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地名を巡る北海道
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2010年12月
- 書店発売日
- 2010年12月17日
- 登録日
- 2010年11月26日
- 最終更新日
- 2020年10月14日
紹介
北海道のおもしろ地名115の由来をたどる探訪記。
その地で生きた人々の生活が、その歴史がまるわかり!
目次
目次
まえがき8
一 北海道14
二 知床19
三 カムイワッカ21
四 宇登呂23
五 斜里24
六 網走27
七 能取 27
八 湧別28
九 常呂29
十 紋別31
十一 渚滑・滝上32
十二 興部34
十三 忍路子36
十四 頓別37
十五 宇曽丹 39
十六 宗谷41
十七 稚内44
十八 礼文島・利尻島45
十九 苫前47
二十 留萌48
二十一 暑寒別・雨竜沼50
二十二 士別52
二十三 旭川55
二十四 美瑛 58
二十五 美馬牛59
二十六 富良野60
二十七 瑠辺蘂61
二十八 層雲峡62
二十九 神居古潭65
三十 歌志内・砂川67
三十一 一己69
三十二 トツプ71
三十三 オカネナイ川 71
三十四 於札内川72
三十五 面白内川73
三十六 ヤリキレナイ川74
三十七 鳩山78
三十八 北村80
三十九 浜益・増毛82
四十 送り毛83
四十一 濃昼84
四十二 札幌 85
四十三 手稲90
四十四 定山渓91
四十五 銭函92
四十六 小樽94
四十七 オタモイ95
四十八 余市97
四十九 積丹97
五十 後志と後方羊蹄山101
五十一 真狩 103
五十二 ニセコ104
五十三 京極106
五十四 比羅夫107
五十五 岩内108
五十六 発足109
五十七 瀬棚110
五十八 人住内川113
五十九 可笑内川114
六十 乙部 115
六十一 江差116
六十二 松前117
六十三 大千軒岳119
六十四 函館121
六十五 立待岬132
六十六 五稜郭と四稜郭133
六十七 亀田134
六十八 志海苔135
六十九 椴法華 139
七十 川汲141
七十一 駒ケ岳142
七十二 大沼・小沼・貧乏山144
七十三 鷲の木145
七十四 ワルイ川・ポンワルイ川149
七十五 長万部151
七十六 洞爺153
七十七 登別154
七十八 支笏湖 155
七十九 樽前山157
八十 恵庭160
八十一 余市岳161
八十二 苫小牧163
八十三 鵡川165
八十四 平取・二風谷168
八十五 新冠174
八十六 静内175
八十七 えりも 179
八十八 広尾183
八十九 長節185
九十 大津187
九十一 カンカンビラ188
九十二 礼作別川190
九十三 帯広191
九十四 イマナイ川193
九十五 ナイ川194
九十六 菅野温泉 195
九十七 トムラウシ山196
九十八 屈足200
九十九 糠平202
百 オンネトー湖204
百一 摩周205
百二 屈斜路湖207
百三 釧路208
百四 大楽毛212
百五 馬主来 213
百六 風連川214
百七 納沙布岬215
百八 北方四島216
百九 別寒辺牛・貰人225
百十 野付226
百十一 養老牛227
百十二 羅臼228
百十三 ピンネシリ・マチネシリ229
百十四 旭岳 230
百十五 赤岳・白雲岳236
百十六 松浦武四郎の蝦夷地図241
百十七 アイヌ民族245
あとがき 252
前書きなど
まえがき
