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聞書水俣民衆史 5 岡本 達明(編) - 草風館
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聞書水俣民衆史

聞書水俣民衆史 5

発行:草風館
A5判
352ページ
並製
定価 3,000円+税
ISBN
978-4-88323-034-1
Cコード
C1022
教養 単行本 外国歴史
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
1990年6月
書店発売日
登録日
2015年8月22日
最終更新日
2015年8月22日
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紹介

第五巻「植民地は天国だった」1925~1948年頃
▼水俣の村と工場の道をたどつていくと、朝鮮に出る。いやでも、植民地の問題が、正面に立ちはだかってくる。歴史的な経緯を記すのは、やさしい。日本窒素は、アンモニア合成に成功するや、直ちに朝鮮赴戦江に二〇万キロの大発電所を作り、興南に硫安年産五〇万トン(当時世界第三位)という巨大化学工場を建設する。興南工場は、やがて総合的化学コンビナートに発展していく。水俣工場からも、多数の労働者が転勤。その親戚知人を頼り、まるで民族移動のように、水俣から人々が朝鮮に渡った。
▼植民地は、物価は安く収入は多かった。水俣では夢にも考えられなかった、栄耀栄華な暮らしができた。出世も早かった。万国の労働者などというものはなかった。末端労働者でも、支配民族の一員だった。日本人と朝鮮人の間で、個人と個人の関係は、存在しなかった。あるものは、民族と民族の関係だけで、蔑視と憎悪に満ちていた。「朝鮮人は…と思え」という公式だけが、通用した。暴力がまかり通った。
▼本巻は、日本窒素が、朝鮮でどのようにして大発電所や巨大工場を建設していったかに始まり、朝鮮における水俣の民衆の生きざまや意識を、克明に聞書していく。日本人労働者は、身分別に分けられた「大社宅区域」に住んだ。対するに、山の付け根にみじめな朝鮮人部落があった。工場の中での労働の有り様や朝鮮人労働者との関係は、もちろん追う。そして敗戦。世界は引っ繰り返り、日本人は社宅から追い出される。ソ連軍の駐留、飢えと病気、日本への逃亡行一。当然のことながら、本巻が、日本人民衆の記録であることは、留意して欲しい。朝鮮人で、興南の記録を作る人があるとすれば、全く別のものになり、真実の大半は、その幻の記録に記されることになるだろう。
▼全巻にわたった聞書は、本巻でひとまず終わる。村が二巻、工場が二巻、朝鮮が一巻。水俣民衆史の意味は、読む人により、さまざまなとらえかたがあるに違いない。

目次

一 植民地の巨大工事
 赴戦江発電工事と興南工場の建設
   日本窒素の朝鮮電気事業
   いかにして赴戦江の水路を掘ったか
   赴戦江堰堤工事と曝首
   輿南工場の建設
 植民地生活の始まり
   水俣からの転勤職人の回想
   朝鮮人の目、日本人の目
   安い物価、多い収入
 
二 植民地の化学工場
 日本人の工場
   輿南肥料工場
   海軍航空燃料アセトアルデヒド工場
 統治と技術
   個人と民族
   死傷を前提にした技術
三 植民地の民衆
 鬼針金の鉄条網の中で
   いかに工場を警備するか
   逃げ帰るオモニ
   俺より下は居ない
   カフェと遊郭い
   頭の切り替ぇ
   三つの言葉
 日本人社宅の奥さん
   社宅の暮らし
   朝鮮人部落
   夜逃げ先
   金の玉を握り錦を飾る
   昨日をあざ笑う
四 植民地の崩壊
 36年め
   戦時下及び末期の工場
   四人の兵士
   一職人の日記 8月15日~9月3日
   社宅の入れ替わり
 難民化と興南地区人民工場
   災厄
   一職人の日記つづき 9月末~11月
   飢え
   建国する側
   日本人技師者連盟
 日本への逃亡
   人間の極限
   一職人の教会報告
   夫の国へ
  植民地とは何であったか

前書きなど

熊本日日新聞 1990.10.4
うぶすな百年の壁画
現代口碑学へ新地平拓く
谷川雁
記録破りの夏がまだ炎をあげている8月の末、『聞書水俣民衆史』全5巻が完結した。私にとって自分の<うぶすな>の長大な壁画ができあがった心持ちである。お生まれははどこ。水俣病のミナマタですと答えてきたが、ゆりかごの微妙な震えを語るのはむずかしかった。これからは、どうぞこのシリーズをお読みくださいといえばいい。青くやせた自分の幼年時代の外界を説明するのに、これがあれば一言もつけ加える必要がない。(中略)
だが、悲劇の背景の解説として、これほど説得力のある読物もあるまい。登場する語り部の実数は男女およそ300人。その9分9厘は土地の実生いであって、維新から敗戦までの80年を、この地の民が得意とする歯に衣きせぬリアリズムで、固有名詞に遠慮することもなく、精細きわまる具体性で語りつぐ。百千の挿話の端切れが系統を追って配置されていくうちに、事実の空隙は埋められ、シニカルでおどるような語り口がいつしか人間喜劇の巨大なつづれ織となってひろがる。もちろん私の知った顔もある。友人の血族もいる。けれども同窓会の写真のような盲目の親和感も、堂派を組んだひきつりもない。ここにあるのは、はるかな星團さながらにつめたく澄んだ<内なる水俣>である。正味の水俣がここにいる。寺の近くに橋があり、たむろしていた子守娘らは泣く子を背負い帯でゆわえて川面につるし、ヨーヨーのように上下して恐怖のあまり泣きやむのをなぐさみにしていたっけ。彼女らの乾いた精神にひびきあう即物性がこの聞書の骨格になっている。
一朝一夕の作業ではない。20年間の聞きとりを整理した<口碑による絵巻物>。一級の史料がしばしばそうであるように、まとめられた総体は文学の域に達している。誇張だとおもう人は死刑因永山則夫の作品と読みくらべてみるがいい。虚飾なき貧窮の鉛筆画というものが南北をこえてある相似をもっているのにおどろくことだろう。辺境の村にとって近代とは何であるか。すでに数かぎりもなく発せられ、いまアジアのすみずみで波だっているこの問にたいする正解はまだない。まさにそれゆえに、社会学、経済学、民俗学などもろもろの学の基盤をなすこの<現代口碑学>への方法意識は貴い。現地の水俣に各巻700人の読者がいるという事実が、眼をみはるようなその可能性を示している。

上記内容は本書刊行時のものです。