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原子力政策大綱批判 伴 英幸(著) - 七つ森書館
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原子力政策大綱批判 (ゲンシリョクセイサクタイコウヒハン) 策定会議の現場から

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発行:七つ森書館
四六判
240ページ
上製
定価 2,500円+税
ISBN
978-4-8228-0618-7   COPY
ISBN 13
9784822806187   COPY
ISBN 10h
4-8228-0618-9   COPY
ISBN 10
4822806189   COPY
出版者記号
8228   COPY
Cコード
C0036  
0:一般 0:単行本 36:社会
出版社在庫情報
不明
初版年月日
2006年3月
書店発売日
登録日
2010年2月18日
最終更新日
2015年8月22日
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紹介

2005年10月に日本の原子力政策の基本的考えである「原子力政策大綱」がまとまった。その新計画策定会議の委員に就任して議論に加わった脱原発NGOメンバーの孤軍奮闘記。1年半の審議のなかで対等に渡り合ったわけだが、国策に異議を唱え続けた貴重な記録である。

目次

はじめに──新計画策定委員になって

第1章 原子力委員会の任務
    公平な人選を求める

第2章 「原子力長期計画」から「原子力政策大綱」へ
    改名はなぜ行なわれたか
    閣議決定の必要性
    少数意見を提出

第3章 原子力政策大綱の構成
    基本目標と共通理念
    強調された安全確保の重要性
    少数意見の概要

第4章 三割から四割を原子力発電に依存し続ける
    結論にあわせる条件設定
    将来の予測はあたったためしがない
    二○三○年のエネルギー需給展望
    原発は温暖化防止に役立たない
    放射性廃棄物も二酸化炭素も削減しよう
    老朽原発を苛酷に利用するための危険な諸施策
    欠陥原発の運転を許す維持基準
    高経年化対策の危険性
    見直すたびに下方修正の原子力発電計画

第5章 「夢」の高速増殖炉
    かつても今も「夢」の原子炉
    一周遅れのトップランナー
    机上の空論、二○五○年の実用化
    組織維持のための「実用化戦略調査研究」
    高速増殖炉が有利になる条件とは
    高速増殖炉の時代に燃料プルトニウムが不足する
    プルトニウムの倍増時間
    高速増殖炉か高速炉か
    もんじゅ運転再開の空疎な目的
    「もんじゅ」改良工事で安全は確保できるか

第6章 焦点の核燃料サイクル
    抽出された四つの選択肢
    六ヶ所再処理工場の稼働の是非が焦点
    プルトニウムはプルサーマルで消費
    総合評価とその結果
    安全規制に従うのだから選択肢に大差はない?
    地層処分技術はどちらも未熟
    査察を受けるのだから選択肢に差はない?
    ニューヨークで六ヶ所再処理工場の無期延期を求める
    プルトニウムの多国間管理構想
    「余剰プルトニウム」を持たない国際公約が崩れる
    放射性廃棄物による被ばく評価
    放射性廃棄物に関する新たな提案
    直接処分コスト
    隠していた過去のコスト試算
    技術検討小委員会の設置
    直接処分コスト
    シナリオ間のコスト比較
    スティーブ・フェター氏を招いて
    政策変更コスト
    再処理は既得権
    再処理積立金制度の導入

第7章 斜陽化すすむ原子力産業
    斜陽化すすむ原子力産業
    立地地域との共生
    「国民の信頼」と「国民参画」

あとがき

参考資料
1 新計画策定会議の構成員
2 高経年化対策で惨事の危険性が増す
  ──原子力資料情報室 山口 幸夫
3 高速増殖炉原型炉「もんじゅ」事故
4 要請書と署名
5 経済産業省虚偽答弁と隠匿された報告書の内容の問題点
  ──社会民主党党首 福島 みずほ

