かっては「一文化・一言語」主義を通すという立場もある。このように、多文化主義を正面に打ち上げても、実際に多言語主義の実現に向かって努力したケースは少なく、カナダが遭遇した財政面、行政面、その他さまざまな問題は今後多文化・多言語主義を推進するうえで大いに参考になるものである。「カナダ型多文化・多言語モデル」として積極的に評価されるべきであろう。
「カナダ型多文化・多言語モデル」の中核をなすのは、「言語資源」という概念である。移住者が持ち込んだ多様な言語を前向きに評価し、それを、国を豊かにする言語資源と位置づけたものである。つまり彼らの言語を維持・伸長させることは、彼ら(マイノリティ側)に役に立つばかりではなく、われわれ(マジョリティ側)にとって役に立つ貴重な資源づくりになるという視点である。よって、国民の税金を使って公教育のなかで継承語教育を実施する価値があるという意義づけである。このようなマジョリティ側の、マイノリティの言語文化に対する価値づけや価値の吊り上げがあってこそ、カナダで多言語主義の実現に近づくことが可能になったと言える。このカナダの「言語資源」という概念が、米国の継承語教育の興隆の引き金になったことはすでに述べたが、日本国内の帰国子女教育においても、また外国人児童生徒教育においても、日本の豊かな言語資源の開発を目指して、この観点から継承語教育への取り組みが期待されるところである。
21世紀の国際社会は、地球上のさまざまな地域や国々の間で相互依存的関係が増大し、地球の一体化、グローバル化が進んでいる。それに伴って、これまでの国民国家の枠を越えた新しい統合理念に基づく多言語社会の実現が必至である。それは、多様な言語や文化の共生を踏まえたものであり、新しい統合理念のパラダイムが模索されなければならない。その具体的な一つの例がヨーロッパのEUであろう。EUは「欧州言語年2001」宣言で、多言語・多文化政策を表明し、多様性こそ欧州の力であり、すべての言語が平等に学習されるべきであるとして、「母語プラス二(地域)言語」という複(数)言語主義(plurilingualism)を提唱している。ヨーロッパの若者が少なくとも三言語、あるいは、英語を加えて四言語、つまり複数言語、習得するというのである。三言語とはまず母語、それに加えて自らの地域語と、隣の地域の言語だそうである。カナダが一国家のなかに実現しようとした「カナダ型多文化・多言語モデル」は「言語資源」という概念とともに、このような超国家グループの成立・発展の流れのなかで必ずや活かされていくものと思われる。
カナダの継承語教育研究について最後に一言付け加えておきたい。家庭、地域集団、学校を教育の場とする継承語教育は、学際的な視点を必要とする。この点、早い時期に「継承語研究者会議」などを開いて、言語教育の専門家だけでなく、社会言語学、言語心理学、文化人類学など多様な背景の学者を継承語教育研究に巻き込んだことが、カナダの継承語教育研究を豊かにしている。もちろん質、量ともに膨大なカナダの公用語のバイリンガル教育研究とは比較にならないほど少ないが、少ないだけに貴重なものである。継承語教育の中核となる二つの大事な概念、「言語資源」と「二言語相互依存性」(83ページ)は、いずれもカミンズ教授が提唱したものである。カナダの多文化主義を初めて政治の舞台で提唱したトルードー首相と並んで、カミンズ教授の貢献なしには「カナダ型多文化・多言語モデル」はここまで来ることはできなかったであろう。この意味でカミンズ教授の貢献は偉大である。(「カナダの継承語教育その後――本書の解説にかえて」より抜粋)
上記内容は本書刊行時のものです。