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本の売上を知りたい、確認したい、増やしたい———PUBLINEで出来ること、出来そうなこと

 版元の最大の関心事は、言うまでもなく、自社の本の売上である。

 もちろん、他社の本がどれくらい売れているのかも、知りたい。

 人によっては、よその売上のほうが気になってしかたがないという向きも、業界内には少なくない。

「あの本はなかなか動きが好いようだ。来週5刷り出来で、二万部を越えたらしい」
とか、
「今度の企画はどうもコケちゃったみたいだな」
なんて情報が交錯することになる。

 しかし、そうした情報は、最近まで、往々にして実売数字に裏打ちされた売上データに依拠したものではなかった。

 当の版元自身でさえも、出荷部数は判っても実売部数をリアルタイムで把握する術(すべ)がなかったのだから、当然のことである。

 ところが、PUBLINE(パブライン)なる書店情報システムが実用化されて、

  • どの版元のどの本が、昨日(あるいは先週、先月etc)、どの書店で何冊売れたか、即時にデータ化されて入手できる。
  • 購入者の性別・年齢層も判るし、売上推移のグラフも日ごと、週ごと、月ごとにバッチリ表示される。
  • 売上とは逆に、売れない度も一目瞭然。同じ五部売上でも、十部仕入れた結果なのか二十部仕入れた結果なのか等も判る。書店店頭在庫の有無・部数も確認可。

ということになり、版元のパソコンで(会費を払って)自由にデータが取り出されるようになったのだ。

 版元の最大関心事の欲求も、とうとう満たされるときがきた。新刊委託した翌日から、毎日リアルタイムで書店ごとの実売部数が居ながらにして把握できるようになったなんて、以前は全く考えられなかったではないか。

 ただし残念ながら、このシステムは全国の紀伊国屋チェーン書店だけの売上情報だ。それでも全体情況を知るには大いに役立つ。人文書・文芸書だとこのパブラインの売上数字の約十倍、ヤングアダルト書で十五〜二十倍がトータル売上と見るのが一般的なようだ。

 このパブラインは自社の既刊書籍・雑誌の売上チェックに有効で、重版時期の決定などにたいへん役立つのは当然だが、私はむしろこれから出る未刊の本を売るためにこそ活用すべきだと考えている。すでに出てしまった本の売上は、早めにデータを教えてもらっても教えてもらわなくっても、いずれ判ること。これから出る本の売上向上にこそこのシステムを使わなくっちゃ。

 たとえば、現在企画中の本の類書を何点か選んでその売上を軒並みチェックして、定価と内容と売上の関係を知ることができる等々。パブラインでは3年前に出た本でもこれまでの売上・返品推移からトータル売上部数まで次々に出てくるから、よその版元の内情まで、かなりくわしく読めてしまうのがオソロシイ。

 新聞広告で派手に「何十万部突破」と騒いでいる本も、パブラインで実売部数を確かめることで、虚像と実像のギャップを知ることが可能だ。版元としてのカンを養うトレーニングにも役立つ。大きな広告を打っている版元の本について、その広告の前後の売上推移をチェックすれば、たちどころに広告効果情報を頂けることになる。

 ちなみに、6月27日付大手紙朝刊に全五段で書籍一点だけの広告を出したある本(定価1300円+税)は「世界中のすべての問いを解決できる答えはある」と呼びこむ本だが、パブラインによれば6月1日の発売以来26日までの全国オール紀伊国屋での総売上が204冊。直前の売上は24日2冊、25日3冊、 26日が6冊だ。それが広告掲載の27日に5冊、28日に3冊と、残念ながら変化していないのを外野席にいて知ることができる。

 また某社のある書籍(定価1200円+税)は3月に新刊で出て、5月だけで全紀伊国屋の売上631冊だ。なかなか好調な売行きと言える。が、これまではそれで感心して終わっていたけれども、パブラインでもうひとつ踏みこんで分析してみると、何と631冊のうち256冊が5月3日〜9日の間に新宿本店だけで売れている。その間新宿本店以外の全国の紀伊国屋で売れたのはたった3冊だけ。その新宿本店でも5月1日、5月2日、5月10日は売上ゼロである。さらに梅田本店では5月25日に1日だけで200冊!の売上、26日、27日、28日はゼロ。同様に横浜店では5月10日〜14日に集中して108冊、札幌店では5月20日だけで50冊。ここに挙げた“まとめ売れ”が5月の売上631冊中実に614冊を占めている。この本の売上情報の「コロモてんこもりのエビフライ」状況がくっきりと見えてくる。

