「マイ ガーデナー(MY GARDENER)」滑り出しは好調!
紡木たく著「マイ ガーデナー(MY GARDENER)」が出版されました。こんなに小さな出版社が、「紡木たく」という大作家の作品を出版してもいいものだろうか、著者の名前を傷つけないだろうか、と不安でしたが、とにかく出来上がりました。読者の反応が気になります。 (さらに…)
紡木たく著「マイ ガーデナー(MY GARDENER)」が出版されました。こんなに小さな出版社が、「紡木たく」という大作家の作品を出版してもいいものだろうか、著者の名前を傷つけないだろうか、と不安でしたが、とにかく出来上がりました。読者の反応が気になります。 (さらに…)
<2007年3月X日>
◎X市立図書館からお話会にあわせて本を売りたいので、150冊あずからせてください、と依頼される。あわてて裏の倉庫まで取りに行く。『お話会のプログラム』『三分間で語れるお話』『明かりが消えたそのあとで』『語ってあげてよ!子どもたちに』の4種類を詰め合わせて荷造り。このところ、委託本はほぼ100%完売。今度はどうだろう? いくらなんでも150冊完売は無理だろうな。 (さらに…)
6月末に北海道で老舗書店の会長をしている同級生のSさんにお会いした。まだ年齢的には会長になるような年でもないが社長業は弟さんに譲り、対外的な仕事や日本書店商業組合連合会の仕事に情熱を傾けているようだった。そのSさんがこぼしていた。「北海道の経済は冷え切っているよ。本の売り上げも年々落ちていく。おまけに近くに大書店のチェーン店が次々にできて、新古本屋も増え、狭い商業圏だから客の奪い合いになっている」と。この書店は、東京でいえば紀伊國屋書店のような書店で、地元では古くから市民が愛着を感じている書店だ。しかし今はどうだろう。厳しい現実を前に苦戦を強いられているらしい。
出版業界も書店も斜陽産業になりつつあるようだ。もちろん例外はあって、ベストセラーを出しつづけている出版社もある。今でいえば草思社、サンマーク、幻冬舎、三笠書房、角川書店など、勝ち組といわれるところ。しかしベストセラーは1社で独占できるものではないようだ。10年で時代はガラリと変わるからだ。 9月20日小社発売予定の『戦後名編集者列伝』(櫻井秀勲著)には、光文社、青春出版社、KKベストセラーズ、筑摩書房、新潮社などの出版社で、じっさいにベストセラー本をつくり出してきた編集者の光と影が描かれている。「これを読んで売れるということはどういうことなのかを学んで下さい」というのが著者のメッセージだが、これはなによりも小社に向けた鋭い批判である。著者の櫻井秀勲さんには何度も「編書房はいまのままではダメですよ。売れる路線の本を出版しなさい。会社をささえる柱がないじゃないですか。女性モノ、実用書、人生論、いろいろあるでしょう。何かいまの路線<出版業界モノ>以外の鉱脈を見つけなさいよ!」と言われつづけている。だが、そのたびに考え込むのである。そう簡単にはいかないから悩みは深い。早く「これだ!」というものを見つけて、ロングセラーを出版していきたいが、ベストセラーとは無縁の路線でこれからも歩んでいくだろう。
最後にPR。
『戦後名編集者列伝——売れる本づくりを実践した鬼才たち』(定価:1900円+税、上製、300ページ)は、頭脳とアイデアで勝ちぬいてきた編集者三十数人(文藝春秋・池島信平■光文社・神吉晴夫■マガジンハウス・清水達夫■青春出版社・小澤和一■新潮社・斎藤十一■KKベストセラーズ・岩瀬順三■筑摩書房・布川角左衛門■角川書店・角川源義■集英社・長野規■河出書房・坂本一亀■講談社・内田勝■サンマーク出版・植木宣隆■草思社・加瀬昌男■海竜社・下村のぶ子■噂の真相・岡留安則■三笠書房・押鐘冨士雄■福音館書店・松井直■幻冬舎・見城徹 など)の闘いの軌跡。
