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日韓共通歴史教材 朝鮮通信使 日韓共通歴史教材制作チーム(編) - 明石書店
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日韓共通歴史教材 朝鮮通信使 (ニッカンキョウツウレキシキョウザイ チョウセンツウシンシ) 豊臣秀吉の朝鮮侵略から友好へ

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発行:明石書店
A5判
120ページ
並製
定価 1,300円+税
ISBN
978-4-7503-2096-0   COPY
ISBN 13
9784750320960   COPY
ISBN 10h
4-7503-2096-X   COPY
ISBN 10
475032096X   COPY
出版者記号
7503   COPY
Cコード
C0321  
0:一般 3:全集・双書 21:日本歴史
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2005年4月
書店発売日
登録日
2010年2月18日
最終更新日
2014年9月4日
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紹介

広島の平和教育をすすめる教師と韓国大邱の教師による初の共通歴史教材。豊臣秀吉の朝鮮侵略とそれに対する日韓の抵抗,戦後処理としての朝鮮通信使の復活,近世期の豊かな文化交流を軸に,日韓の若者に伝える新しい歴史教科書。

目次

まえがき
序章 15世紀の東アジア――日本・朝鮮・中国
第1章 豊臣秀吉の朝鮮侵略
 1――豊臣秀吉が朝鮮を侵略
 2――秀吉の朝鮮侵略に反対した人々
第2章 戦争がもたらしたこと
 1――「人さらい戦争」
 2――「焼き物戦争」
第3章 朝鮮へ帰順した人々
 1――朝鮮軍に加わった日本兵
 2――日本軍と戦った日本人武士沙也可
 3――沙也可はなぜ朝鮮に帰順したのか
 4――より良い日韓関係のための架け橋
第4章 再開された朝鮮通信使
 1――朝鮮通信使の再開を望む
 2――朝鮮が通信使の再開に応じる
 3――朝鮮通信使の編成
 4――朝鮮通信使に選ばれた人々
第5章 朝鮮通信使が行く
 1――漢城から江戸までのコース
 2――旅に使われた船
 3――朝鮮国王からの贈り物や徳川将軍からのおみやげ
 4――朝鮮通信使一行を見物して
第6章 広島藩の接待
 1――広島藩の海駅・三之瀬
 2――迎えの準備
 3――広島藩の接待
第7章 福山藩の接待
 1――鞆の浦
 2――福山藩の接待
 3――朝鮮通信使との交流
第8章 朝鮮通信使廃止
 1――対馬での応対
 2――朝鮮通信使招聘を廃止
あとがき――大邱
あとがき――広島
年表
人名索引
事項索引

前書きなど

まえがき  助言者・常葉学園大学客員教授 金両基 難産といわれつづけてきた「日韓(韓日)共通歴史教材」がながいながい陣痛に苦しみながらもそれに耐え抜いて産声をあげ、健やかな姿で両国で同時出版する日を迎えた。「広島・大邱(テグ)歴史副読本づくりプロジェクト」は、歴史的事実を確認し合いながら、共通の歴史認識という夢を実現し形にするため激論を繰り返しているうちに、あっという間に3年の歳月が過ぎていた。 その間、一人の落伍者も出さず、喧嘩別れにもならなかったが、相手方を説得するために熱弁を振るい、反論し、そして行き詰まり沈黙するシーンを繰り返してきた。それを乗り越えた秘訣はと問われたら、わたしは「信頼」の二文字をもって応えたい。相手に対する不信感がわずかでもあったら、初めての試みであるこのプロジェクトはまちがいなく頓挫したにちがいない。相手をうっちゃるとか、弱点を突くとかいったアンフェアな言動はまったくないというよりは、そもそもそういう発想がなく、共生時代を構築するためにどちらにも偏らない教材を作ろうという気持ちが支えになっていた。 折り返し点を過ぎておぼろげにゴールがみえ始めたころ、今回のテーマである文禄・慶長の役(壬辰・丁酉再乱(イムジン・チョンユジェラン))と修交回復をめぐって意見の相克がおきた。朝鮮王朝が徳川家康からの朝鮮通信使の回復要請を受け入れたのは、複数の要素が絡み合っていたと大邱側の執筆者が力説し始めた。明国の東北部ではのちに清国を形成する女真族が各地で内乱を起こし、東アジアの国際秩序が乱れる兆候があり、豊臣秀吉軍の急襲で国力が疲弊した現況では、自力で日本と戦える状況ではなかった。さらに日本に連行された俘虜を帰国させる案件を抱えるなど、複数の重要な要素が重なり合ったことが通信使を送る要因になったという自説を大邱側の執筆者が交互に述べ、接点がみえてこなかった。思えばこのプロジェクト最大の難所であった。相克は沈黙へとかわり、大邱側の執筆者は天井を仰ぎ、広島側の執筆者は目を床に落とし、重い空気が会議室に漂った。 「清国は1616年に建国されるから、通信使の派遣と清国とは関係がない。中国東北部各地で起きた内乱の多くは女真族によるものである。認識論ではなく、事実に基づいた議論に戻そう。民族や国家を背負わず、一人の教師として次世代を担う子どもたちに何を伝えたいのかという原点に立ち返ってほしい。みなさんは教師であり、学者ではないのだから、仮説を立てる必要はないと思う。いま、手に入る資料をもとにして、教育者として歴史的事実と向き合って考察してほしい。今後、新しい資料が出てきたら、それをもとにして再検討する機会をつくればよい」。 わたしは助言者としてこのように発言すると、大邱側から「これでは親日派と言われる」と言い、広島側からは「わたしたちは親韓派と呼ばれる」と応じる。全員が爆笑し、会場にさわやかな空気が漲った。限りなく歴史的事実と向き合いながら作業を進めてきたはずなのに、無意識のうちに民族や国家を背負い、発表後の社会の反応を意識していたようである。 歴史的事実と向かい合い、共通の歴史認識を求めるという初めての作業であり、議論と検討を重ねてやっと合意点に達するその寸前、予測できない難題に出会う。一つの山を越えるとまた山が姿を現すように、新たな課題が姿を現すのであった。 ときには歴史観の違いが争点になったりもした。その都度、「みなさんは歴史学者ではない、教師に立ち返ろう」とわたしは声をかけてムード転換を図る。そうした仕事が助言者としてのわたしの務めであり、意図的に流れを誘導するようなことはまったく考えなかった。 のちに悔いを残さない公平な議論を展開できる空間を創出しようと努めたにすぎない。両者が合意点に達する時点を想起してみると、その時点では全員が民族や国家を越えて一人の人間、一人の教師として歴史的事実と向かい合っていた。難題を持ち帰り、それをクリアするのに数ヶ月を要したこともあったが、クリアしたときの全員のすがすがしい笑顔とさわやかな笑い声がいまも蘇ってくる。 この教材は、一言でいえば、日本と韓国の共生時代を構築するために、一人の教育者として子どもたちに何を伝えたいかを反芻しながら進めてきた作業の結晶である。(後略)

上記内容は本書刊行時のものです。