 ———というわけで、パブラインのスグレモノぶりの一端が垣間見れるのだけれど、このシステムの使いこなし術は今後の課題として版元に投げかけられている。版元ドットコムでは7月16日(金)に青弓社でパブラインの勉強会を開く。関心のある版元はぜひ参加してほしい。小社はパブラインを使いこなして、1年計画で「パブライン売上50%アップ」プランを実行してみるつもり。成果のほどは1 年後にここで発表させて頂きます。

奥付定価表示の重さ

 4月1日を前にして、本の総額表示問題がいよいよ具体化してきている。小社も新刊の表示をどのようにすべきか、参考のために書店の棚を覗いてみた。
 いくつかの、わたしにとっては小さくない発見があって、少なからず驚いた。
 まず、棚にある本のほとんど全部が奥付に定価表示をしていない。小社は開業以来25年間ずっと奥付定価表示を続けてきている。最近は少数派になっているのを知っていたが、これほどまでとは思わなかった。書店の棚で一番多いのは、「定価はカバーに表示してあります」と記載されているケースだが、まったく何も定価について奥付でのコメントのない本がけっこう多いのにも、びっくりした。これらはカバーを取ってしまえば、いくらで売ろうと勝手、ということでもある。ほんとにそれでいいのだろうか。
 再販制度をめぐる議論はすでに数十年続いてきているが、その場合の大前提として、本の定価は版元が決めるものという合意があったし、いまもそれは厳として存在している。その版元の決めた定価を流通の川下末端まで守るべしというのが再販制度だ。
 ところが、その版元自身がカバーを取り替えればいつでも値上げがOKという姿勢を維持しつつ、同時に1円たりとも定価を割ることは罷り成らぬと再販制度厳守を川下に向かって叫ぶ。これは、果していかがなものだろうか。法的には問題ないのは分かるが「読者のため」を常々標榜する出版界としてはいささか身勝手に過ぎると批判されてもしかたがないのではないか。
 そこのところを、故小汀良久・新泉社社長は、再販制度維持を主張する限り、版元も奥付定価表示を守るのが出版者のモラルであり矜持であるとして、終生それを続けた。小社もその顰(ひそみ)に倣ったわけだ。
 書店の棚の前に戻る。新泉社の新刊からは、きれいに奥付定価表示が消えている。(後で社員の一人に訊いたところでは、社内の合意ではなく、「ただなんとなく」消滅したとのこと) 他の再販制度厳守を叫ぶリーダー版元の大多数が「定価はカバーに表示してあります」組である。これには正直、心底驚いた。このまま進んで「定価はオビに表示してあります」になり、そのつぎは「定価はスリップに表示してあります」になって、ついには印刷された定価表示は一切なくて見返しの隅にエンピツで定価を書き込んでいるうちに再販制廃止に追い込まれたスウェーデンの轍を踏むことになりはしないか。
 まず隗より始めよ、などと説教するつもりはない。だが、ポイントサービスなど定価の1%前後のやりとりにクレームをつける根拠として、本の定価をのっぴきならないものとして主張していくためには、版元サイドも安易な値上げはしないというシグナルを出し、読者に対して旗幟鮮明にしておくことでシンパシーを得ようとする姿勢を打ち出すことが肝要ではないか。
 当初の懸案であった総額表示については、一応の小社なりの結論を得た。奥付はこれまで通り「定価2,000円+税」で行く。カバー、オビも同じ。これで税率がいくらに変わっても対応できる。スリップも同様だが、ボウズの丸いところだけに「2,100円」と入れた。しばらくこれでやってみる。
何だ、某大手版元と同じ方式ではないか、と言う声が聞こえてくるが、奥付表示と連動している点が決定的に違う。 
 その意味と重さは、版元なら判ってもらえないと困る。

