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「飢餓」に強い食べ物

 こんな飽食の時代がいつまでも続くわけがない。
 と思っていても、スーパーに行けばグローバルな食材が溢れんばかり。
 現実はどんどん進行する。
 でも、最悪の事態には備えておかないとね。
 外国から食い物が入ってこなくなったら、自前でやるしかないんだから。
 そのとき、何で食いつなげばいいのか。
 ということを考えさせられる小さな会合が、11月末に東京の山奥でありました。

 食材として取り上げられたのは、トチ(栃)の実。
 昔はトチ餅などとして食されたのですね。
 でも今、食卓にのぼることはまずない。
 だって手間がかかる。生食はできないから、
 1.水につけて虫を抜く
 2.カビが出ないよう乾燥する
 3.実を鍋で煮て渋皮を除く
 4.皮をとった実をケヤキやブナの灰に寝かせてアク抜きする
 という具合。
 しかも、どのくらい「寝かせ」るのか。
 「アク抜き」も熟練を要するのでパターン化できない。
 つまり、肝心なところは経験と勘頼り。
 レシピにできないんだからなあ。

 トチの実には、サポニンという毒性物質が含まれている。
 これは、水につけておくと抜けるとのこと。
 その上で、渋味をとれば……うーむ、現代人の舌にはやっぱりつらいか。ザラザラするし。
 でも、それがいいのだ。
 「食い物がないときに美味いもん出したらすぐなくなるだろ。栗なんかダメだ」
 なるほど。「飢餓」状況下で、美食指向はありえません。 
 「スローフードとか言ってても、まだまだアマいですね」と調子を合わせてたら、
 「昔、山の飯場で『ヘビ飯(めし)』を食った。あれは美味かった」
 というエピソードが出てきてドヒャー。
 いやあ、タフじゃなきゃ生き残れませんな。

栃の木の巨木
都下、奥多摩町にある栃の木の巨木

J−FIC WEB NEWS

「J−FIC WEB NEWS」というメールマガジンを始めて、この1月で丸2年が過ぎた。現在の購読者(無料なんだけど)は、約1,000人。増え続けているのは嬉しいが、やめるにやめられない。1日2本、林業に関係する短報を流すのが定型パターン。この配信クリックをする瞬間、妙にキンチョーしてしまう。

自分で書いた文章を自分でチェックしても、なかなか間違いに気づかないんですね。そんな短報を、一気に見知らぬ他人にばらまくというのは、考えてみると乱暴な話。それもクリック一発で流れてしまうのだから恐ろしい。基本的に朝イチで、顔を洗ってから流すようにしているが、些細なミスで未だにご迷惑をかけ続けてます。

ところで、このメールマガジン。最初はCGIを使ってやっていたが、「sendmail」というコマンドが800件を越えたくらいでうまく動かなくなった。そこで、「qmail」というコマンドのサービスしているベンチャー会社に全面移行。これでスムーズになったのだが、「qmail」は2,000件くらいまでしか対応できないとのこと。送信先がこのまま増え続けると、いずれ何らかの対応が必要になる。ウーム、なかなか楽にならないなと…。

さて、林業に関係するNEWSネタってそんなにあるの?と思われる方もいるかもしれません。これが、広げたり掘り下げたりすると、実にいろいろあるんですね。ご興味のある方は下記をご覧下さい。タダですから。
http://www.j-fic.com/webnews/magbbs.cgi

木馬…「もくば」と読まないでね

photo1.jpg「きうま」「きんま」といいます。昔、山から木を運び出すときに使った、ソリのような道具。これを昨年、東京の山奥でつくったんですね。土日を利用して、奇特な人達が。ベテラン林業者の指導のもと、木を伐り、トビで引き出し、木馬が通る木馬道を組み上げていく。なんだかんだで4か月くらいかかったでしょうか。私は横で見ていただけですが、素人がやるにしては些かキツく、危険な試みではありました。何はともあれ、ケガや事故がなくてよかった。年末11月、実際に木馬を引くことができました。


photo1.jpgさらに、修羅という、木でできた大きな滑り台のようなものも製作。この滑り台で丸太を一気に流すのですが、これまたなかなかハードでデンジャラス。重要感あふれる丸太が勢いよく目の前を通過していくのを眺めながら、もし横に飛び出したらえらいことになるなと、少々ビビッてました。そんな楽屋話は置いといて、東京に息づいていた林業の「技」を現代に伝えるブックレットが6月20日にできます。山で働いてきた親父さん達からの聞き書き。関係者の皆さんお待たせしました。ようやく世に出ます。ご興味のある方はどうぞ。

聞き書き 山の親父のひとりごと

こんな日常……

 今週(10月28日〜11月1日)はこんな感じ。
 月曜日。午前中にデスクワークをすませ、午後から林政審議会という国のお堅い話し合いを2時間半聞く。初めて一般公開されたが、傍聴者は3人しかいなかった。その後、霞が関を中心に取材兼営業。ほとんど成果なし。
 火曜日。午前9時に八王子市高尾にある林野庁の研修所入り。同所を訪れていた大槻幸一郎・千葉県副知事にインタビューする。この方は、農林官僚で初めて副知事になった貴重な人材。職員と一緒に大槻氏の講義を聞いたり、昼食をとったりで、結局午後3時までかかる。研修所周辺の山を散策したかったが断念。そのまま池袋に戻り、夕食兼編集打ち合わせ。

