レイプの政治学
レイプ神話と「性=人格原則」
- ISBN
- 978-4-7503-1735-9
- Cコード
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C0036
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一般 単行本 社会
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2003年5月
- 書店発売日
- 2003年6月10日
- 登録日
- 2015年8月22日
- 最終更新日
- 2015年8月22日
紹介
「レイプは性的欲望から起こるのではない」という新たなレイプ「神話」の誤りを明らかにし,日本を代表するフェミニスト上野千鶴子のセクシュアリティ論を詳細に検討し真っ向から批判する。
目次
まえがき
1 レイプの神話学
第1章 くつがえされたレイプ神話と新たなレイプ神話
第2章 レイプと性的欲望
第1節 ウェストの「男性性の代償行為」論
第2節 ウェストが言及した諸研究
第3節 アミルのサブカルチャー論とマッケラーの著書
第4節 グロスの「アンガーレイプ」「パワーレイプ」論
第5節 セクシャル・ハラスメント、近親強姦、子どもに対する性的虐待
付 論 八〇年代後半以降のレイプ論
2 レイプと「性=人格原則」
第3章 性の自由と「性=人格原則」
第1節 性の自由と性暴力
第2節 性的な自己決定権
第3節 性的自己決定権の制約原理としての女性の平等権
第4章 反「性=人格」論批判
第1節 上野千鶴子氏の反「性=人格」論
第2節 性暴力と親密性の価値
第3節 買売春と性的烙印
第4節 強姦被害の問題
注
文献一覧
索引
前書きなど
二五年前、結婚して、札幌市の郊外にあるアパートに住むようになった。付近には住宅は少なく、細々と営業をつづける工場がいくつか立っていた。道は工場に沿って延びており、人通りは少なく、バス停までの四〇〇メートルの間は街灯が二、三あるだけだった。そんなアパートにつれあいの友人が、まだ幼い子どもをつれて遊びに来たことがあった。ひとしきり遊んだ後、夜、帰り際、その友人が、あたかも私に聞かせまいとするかのように小声で、つれあいに話している内容を耳にしたときの驚きを、私は忘れることができない。 「私は小さい子どもがいるから襲われないけど、○○ちゃんは一人だから危ない。見送りはいらない」というのが話の内容だった。その時、私がどういう対応をしたのかは記憶にない。しかし私はそれ以来、この話が頭を離れなくなった。男性ならほとんど思ってもみないことに、女性たちは常日頃気をかけて生きなければならないという現実があること、一方、そうやって女性たちを襲い、脅かすのは、私と同じ性に属する男性であるということ――そのふたつの事実が、それ以来、私の心にずっとわだかまってきた。 私は一九九九年に、ポルノ・買売春が構成する男性のセクシュアリティに関する本を上梓したが、そこではレイプに対する問題関心が常に底流にあった。けれども、レイプをそれ自体で論じ、またそれに抗する原理を提示する必要があると痛感し、いくつもの原稿を書いてきたが、それらをもとに一冊にまとめたのが本書である。 本書は、前半で、レイプについて言われてきた「神話」を検討するが、その中でも、「レイプは性的欲望から起こるのではない」という新たな神話の誤りを明らかにすることに、多くのページを費やしている。内容は少々学問的であり議論は時に煩瑣にわたるかもしれないが、レイプにまつわる神話の誤りを正さんとする努力のさなかから、この新たな、危険な神話が形成された後だけに、神話形成の元となった文献をつぶさに検討することが不可欠であった。細かな論点を執拗に掘り下げており、一般の読者には若干読みにくい部分もあると思うが、これは、新たに作られ権威づけられた神話の脱神話化をはかるためにも、不可欠の作業であった。 また本書は後半に、レイプはもちろん、セックスの強制、しばしば女性に加えられる性的な烙印その他に抗するための「性=人格原則」について論じたが、それは同時に「性的な自己決定権」を擁護するための原理でもあることを詳しく論じた。また女性の平等権を、自己決定権に対する規定原理・制約原理として論じてもいる。その関連で、「性=人格原則」に対する、もっとも顕著な敵対者である上野千鶴子氏(氏は、小倉千加子氏とともに上記の新たなレイプ神話を広めた当事者でもある)のセクシュアリティ論を詳細に検討し、批判する作業を行った。 著者は男性である。しかし、男性が女性の論客に対する「もぐらたたき」のためにこの本を出したといった安直な評価だけはしないでいただきたいと、切に望む。本文にも記したように、上野千鶴子氏が代表的なフェミニストと目されているだけに、氏によってバックラッシュとしか言いようがない議論が展開されている事実を、プロ(親)・フェミニスト男性である私は、座視することができなかったのである。問題は、氏が「レイプは性的欲望から起こるのではない」という、根拠がないばかりか、非常に危険な神話に、何ら満足な検討も加えることなしに組し、それを確実な真理であるかのように語ってこれを広めたこと、また上野氏がレイプ被害や性的烙印の問題について、「性と人格とを切り離す」という無意味な論理で問題をそらしつづけたのみか、上記のように、レイプやセックスの強制に対する対抗原理であると同時に、性的な自己決定権を根拠づけるための原理たりうる、近代の「性=人格原則」に対する明確な敵対者として登場したという事実である。その悪影響は、氏の周囲の研究者やジャーナリストに確実に及んでいる。 私はいま、上野氏の議論を批判しその本質を明らかにしなければ、性関係、レイプを含む性犯罪行為、買売春、ポルノグラフィといった、セクシュアリティに関わる諸問題において、フェミニスト的な議論はもはや成り立ちえないという恐れをいだいている。(後略)まえがき 杉田聡