それはないと思いますよ、平河工業社さん

 4月1日あさ、小社に現れた平河工業社の那須さんは、今後小社の出版物の受注印刷を一切しない旨、通告した。まったく突然の一方的受注拒否である。事前の通告も問い合わせ等なにもない。3月に二点新刊を作って、二週間まえに配本したばかり。そればかりでなく、小社の既刊書のフィルムは数百点分すべて平河工業社に預けてある。版元として、メイン取引の印刷業者なのだ。当日依頼する予定だった重版二点(各3000部)の印刷も断ると言う。
「これは和田社長の意向による決定ですか」
「そうです」
 那須さんは個人的にはこの決定には反対ですが、と付け加えながら、はっきりそう言いきった。
 その理由は何か。
 那須さんは4日前に発売された週刊新潮の記事であるという。辞任した衆議院議員の辻元清美が選挙資金を小社の手形で借り入れて、「踏み倒した」とする記事である。
 この記事は辻元清美の信用失墜を目的とした「週刊新潮的記事」の典型といえる。この借金は私の古い友人から私が借り入れたもので、選挙資金ではなく出版社の運転資金である。借入額の半分以上を返済して、この二月に新たな保証人を入れて公正証書をつくり、今日現在返済計画を弁護士を入れて交渉中である。これまでも弁護士が中に入って返済してきた。「去年から連絡がとれない」とする記事の記述はまったくのデタラメ。これがどうして「踏み倒し」の特大見出しになるのか。
 加えて、これは27年前の私の不起訴事件と罰金二万円の事件を取り上げて辻元清美と日本赤軍とを関連付けようという牽強付会記事でもある。
 当然ながら私は週刊新潮相手に裁判するつもりである。
 そうした私のほうのこの記事に対する考えも事実関係も何も聞くことなく、平河工業社は一方的に取引停止を通告してきたのである。私がこの版元日誌もふくめて平河工業社の取引停止通告を公表するというと、那須さんはきゅうにあわてだして、
「それだけは…・」という。
 私は平河工業社の和田社長と同席しての発表なり記者会見のようなものを提案したが拒否された。
 この事件は小社一社のみに関わるものとは思わない。版元がその一部を担う言論出版の自由は版元の意向に沿った印刷が自由円滑に遂行されることと不可分である。悪意に満ちた週刊誌の一記事をもって直ちに調査も問い合わせもなく一方的全面的に印刷拒否、取引中止を宣言するメイン印刷会社とは何なのか。
 平河工業社と小社との支払関係は3月末現在通常どおりである。過去には支払期日の変更をお願いしたが通常に戻っている。それに、両社は数ヶ月前に業務契約を結んでいる。今回の通告はその契約のどの条項によるものかという問いに平河工業側は答えられないでいる。
 その契約書の小社側の保証人は辻元清美である。平河工業社の強い要望による指名があって、彼女が同意したものである。
 辻元清美が議員辞職して6日目、那須さんは取引停止を通告するために現れた。
「小出版社を応援します」
 そういい続けてきたはずの平河工業社の反論をぜひ聞きたいものだ。

第三書館の本の一覧

誰かがまだ本を読んでいるに違いない

 出版不況なんて、いまさら口に出すのもおこがましい。とはいえ、それをつくりだしたもの、その背景にあるものをいろんな角度から掘り下げてみることは無意味ではないと思う。
 出版不況すなわち本が売れないということイコール本を買う人読む人がへったということ。本は毎日どんどん出版されている。不況以前より点数はふえている。それでも本が売れないのは、言い尽くされていることだが、人々の本離れが進んでいる証拠。
 そうなんだけど、そのなかにあって、依然としてあるのが、本というメディアに対する抜きがたい固定観念というか読書文化への“信仰心”のようなもの。これにいろんなところで出くわして、驚かされる。

 一番強いのが、著者の自著への思い入れ。それがなければ誰も膨大な時間を費やして本を書いたりしないわけだが、どんな出版不況のなかでも自分の本だけは別だと思い込み過ぎられるきらいが強い。
「この本は全国の図書館に一冊づつは是非必要だから図書館用に3000部余計に作って欲しい」なんて言う著者がまだ結構いる。ほんとにそうなら、嬉しいんだけど・・・。

 ある警察官の自伝入りエッセーを出版した。大新聞の一面三八ツにも、地元の地方紙にも数回広告を出したが、6ヶ月たって3000部中2000部近くが返本で残った。その事実を伝えると、著者は怒った。
「地元の県警だけで4800人いるから、1000人は買って読んでいるはずだ.。全国で1,000部のはずがない。」あとはご想像の通りの応酬である。データを示しても信仰は揺るがない。
 話をしていて感じたのは、世の中の人びとは本が出たら読むに違いないという抜きがたい思いこみ。いくらこちらが「TVなら視聴率1%でも1000000 人、本の1000000部とは次元が違う」と説明しても納得していただけない。広告代も入れたら大きな赤字だという現実が信じてもらえない。そういうご本人も聞いてみれば他人の書いた本をとりわけ読んでいらっしゃる風でもない。

 この方のように「誰かがまだ本を読んでるに違いない」という信仰があまりにひろく浸透していること驚くばかりだが、一方でそれが本というメディアの威信をかろうじて維持しているのではあるまいか。ほんとうに「本なんて視聴率にしたら0.005%もあれば御の字の世界だ」ということがバレてしまい常識化した日こそが恐ろしい。