平成二年、初めて北海道の旅をしました。それから年に二、三回、一回につき約一週間のドライブです。最初は観光でしたが、渓流魚がいそうな河川がいくらでもあるのを発見し、北海道の釣り案内書を購入して道内を釣り回り始めました。そのうち山にもという具合に、山、川、野原の大自然を満喫しているうちに、「濃昼」という地名看板を発見し、地名研究を兼ねた旅になってしまいました。日高・十勝は未踏地でしたが、一段落した段階であったので、平成十八年「北海道地名紀行」をまとめ自費出版いたしました。その後も旅を続けて今回(平成二十一年)日高・十勝も回りましたので、概ね北海道の海岸線を一周したことになりました。前回自費出版した「北海道地名紀行」を全面改訂し、ここに「地名を巡る北海道」の原稿を書きました。概ね北海道を一周したといっても、岩内から瀬棚の日本海側は未踏です。その未踏地も行きたかったのですが、自動車運転も後期高齢者となった今ではそろそろ終止符を打ったほうがよいと考えた次第です。
北海道の地名を書くに際してまず留意すべき点は、北海道の住民の歴史であります。簡単にその歴史を振り返ってみますと、いつ頃からとは判然としていませんが、日本人が住み始める以前から、アイヌ民族という先住民が居住していました。ストーンサークルや縄文遺跡もあるところから縄文人も住んでいました。
西暦一四〇〇年頃、東北地方で勢力を張っていた安東氏は、後から勢力を伸ばしてきた南部氏との勢力争いに負け北海道に追いやられたのです。その頃から日本人が住み始めました。その数多くても数百人であったと思いますが、その後、徐々に増え始め、江戸末期には凡そ六万人くらい居住していた模様です。アイヌ民族は江戸末期には二万人くらいですから、もうこの頃は日本人のほうが多いのであります。明治維新になって新政府は、北海道開拓に力を注ぎ、大量の開拓民を入植させ今日に至っております。
そのような事から、北海道の地名の特徴は、なんと言っても先住民族のアイヌ語の影響が強く反映され、地名の八十パーセントくらいがアイヌ語に関係しております。後から北海道に住み始めた日本人は、漢字などを使って日本語らしい地名を考え命名していますが、アイヌ語起源は圧倒的であります。
大まかに分類いたしますと、アイヌ語起源、開拓移民の故郷起源、もう一つは開拓者の人名起源の三つに分類されます。
外国を見ても、かつて先住民族が居住している、アメリカ大陸、オーストラリア大陸などにおきましても先住民言語起源の地名がありそうです。また、故郷起源の地名でもアメリカやオーストラリアでは母国イギリスの地名と同じものがたくさんあります。例えば、ロンドンデリーはアメリカのオハイオ州、バーモント州に、オーストラリアでは西オーストラリア州に合計三箇所あります。グラスゴーとなりますと、アメリカにケンタッキー州を始め五箇所もあるという具合です。
そこで、もう少し細かく分類を試みてみます。
一 アイヌ語起源地名
イ カタカナ表示のアイヌ語地名、トムラウシ、カムイワッカ、カンカンビラなど
ロ 漢字表示のアイヌ語地名、紋別、知床、士別、貰人など
ハ アイヌ語を意訳した漢字表示地名、たとえば「大沼」はアイヌ語ポン(大きい)・ト(沼)、
「利尻」は、リ(高い)・シリ(島)など
ニ ロとハの合成語たとえば「赤平」はアイヌ語フレピラが語源でフレが日本語の赤を意味しピラは崖を意味しています。フレを意訳して赤の字を当て、ピラは意訳せず発音のまま漢字の平を当てています。
ホ 一見、純粋の日本語名と見えますが、アイヌ語と関係している地名、たとえば亀田、千歳など。
二 開拓民の故郷起源地名、池田、伊達、新十津川、北広島など
三 人名起源の地名、京極、鳩山、松浦岳、間宮岳など
大まかに言いますと大体上記のどこかに当てはまります。もう一つの特徴は訛による転訛であります。江戸時代、次のような言葉がありました。オランダの植民地ジャカルタが「ジャガタラ」に、オランダ語Diamont(ディアマン)が「ギヤマン」に、和英辞典作成やヘボン式ローマ字を生み出した英国人Hepburn(ヘップバーン)、pがサイレントになって「ヘボン」に、ポルトガル語のPadre(パドゥレ)が「バテレン」に、スペイン語のMedias(メディアス)が「メリヤス」にという具合に転訛しています。いずれも当時西洋の言葉を読み書きできる人は少なく、全て耳からが頼りで、そのように聞こえるために転訛してしまうのであります。
