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「沖縄訪問記」うちなーすばとリュウキュウコノハズク

 うちなーすばとリュウキュウコノハズク 幸運というべきか、今年に入って3回目の沖縄である。沖縄も随分安く行けるようにはなったが安月給の身、そうしょっちゅう飛べるわけでもない。必ずしも沖縄にハマったということでもないが、兎に角沖縄に行くとウンコの出がいい。行けば必ず泡盛を浴びるように呑んでしまうため、健全な生活をしているということは絶対にない。にも関わらずこの体調の良さ、気候があうのか食い物があうのか胃腸をはじめとして身体も精神も高揚してくる。 

 会社としての仕事は今回は1日だけ、営業をしてくるとか企画を立ち上げてくるとかいう言葉にいつまでも騙されてくれる会社でもなく、3泊4日の訪沖の間、会社負担は1泊のみである。折角の沖縄だ、構うものかと土日と代休を利用して沖縄を歩き回ってみることにした。貧乏を幸いに、少々汚い宿や粗食にも十分耐えられるよう身体は鍛えてある。それに沖縄の食い物は安くて旨い、宿も探せば安いところはいくらでもある。余計なお土産でも買わなければ、東京のつまらない居酒屋で同じ顔と呑んでいるよりよっぽど安く暮らせるのである。

 某NR出版会の販売促進会議をたった30分で辞して羽田へ向かう。このときのオレの完爾とした笑顔を見せてやりたい位だ。煩悩の全てを忘れ飛行機に乗り込んだ。テロ事件の影響か10月に行ったときは半分以上が空席だったが、今回は満員。不景気と相まって落ち込みの激しい沖縄観光業界の資金繰りはいかばかりかと思いを馳せることもない。入社以来未来永劫不景気ではないかと思われる出版界に身を置くものとして、よそ様の景気がどうなろうと知ったことではない。

 寝不足の身、うとうとしながら気がつけば那覇空港。午後7時到着の便だというのにTシャツ一枚で十分という暖かさ。空港のカウンターでレンタカーを予約する。沖縄のレンタカーはタクシーよりもその台数が多く、しかも1泊借りても安いところは3500円からあるので、下手にバスやタクシーで移動するよりよほどいい。因みに、那覇空港から北部の国頭村辺土名までバスを乗り継いでいくと、片道で3500円近くかかる。黙って往復しても7000円を超える。レンタカーで行ったほうが時間も金もかからない。無理矢理つくった沖縄自動車道にしても那覇インターから名護市の許田まで、距離にして75キロといったところ。 1時間もかからない距離である。高速代金は1000円、東京から宇都宮に行くよりも近いのである。運転の下手なオレはせいぜい時速にして100キロしか出さないが、それでも他の車をどんどん追い抜いて行く。バーブ佐竹を歌いながらあっという間に終点の許田、名護を越えて大宜味、国頭へと入っていった。

 東京から那覇を経て、ストップオーバーすることなく一直線にやんばるの森へ向かったので、さすがに腹は減るし喉も渇く。国頭村の奥間にある道の駅オクマにある行きつけの(そう言わせてくれ!)屋台で1杯呑んでいくことにした。屋台のオヤジは「おいおいどうした、また来たのか?」と暖かく迎えてくれた。とりあえずシマー(泡盛のこと)とモツを注文し、乾いた身体を潤す。排他的といわれるやんばるの人たちだが、全くそんなことはない。初対面の相手でも遠慮なく話しかけてくれる。呑んでバカ話をしているぶんにはともかく、それ以上踏み込むとなると壁はあるというが、一度仲間と認められれば生涯の友として接してくれるともいう。まるでパシュトゥーン人である。 

 若い頃東大阪でヤクザをしていたという地元のオッサンが話し掛けてきた。何をしに来た?と聞くので「人に会いに、そしてやんばるを歩いてみようと思っている」と答えたら、ただでさえ険しい目つきをますます鋭くさせて「おまえ、まさかヤンバルテナガコガネ採るに来たんじゃあるまいな?だとしたら直ちに猟銃で撃ち殺す!」とウチナーグチなまりで脅された。こういうオッサンまでが自然保護を口走る、やんばる住民の意思に驚く。しかし、人間よりも動植物を大事に思っているオレに対してなんと失礼な。ましてや今回やんばるに来た目的の一つは、やんばるの森を守り、自然と共に生きていこうと戦う写真家、久高将和氏に会うためである。昆虫の密猟に来たなどと言えば本気で殺されかねない相手である。

 シマーを3杯飲み干し、そろそろ行こうと東京から流れ着いたという屋台のオヤジに酒代を聞いた。「1000 円!」嘘をつけ嘘を、という値段である。しかも次に来るときには泊めてやるともいう。ホモでさえなければそれは有り難いことなので、是非お願いしますと席を立った。 

