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出版流通4題

1、取扱高別正味制の可能性
 他業種では、基本的には取引高に応じて条件も変動する。ところが、出版界は、特に出版社と取次との取引条件は、口座を開設した当初からほとんど変更がなく、「封建的な身分制度にも等しい」(と慧眼にも指摘したのが、元新泉社社長の小汀良久さんだった)。
 この硬直性について私が言いつづけているのが、取扱高別正味制とでもいうものだ。A取次との取引高が3年間連続して年○円以上○○円未満ならば正味を△にする、その後の3年間で年間取引高が○○円以上○○○円未満ならば正味を△△にする、しかし逆に売上が落ちれば▽にする。 (さらに…)

最後の一冊

 当社の図書目録を大幅に改訂した。とはいっても、なにもなんの前触れもなしに定価を値上げしたわけでもなく、ジャンルの分類項目を増やして、その書籍の内容によりふさわしい項目にいくつかを移したのである。

 図書目録には、ほかの社でもおおむねそうだが、巻末には「品切/増刷未定書」の一覧をもうけてある。新刊が少しずつ増えていくにつれて各分類項目でページが増えるものもあるが、反面、この「品切/増刷未定書」項目にも何点かが毎年収まっていく。「長い間ご苦労さんでした。申し訳ないけど、増刷できません」という感じで、これじゃまるで定年退職みたいだが、もし、たとえば300部を(3000部ではありません)増刷したとしても、完売できるまでにたぶん十年以上はかかるだろう、という見込みがたつからである。あるいは、先駆的な役割を終えた、という書籍もある。「初刷を刊行したときの反応ったら、そりゃーすごいものだった」とその社の“長老”が若手に語ってきかせる商品がどこにも必ずあるはずだ。書店に華々しく(いや、しずしずと)登場してから十年あるいは二十年たって、十二分に役割を果たした、あとは後進に道を譲ってそろそろステージからお引き取りいただこう、とでもいうことだろう。

 どのように言葉を重ねたとしても、まるでかつての花形選手に引退を告げるかのように、ことさらに力強く明るく、社内にアナウンスする。「『驚くほど売れた本』は品切です」。まるで自分で自分に宣告するように、である。

 で、ここからが出版業界の不思議な現象である。十数年前の初刷書籍だし、ここ何年も返品はなかった、読者からの注文も年に数冊で在庫をお届けしてきたこの商品が、どこに隠れていたのだろうか、品切に入れたあとにもひょっこりと、そう、まるで忘れたころに葛飾・柴又に帰ってきたとらさんのように、返ってくることがあるのだ。

 その貴重な一冊は、金の無心に立ち寄った放蕩娘か帰国を家族じゅうで待ちわびていたかわいい息子かわからないが、残部僅少棚に鎮座ましますことになる。そして、どこでお知りになりましたか?とききたくなるような読者からの電話注文が飛び込んでくる。「…… はありませんか?」

 先日、そんな電話を受けた。誠意を込めたつもりの返事をした。「もしかしたら数年後にまた一冊くらいは返ってくるかもしれませんが、ここ数年で最後の一冊です」。が、そのかたはたぶん、売らんかなの応対だと思ったのだろう、「あ、考えてみてまた電話します」。

 誓って、「最後の一冊だよー」と声をからしたあとで「おーい、裏から商品を持ってきて!」と叫んでいるのではない。誓って!

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有害でナニが悪い!

 『完全自殺マニュアル』(太田出版)を「不健全」指定にして販売に規制をかける東京都の執拗な動き、その審議機関は自殺ばかりか犯罪一般をあつかった出版物までをも規制しようとする答申案を提出、あるいは記憶に新しい映画『バトルロワイヤル』を「上映中止にしてほしい」などと平然と公言する政治家、さらには、テレビ・ラジオ放送を対象に青少年への影響を口実とした規制法案の提案、数年前には「無垢な子どもたちに悪影響を与えるから」を押し立てたコミック規制……。不況だ、森総理退陣だ、といっているうちに、いつの間にか「有害」を口実とした法律・条例による規制が大きく動き始めている。これに対して「憲法で禁じた検閲であり、言論・出版の自由への抑圧だ」というとすぐに、「そんなこと戦前の話だよ」と反論があるかもしれない。あるいは、「規制は必要だ」という意見もあるかもしれない。しかしそれらは、あまりにも政治の力学に無垢だといわざるをえない。