アイヌ語に起因する北海道の地名においても同じような転訛の事例も多くあります。アイヌ語「ルペスペツ」がルベシベと聞こえ、「留辺蘂」と漢字が当てはめられております。また、アイヌ語「オモシリオナイ」がオモシロナイと聞こえ「面白内」の漢字が当てられています。このような事例は枚挙に暇がありません。帯広・濃昼などの語源もアイヌ語ですが、想像も付かないほどの変身度です。
考えて見ますと、日本人(以下「和人」と記します)から見ますと、当時、アイヌ民族の言葉は外国語同然であって、アイヌ民族は文字を持っていなかった口承文化であったため、聞き取るほか手がなく、和人が聞けば転訛が生ずるは必然と考えます。
その結果、アイヌ語起源の地名には、カタカナ表示にしたり、一字一字意味を持つ漢字を当てたりしていますが、その過程で様々な面白さを醸し出しております。特に川の名に奇妙なのがあります。たとえば「ヤリキレナイ川」(本文項目三十六参照)、「オカネナイ川」(本文項目三十三参照)などです。
もう一つの特徴は語尾にアイヌ語ナイ(小さめの川)に当てた漢字「内」、またはアイヌ語ぺッ(大きめの川)に当てた漢字「別」の地名が多いこと、その他目立つのは、牛またはウシ(ところ・場所)、ポン(小さい)、ポロ(大きい)、シまたはシリ(いずれも大地、山、島、陸地)、リ(高い)、ラ(低い)、ピラ(崖)、オンネ(古い、年をとった、大きい)などの付いた地名が多いことに気がつきます。これらの言葉は度々登場しますので覚えておくと便利です。
更にもう一つ、アイヌ語の特徴は、バビブベボの音で始まる言葉は殆どなく、パピプペポの音で始まります。
次ページから本文に入りますが、地名の下の括弧の中のひらがな文字は、読み方を示します。わかりきった地名の読み方は省略します。また、地図で探しやすいように、大まかな場所を示しておきます。距離数字は地図上の直線距離(概数)です。
あとがき
平成二年頃より、北海道の旅を続けてまいりました。その初めの頃と現在を見ますと、北海道は全般的にそう変わってはいません。気が付いた点をいくつか上げて見ます。まず第一にJR札幌駅南口です(項目四十二の札幌参照)。二番目に高速道路です。当初は「道央道」と「札樽道」の二本だけでしたが、現在、「道東道」が建設中、千歳・夕張間とトマム・池田間の両端が既に使用されて、残りのトマム・日高山中の大トンネルが完成しますと、札幌と十勝が高速道路で結ばれます。一方、道央道の両端も南側では落部まで延伸、北側では士別まで延伸使用されています。一般道では、主要道でも度々砂利道に遭遇した覚えがありますが、最近では林道を除いては見られなくなりました。三番目は平成四年(一九九二年)に完成された新千歳空港ターミナルビルです。
開発に関して言えば、平成三年頃、釧路湿原の周囲は某会社が取得した開発許可の看板が多数見られたものの、バブル崩壊で中断されたかと思います。また、山間部に入ると散見された離農農家の空家が最近あまり見られなくなりました。
北海道に行くときは、その都度、すっきりと晴れ上がった気候を期待して出かけるのですが、晴れていても見通しの利かない日が多いのは温暖化の関係でしょうか。二酸化炭素の増加が地球温暖化に拍車をかけていると言われています。間氷期である現在の地球を合わせて考えると本当なのでしょうか。
あの大自然を走り、郊外の田畑、原始林、大樹林帯、山川などを見て、開拓前の原野を想像すると、開拓者の意気込みと苦難をひしひしと感じます。その反面、アイヌ民族の歴史を考えざるを得ません。一方、残された大自然は貴重な自然遺産で、もうこれ以上の開発は止めてもらいたいものです。
使った車は四輪駆動の中古車、荒道を苦ともせずよく走りました。旅行中の失敗は、スピード違反で反則切符を切られたこと、釣った魚を手網に取り込み中に瞼を虻に刺されたこと。そのため片目がつぶれて、運転中止を余儀なくされ、途中の宿へ余計な宿泊をしたくらいで、たいした事故もなく終わって良かったと思っています。
平成二十二年九月一日 森 孝
上記内容は本書刊行時のものです。