前書きなど

はじめに──新計画策定委員になって

 二〇〇五年一〇月、日本の原子力政策の基本的考え方がまとまった。この新しい考え方は原子力政策大綱と呼ぶこととなった。政策の審議は原子力委員会が設置した新計画策定会議で行なわれた。その会議に一員として参加して議論に加わってきた。
 二〇〇四年六月初旬に原子力委員会から策定委員就任への打診があり、原子力資料情報室のスタッフや理事、他の地域の方々と相談して、委員就任を受諾することとなった。受諾までの一週間は大変あわただしかった。
 原子力政策は原子力活動を進めるためのものである。ところが、筆者の属する原子力資料情報室は一九七五年に設立され、設立時の定款には反原発を目指すことが明記されていた。九九年には非営利特定活動同法人の認証を得たが、その定款にも表現は柔らかくなっているが「原子力に依存しないエネルギーシステムの導入」を目指すと明記している。原子力委員会や原子力を推進する人たちとはまったく逆の立場に立っている。
 立場は明確に違っても議論は進めるべきだとの考えから、当情報室はこれまでも原子力委員会との討論会の主催や共催など、あるいは原子力委員会が主催する討論会などにパネリストとして参加するなどしてきた。
 一九九三年九月二五日に原子力資料情報室(当時は高木仁三郎代表)は原子力産業会議と共催して「今、なぜプルトニウムか」を開催した。推進側との討論は、賛成反対がテーブルについて議論する道筋を開いた画期的な出来事だったといえよう。それは、「もんじゅ」をめぐる討論会や核燃料輸送をめぐる神奈川の市民グループと科学技術庁(当時)との討論会、原子力政策円卓会議などへとつながっていった。その他にもさまざまな各地の取り組みがあっただろう。
 また、二〇〇〇年に第九回の原子力開発利用長期計画の改定が行なわれたときには、当情報室ではスタッフが分担して会議を傍聴し、計画案についての一般からの意見募集が行なわれている間に、当時の策定委員会の委員長代理ら三名を招いて公開討論会を主催した。討論会を終えるにあたって、私たちは参加者に積極的な意見応募を訴えた。政策へ市民の意見を反映することを目指していたからだ。一〇〇〇件を超える応募意見の多くは原発や核燃料サイクルからの撤退を求めていた。その結果は、座長の那須翔氏(当時、東京電力社長)に、「愕然」と言わしめるほど衝撃的だった。
 こういった政策提言のかかわり方からすれば、委員を受諾して、策定会議の中で論を尽くすべきだ。相談の中では、そういった意見が多数だった。その一方で、原子力委員会は推進の計画を立てるところだから政策転換はできずに反対派も含めて議論したという形作りに利用されるだけという指摘もあった。さらに、誰が委員に適任かという意見までさまざまな視点が出された。短い間にさまざまなことを議論した結果、委員として策定会議の中で脱原発の視点から大いに主張し、発言内容を意見書として提出して配布資料あるいは議事録に残していくことにした。
 原子力政策といっても、筆者が日常的に問題にしているのは発電システムとしての利用や関連の研究開発の一部で(それも十分とはいえないのだが)、策定会議で議論されるそのほかの研究開発や放射線利用などなど広い分野にわたってはカバーできていない。会議では力不足を実感し続けたが、多くの人の助けのおかげで、それでも三三回の会議のうち三回を除いて毎回意見書を出すことができた。
 エネルギー環境政策研究所の方々や地層処分研究会の方々には多く協力してもらった。当情報室の山口幸夫共同代表、古川路明理事には相談にのってもらった。西尾漠共同代表と勝田忠広氏は策定会議を毎回傍聴し、意見書作成などの作業にいわばチームとしてかかわってくれた。
 委員として、三三回の策定会議と六回の小委員会に出席したが、初体験でもあり、緊張の連続で、気の休まることのない時間であった。渦中にあるときにはずいぶんと長く感じられた委員活動だが、振り返ってみると、あっという間の出来事だったような感覚だ。脱原発の立場から十分に主張できたかどうか、精いっぱいやったつもりだが、思い返せばあれもこれもと言い尽くせなかったことが頭の中を駆け巡る。
 審議は〇五年九月二九日まで行ない「原子力政策大綱」としてまとめた。策定会議のまとめ報告は同年の一〇月一一日に原子力委員会決定となり、その後、一四日に「原子力政策に関する基本方針として尊重し、原子力の研究、開発及び利用を推進することとする」との閣議決定が行なわれた。「今後一〇年程度の期間を一つの目安とした」日本の原子力政策が定まったのである。
 原子力政策を決定する場に委員として参加することになるとは夢にも思わなかったが、偶然のいたずらか、体験することになった。これを個人の中に留めておくのはもったいない、筆者が垣間見た現場や体験をまとめることを通して、少しでも多くの人が日本の原子力政策について考えるきっかけになればと思い、本書をまとめることにした。
 なお、毎回の審議に事務局から提出された資料、委員の意見書、議事録などは、原子力委員会が開催したご意見を聞く会の記録などとともに、同委員会のホームページで公開されている。また、筆者が月ごとに会議の様子を記した策定会議月誌は原子力資料情報室のホームページで見ることができる。
 一年四カ月ほど続いた会議の間中、傍聴やアドバイスなど、多くの方々に協力をいただいた。こうした協力なくして、策定委員は務まらなかったし、本書も世に誕生しなかった。また、遅れがちな原稿をまとめてくれた七つ森書館のみなさんにも感謝する。お世話になった多くの方々に、この場を借りて厚くお礼を申し上げたい。

著者プロフィール

伴 英幸  (バン ヒデユキ)  (

伴 英幸(ばん・ひでゆき)
原子力資料情報室共同代表
1951年 三重県生まれ
1975年 早稲田大学卒業。生活協同組合専従を経て、
1989年 脱原発法制定運動の事務局スタッフ
1990年 原子力資料情報室スタッフとなる
1995年  同 事務局長
1998年  同 共同代表
共著書 『原子力市民年鑑』(七つ森書館)『JCO臨界事故と日本の原子力行政』
    (七つ森書館)『検証 東電トラブル隠し』(岩波ブックレット)ほか、
    原子力資料情報室パンフレットに執筆。

上記内容は本書刊行時のものです。