 自殺者の手元に『完全自殺マニュアル』があった事例はあるし、インターネットには自殺サイトもある。あるいは、殺人の具体的な方法を明らかにした書籍や雑誌もある。放送でいえば、この50年間、規制に継ぐ規制にさらされてきたし、テレビの暴力シーンなどを突破口に番組全体ににらみをきかせようとしているのは明らかだ。

 だがしかし、そもそも有害ではない表現というものがあるのか。書籍・雑誌、テレビ・ラジオ、身体表現、歌、演劇、映画……。人の魂を揺さぶり、感情をかき乱し、決意を迫り、失意に突き落とし、一時的にではあれもう一人の自分を気づかせる表現こそが「おもしろい」作品ではないのか。自殺にしても、その善悪は措くとして、そもそも自殺を願望していた人にとってはその手段を教えてくれる書籍などは、百万巻の哲学書よりも有益であったのだ。あるいは、時の政府の失政を自分に代わって斬ってくれる番組を支持する、暴力を描くフィクションのカタストロフィーで精神の均衡を得る。

 こうした精神の高揚を否定することは、人間存在そのものを否定することでしかないのである。

 ただし、一つだけ注意しなければならないのは、「そんな有害で俗悪なものがあるから、私たちが作っている有益で社会的なものまでもが規制されるんだよ」という、同じ陣営からの転倒した批判、いわば後ろから弓を射る行為に対してである。繰り返すが、あらゆる表現は等価である。医学書のようなポルノ写真集が一冊の宗教書よりも心の平安をもたらしたり、観念的な文学が社会の問題を突く映画などよりも強力に自分の生き方に影響を与えたり、そんなことは私が言うまでもないことだ。しかし、この等価であるという本質が見えない連中は、まわりまわって規制派の隊列に並ぶことにもなるのである。

 有害で、ナニが悪い!

 私は、「すべての表現は一切の公権力から自由でなければならない」、と確信している。

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出版社−取次間の締め日を5日きざみにせよ!——新刊の委託搬入集中=即返品を減らすために

本が売れない
——新刊の点数を増やして売り上げをキープするしかない
——締め日の 25日までに搬入して今月の売り上げをたてろ……。

いまさら言うまでもない、搬入集中=即返品の構造である。
部数で売れなくなるにつれて、この傾向がますます加速している。20日から月末までに、全体の45%が搬入されているのだ。その結果、弊害も多い。なによりも返品率が上がって、取次は書店への配本のためにアルバイトの確保で人件費もふくらんでいることだろうし、出版社からの請求書も集中して残業代などがかさんでいるのかもしれない。書店は書店で、新刊の洪水をさばくのに精力をさかれ、段ボール箱を開けただけで(ときには開 きもせずに)取次に返品する事態を招いている。

「なんとかしてくれよ!」
——誰もがなげきつづけて久しい。
解決策を提言しよう。出版社と取次との間の締め日を、5日・10日・15日・20 日・25日・末日に振り分ければいいのである。A社とB社は5日締め、C社とD社 は10日締め……と分散すれば、年間を通じて大きな波動はなくなり一定の数値を維持するのである。取次−書店間の取り扱い業務量は平均化され、即返品率はいまより も減少することはまちがいない。

この合意のもとに、たとえば1年間の猶予をみて「2002年4月期から実施する」 という方針を徹底すれば、人件費ほかの固定経費や制作費などの資金繰りの対策を立てるにも時間は十分のはずである。 「頭(商品の内容)は革新的でも、足腰(流通や、その改革への取り組み)は保守 的」と指摘され自認もしてきた出版業界だが、この程度の流通改革・流通対策にさえ 反対するような社は公表してもかまわないし、それさえ実現できないようならば、死期を待つだけになってしまうのはあきらかだろう。

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