 レンタカーを操り、ホテルに向かった。お気づきかも知れないが酔っぱらい運転である。それも酒気帯びどころではなく紛う方なき酒酔い運転、泡盛3杯が疲れた身体に心地よく染み渡っていくのはいいが、これを東京でやったとしたらえらいことになるだろう。しかしこの地域にはパトカーは1台しかいない。その1台と途中ですれ違ったが、勿論止められることもない。どうやって車を車庫に入れ、チェックインをしてベッドに潜り込んだか全く覚えていないほどべろべろだったが、このとおり生きているし、誰も轢いてはいない。

 やんばるの森は美しい。カリフラワーのような樹冠をもつイタジイが群生していて、茫々と連なる山並みはさながら緑の絨毯である。こんな小さな島国になんと豊かなことか。林道からほんの少し足を踏み入れたら、いきなり特別天然記念物に指定されているアカヒゲという鳥に出会った。お腹のぷっくりした可愛い鳥で、驚くことにわたしが1メートルほどまで近づいても逃げようとしない。アカヒゲ自らが国の天然記念物に指定されていることをなんと思っているか知らないが、この呑気さには呆れた。これではマングースや野良犬、野良猫の餌食となるのは如何ともしがたい。
 しかしこのアカヒゲやヤンバルクイナ、ノグチゲラ、イシカワガエル、といった固有種を含む貴重な生物を危機に追い込んでいるのはマングースや犬猫のせいではない。彼らを殺戮しているのは紛れもなく人間なのだ。山奥に必要もない林道を造り、ダムを造り、それが何のためかといえばカネのため。勿論人間とて食っていかなければならない。
 人間がはびこる限り自然は食いつぶされていく。それは仕方がないことだとしても、そろそろ必要最小限にとどめようという発想を人間側が持つ必要がある。 自然を大事に思う心を持つのは難しい。触れるべき自然そのものがどんどんなくなっているからだ。

 自然を大事に思うには、まず自然の中に入っていかなければならない。そして一度は自然を破壊しなければならない。植物や昆虫を採取し、魚や獣を食らい、そうやって自然と関わってこそ、本能が呼び覚まされるのだ。自然保護は教育でも社会でもない。本能でこれは大事だと思うことが運動の原動力となる。
 久高氏はまさにそういう人であった。見るからに気合い十分のオッサンで、ツムラの毛生え薬のCMにまで出演して活動を続けている。やんばるを愛し、人間による破壊から森を守ろうと戦っている。このあたりでもコノハズクを口笛で呼び寄せられるのはこの人だけだそうだ。彼にとってはやんばるの森はこどものころからの遊び場だったという。その森を切り開かれて金に変えられてしまう痛みはわたしにはよくわかる。

 かつて京都は美山町にある原生林の中に数年暮らしていたことがある。山へ行けばカモシカやツキノワグマの気配を感じ、森に行けばキノコや木の実を採取し、川へ行けばアマゴやカジカと戯れる。今も年に一度は訪れて遊んでいるのだが、行くたびに川のかたちが変わっていく。或る年は用もない道が造られ、翌年は大きな岩がなくなっている、といった具合である。地元の殆どの人間が反対しているにもかかわらずである。好きな女の子が犯されているような気になる。

 久高氏は、国頭村で自然を潰すのではなく、共存することによって利益を得て、地元に還元していこうという活動を数十年にわたって続けてきた。しかし住民の意識が変わってきたのはここ10年ほどの間だという。職種や立場に関わらず様々な人たちを巻き込み、ようやく形になりつつあるそうだ。直に全く新しいエコツーリズムが立ち上がる。子ども騙しの環境保護にも何にもなっていない日本のエコツーリズムに、波紋が広がるよう、切に祈っている。

 久高氏の事務所で、その日の朝保護されたというリュウキュウコノハズクに会った。怪我をして道路に落ちていたという。そっと箱のふたを開けると、まんまるの鋭い目でじっとこちらの目をのぞき込んできた。そのまま微動だにせずわたしの目を見つめている。何かを言われているような気がしてならなかった。ただし、この鳥は余りにも可愛い。小型のふくろうで、当然猛禽類に分類されるにもかかわらず、抱きしめたいほどの可愛さである。これだけでもやんばるに来た価値はあると、紅イモムーチーと泡盛を買い求め、帰路についた。 

 さて、大急ぎで書きとばしたため、無駄なことばかり書いていて何が言いたいのか自分でも判らない。情けないがご勘弁いただきたい。タイトルにあるうちなーすばとは、沖縄ソバのことだが、全く触れられずじまい。最近は内地でも沖縄ソバを出す店が増えては来たが、矢張り本場の多様性には敵わない。生物も多様だが、沖縄の場合同じソバでも店によってかなり味が違うことがある。この何でもありのチャンプルー文化から生まれてくる多様性に、もう少し関わってみたいと思っている。