 次回は版元ドットコム事務局の森田さんです。

「再販原理主義」のゆくえ

 三月二十三日に公取委から一応の結論が出て、とりあえず再販維持が決まった。ご同慶の至りである。

 しかし、これからどうするのかと言う点では出版界の合意がとれているわけではない。むしろこれからのほうがかえって各論続出なのではないか。

 まずなすべきは現状把握である。新古書店の増加、ポイント制の導入など変化は激しい。私が驚いたのは生協へのバックペイがかなり一般化していると言う事実。さる業界団体では生協書店でフェアをやったら、最初から5%とか10%あるいはそれ以上のバックペイはジョーシキだという。(私がこれまで属していたところではまったくそんなことはなかった。)生協は普段の生協価格よりそのぶんだけさらに割引して読者に販売するという。

 ことが生協だから、そんなことはアタリマエだと言う人も多いかもしれない。でも、私にはどうも腑に落ちない。生協がそのタテマエとしてきた生活防衛の意義はとっくに崩壊しているのは当事者がはっきり認めている。あとは法律があるから、それが例外的に認められているから、ということになる。

 しかし、法律論議をするなら、再販制は独禁法で原則禁止であって、出版物の再販制はその例外として認められたもの。生協がまたその例外ならば、例外の例外で、今の生協のやりかたが本来のものということになってしまわないか。

 「再販原理主義」を貫こうと言うなら、ポイント制を導入している書店には出荷しない、生協へのバックペイは拒否する、私がこの前この欄で提案した時限歩安納品(=歩安返品)も拒否ということになる。

 果たしてそれを貫徹できるのだろうか。これも結構大変だ。

 結局のところ、口では「再販原理主義」、行動としては何もしない、ということに終わってしまうのではないか。

 版元ドットコムに誘ったさる版元いわく「送料無料で読者に本を送るなんて、再販制の原則に反するから参加拒否です」と。

第三書館の本の一覧

デフレ時代は再販制にプラスかマイナスか

 いよいよこの三月三十一日に公正取引委員会から本の再販売制度を継続するかどうかの大方針が出ることになっている。「本は全国どこで買っても同じ値段、同じ本は同じ定価のままずっと売られている。」この日本の常識は必ずしも世界の常識ではない。再版制がなくなると、日本でも常識からはずれてしまう。

 この問題については、多方面から議論が積み重ねられてきた。それを繰り返すことはしないが、いま新たな問題が持ちあがってきている。いま日本経済が入り込んでしまったデフレとの関係だ。政府や日銀はデフレ下にあると認めたがらないし、認めてしまうとそのアナウンス効果が大きすぎるのを懸念するのもわかる。しかし、間違いなく物価は下がりつづけている。衣料品や食料品の全般的な値下がりは著しい。300円以下のランチ特集が週刊誌を賑わしている。

 こういう状況下で再販制の意義を出版社が読者に理解してもらうにはこれまでどおりの説明では難しいのではないか、ことによったら反感を買うだけに終わるのではないか。

 これまで数十年にわたって私達は基本的にインフレ下で生きてきた。物価は大なり小なり必ず上がるものであることを前提にしてきた。そのなかで版元は「本は物価の優等生」だと主張してきた。他の商品に比べてこんなに価格上昇率が低いと誇示することさえしてきた。実際、小社が22年前、創業直後に発行した最初の本が980円。もし、いま同じ本を出してもおそらく1300円以上の定価をつけられないと思う。

 しかし、読者からしてみれば、それはこれまでの話。現実に他の物価が急速に下がり出したなかで、過去数十年の価格上昇率が低かったという理由だけで「本の価格は絶対下がりません」という説明に納得してくれるかどうか。読者の本離れが進むだけに終わらないだろうか。

 出版社サイドからすれば物価が半分になっても最初につけた定価で本が売れてくれるのはうれしい。だがそれだけでは、このデフレ下においては「再版制の上にアグラをかいている」と批判されてもしかたない。たいへんな状況下にあることを版元は理解すべきではないだろうか。

 とるべき対処はふたつ。ひとつは本の流通の徹底的改善。もうひとつは再版制を生かしつつ、価格の硬直性を打破すること。前者は版元レベルだけではできない。後者は版元が読者との関係でどのような発想に立つかで実行可能なことである。

 三月三十一日の結論を見てからにしようという、この業界特有の様子見が蔓延しているようだが、版元自身が状況打開の議論を起こし実行すべきときではないだろうか.

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