 水曜日。千代田区で開催中の林道研究会に出る。テープおこしを頼まれているので、作家・佐野眞一氏の特別講演(宮本常一がテーマ)を中心に録音。合間を縫って雑用を処理。夕方から隔週で出している「林政ニュース」の仕上げ。その後、この原稿を書く(だから、以下は予定です)。
 木曜日。OMソーラー協会主催の「木材乾燥庫等バス見学会」に同行。飯能から高崎まで、材木店やモデルハウスを訪ねるツアー。そのまま高崎のホテルで、「近くの木で家をつくる運動」の関係者と懇親会。終電で帰京。
 金曜日。午前中は、門前仲町の木材会館で文献調べ。木場の木材問屋組合が再来年、発足100周年記念誌をつくる。その作成作業の一環。調べはじめるときりがなく、いくらやっても先が見えない。夕刻から小社のこじんまりした会合、そのまま飲み会へ。

 ということで、東京周辺でも、何となく「林業」にまつわる動きはあるのです。11月の土・日は、檜原村でLD(学習障害)児の林業体験お手伝い、5月から続けてきた木馬・修羅づくりの仕上げなどでつぶれそう。何だかんだやってるうちに、齢を重ねていく……。以上、近況報告でした。

小さく細く長く

 居酒屋や喫茶店で領収書をもらうとき、「日本林業調査会です」と言っても、1回でスパッと書ける店員さんは少数派ですね。たいていは「日本」まで書いて、「リンギョウ?」と聞き返してきます。「林業」という言葉に馴染みがないというか、日常用語ではないのでしょう。むしろ、中国から来ている留学生風アルバイトの人の方が、スラスラっと書いてくれたりして、なるほどアジアの大国はまだまだ1次産業のステイタスが高いのだなと感じてしまいます。

 で、この「林業」を冠につけているのが小社。「調査会」とうたっていますが、別に探偵まがいのことをやっているのではなく、ごくありふれた零細出版社の1つです。堅い社名なので、よく「林野庁の外郭団体ですか」と聞かれますが、株式会社です。
 創業は昭和29年。現在の社員は4名。小社の雇用能力は、このへんが限界で、創業以来2〜4名の間を行ったり来たりしています。
 16年前、私が某百貨店から小社に転職しようとしたとき、当時の上司から「林業なんてもうやる人いないんだからやめときなさい」という忠告をいただきました。いま考えても非常に的確なアドバイスだったと思います。ところが、いつ消えてもおかしくないような「日本林業調査会」が、案外長持ちしている。なぜしぶといのか、と時々考えます。

 小社のような小規模家族的組織の場合、やれることに限りがある分、融通がききやすいというメリットがあるんですね。仕事の分担にしても、給料にしても、勤務時間にしても、調整しやすい。これは、裏返すとルーズでだらしないという欠点にもなるので、一定の線は引かなければなりませんが、自由度が高いのは貴重です。
 読者の顔も見えやすい。取材に行って名刺交換したときに、ああこの間あの本を買ってくれた人だ! と思い当たると、初対面という感じがしなくなります。
 一方、読者からも我々社員の顔が見えやすいので、いい加減な仕事ができないという効用もあります。大きな会社ですと、苦情専門に対応するセクションがあったりしますが、小社の場合はすべてダイレクト。自分のミスから逃れることはできません。本の内容についても、著者に聞くよりは、まず出版社に問い合わせる読者が多く、勢いこっちも勉強せざるを得ない。自分のやった仕事の責任は、すべて自分でとる。人任せにする余地はありません。

 もちろん、零細出版社ゆえの限界を感じることも多く、特に経営の厳しさから逃れることはできないでしょう。今までも大変だったし、これからも大変だと思います。
 でも、なぜか愚痴にはならないんですね。それは「林業」とはなんだ?という、小社が抱えているテーマが依然として解けていないからだと思います。創業以来、多くの本を出してきましたが、一口に「林業」といってもその幅広さと奥行きは途方もなく、いまでも「林業ってなんなのだろう?」という話題が酒の肴になる始末。そのたびに、私は16年間なにをやってきたのだろう、と考えさせられます。

 冒頭の話。「リンギョウ?」と聞き返すレジ係の人も、2、3回復唱すると「林業」と書いてくれます。そのとき、この2文字にどんなイメージを抱くでしょうか。
 時代とともに「林業」の位置づけは変わり、意味する内容も、受け止め方も違ってきていると思います。ただ、もう「林業」は死語なのだ! とバッサリ切って捨てられるものでもない。そこが、難しいところであり、面白いところでもある。
 こんな堂々巡りの愚考を続けながら、「日本林業調査会」の本づくりは今日も進められています。