極端な行動力を持つ人間たち

 このところ、といってもここ2年位だが、夜な夜な誰彼と呑んだくれる日々が続いている。元来下戸であったからこの調子で行くといつ肝臓が壊れるのだろうかと時折不安がよぎるが、酒好きになってしまったんだからまあ仕方ないと相も変わらず呑み続けている。
 本郷村の零細出版社に潜り込んだのが5年前、それはそれで極めて楽しいことでもあったが、夕方も6時を過ぎるとどこからともなく客が現れて何となく「さつま白波」を汚いコップに注ぎ始めるのがそこいらの流儀であった。それでもなお仕事をしていると「おい、仕事やめろ!呑め!」と怒鳴られたこともある。アルコールに全く免疫がなかったわたしが隠れた酒好きになるのにそうは時間はかからなかった。
 その後不義理を重ねて随分転職を繰り返してきたが、酒を呑む習慣だけは身体に染みついてしまっている。酒のみになってしまったことで「本郷村のオッサンたちが悪い」などど毒づいてみても呑むのは自分のことだし、これ以上言うとお世話になっている皆様から苛められそうだからやめておく。

 生きることにこれだけ選択の幅がひろがっているにもかかわらず、こぢんまりと自らを限定して楽に生きようとする人が多くなってきた。情報があってもそれを身体には取り込まない。ただ茫洋と見ているだけの流れゆく情報。選択するのは自分自身であるにもかかわらず。自らの足で行動し、自らの意志で生きることをやめた現代人たち。

 関西大学探検部とここ2年ほどつき合っている。現代において、探検部という活動或いは探検という言葉そのものの意味が崩れかけている。人類はその飽くなき探求心と行動力でこの地球上を制覇してしまった。未知なる土地、地図上の空白はもう存在しないのである。
 関大探検部は未知なる土地がないのなら、誰もやったことがない未知なる行動をすれば良いだろうと、樹上を歩くというテーマを考えた。それもなるべくなら人があまり入っていないところを。
 調べていくうちに彼らは熱帯雨林の樹上で生活するというアイデアにたどり着く。これが実は人類に残された数少ない未踏の部分なのである。熱帯雨林の葉で覆われた樹上部分を「林冠」あるいは「天蓋」と呼ぶ。そこには数多くの動植物が存在し、生態学者たちにとってもまだ多くの謎が残されている。何故研究が遅れているかというと、熱帯雨林の林冠部は地上から20〜30メートルの部分に当たり、アプローチすることが極めて難しいからである。「だったらオレたちがやってやろうじゃないか」と彼らは行動をおこした。

 2 度の調査を経て、遠征地をマダガスカルに決定した彼らは、木の上にテントを張り、地上に降りることなく木から木へ1000メートル移動するという目標を設定する。しかも、どうせやるならただ移動するだけでなく、そこに生息する動植物のサンプリングや、林冠研究の方法論までつくってしまおうじゃないかと準備に入った。結果的に彼らは目標を達成したのだが、実際の遠征よりも遙かに苦労が多かったのが準備段階である。
 それぞれ文系学部に籍を置く学生である彼らが、いきなり生態学分野の研究ができるわけがない。まずは図書館に潜り込み、参考となる文献を読みまくったというが、あくまでそれは本の中での話である。マダガスカルで彼らが研究対象としたのは探検の技術そのものは別として、蘭、着生植物、昆虫、海産物といった生態学の部分で、それぞれどのようなやり方をすれば良いか、日本にいる専門家に指導を仰いだ。中にはその学会の人間でもそうおいそれとは近づけないような世界的権威にも彼らは遠慮なく近づいていった。概ねは暖かく応援してくれたという。結果、ある程度の目標と学者たちの支援を取り付けることに成功した。

 次はカネの問題である。方々で値切ってかなり安く済んだとはいうが、それでも一人頭の遠征費は100万円かかる。しかも資材は別である。身近なところでは親を騙すことからはじめ、準備の合間を縫ってアルバイトをし、様々な企業から資金、機材、薬品、食料、通信等の援助を取り付けた。さらに、自分たちの行動を身内だけで分かち合っていてもつまらないと、新聞、雑誌、テレビ局にも働きかけ、遠征記を発表するメディアにまで自分たちで渡りをつけた。
 現地からの遠征許可も受け、カウンターパートと通訳の人選も終わり、さあいよいよ出発というときに突然「矢張り許可できない」という知らせが届いたときも、彼らはマダガスカル政府や欧米の研究者、NGO団体を敵にしたり味方にしたりしながらねばり強く交渉を重ね、結局自分たちの意志を通してしまった。この行動力!

 わたし自身の行動範囲は今のところ狭いかも知れない。しかし、極端な行動力を持つ人間はいつの世にも必ずいるものである。そうした人たちの行動を読者に伝えていきたいと思う。刺激を与えたいと思う。書籍というものは極めて少ないロットでありながら、表面をなぞるだけの新聞や、情報を凝縮しすぎてしまうテレビなどと違って、コアな部分に訴えかける力を持つ数少ないメディアである。
 今ある読者はいずれ死にゆくものである。刺激を与えきっかけを作り、新たな読者を掘り起こすことをしなければ、書籍というメディアは衰退する一方ではないか。著者を喜ばせるのではなく読者を喜ばせ、自らの狭い生活環境を脱却して、ささやかながらも「伝える」という行動をしなければならない。版元にある役割はきっとそこにあるのだと信じている。

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