「図書館の学校」(図書館流通センター発行)で大好評だった人気連載を大幅に加筆したもの。戦後出版界の流れを知るうえで資料的価値もある。ご一読ください。
吹けば飛ぶような弱小出版社なのに雑用がやたらと多い。効率的に仕事をして、あとは読書の時間をできるだけ確保したいのだが、なかなか実現できない。最近、仕事について書かれた本(新書)を少しまとめて読んだ。
『仕事術』(森清著、岩波新書)、「良い仕事」の思想』(杉村芳美著、中公新書)。『失敗を生かす仕事術』(畑村洋太郎著、講談社現代新書)などだが、どれもそれなりに面白かった。これらの仕事術とはちょっと毛色のちがう異色の本がある。『「ひらきこもり」のすすめ——デジタル時代の仕事論』(渡辺浩弐著、講談社現代新書)。バーチャル空間の中では土地の広さやビルの高さは関係ない。才能さえあれば、そんな組織やビルがなくても各種情報機器やネットワークを使い、自宅で個人で収入のよい、短時間ですんでしまう仕事がどんどんできるという。実際に多くの若者たちが、電脳空間への移住を始めているらしい。あるコンピュータ・プログラマーは年収1千万円以上を得ていたが三十台前半で引退してしまったという。理由は「一生遊んで暮らせるメドが立った」から。がっぽり貯め込んだのではなく、「一本あれば何ヶ月も遊べるゲームソフトをすでに数千本持った」。あとはゲームをやって一生暮らすだけの必要最低限の金銭は確保したとのこと。著者の渡辺浩弐氏も定職についたことはなく、学生時代からゲームセンターに入り浸りゲームの専門家、ゲームクリエータになってしまった。勤勉に働くことが良いこと、とされてきた今までの仕事観はバーチャル空間に住む人には意味がない。電脳空間での、組織を頼らない新しい仕事論として画期的内容だ。
もう一冊、『翻訳はいかにすべきか』(柳瀬尚紀著、岩波新書)を読むと別の仕事観に羨望を覚える。著者は、翻訳を志す人は日本語の常識を持て!という。それを、これでもかこれでもか、というほど述べる。自分の訳と他人が訳した訳文を比較して、いかに柳瀬訳がすばらしいかを説明するのだが、読むとスッと納得する。二葉亭四迷の翻訳に対する態度「余が翻訳の標準」の引用からはじまり、翻訳者は最低でも「漱石全集」や「森鴎外全集」くらいは読んでいるのが常識だ、とか、『渋沢龍彦翻訳全集』をいつも側において参照する、とか、とにかく日本語の言葉にこだわる。大切にする。こんなに細部にこだわる職人仕事をやっていたら一生楽しめるだろうなあ、とうらやましく思う。自分が訳するに足るだけの価値のあるものしか訳さないという態度も徹底している。けっして金銭のための仕事はしない。くだらないものを訳して時間を浪費するのがもったいないから。『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』の訳者だから言える言葉。
少し前に話題になった『翻訳夜話』(文春新書)。村上春樹と柴田元幸による翻訳談義も基本的には、翻訳という仕事が好きで好きでたまらない二人のジャズ・セッションのような対話。「好きこそ物の上手なれ」なのかも。『海辺のカフカ』を読んでウンザリした村上春樹だが、これを読むと「春樹もなかなかいいね」と思ってしまう。
仕事に関する本をたくさん読んだ結論は、「お金はたいして儲からなくても、楽しくて価値のある、大好きな仕事をコツコツしていこう!」という平凡なところに落ち着いた。
<オンライン書店の行方は?>
文庫新書担当の外部エディターとして昨年3月から出稼ぎに行っていたオンライン書店のbk1から今年3月に契約打ち切りをいわれた。早い話がリストラされたわけだ(笑)。外部エディターほとんど全員と社員もかなりの削減・・・。出稼ぎで編書房もずいぶん助かったが、「本業にあまり力をいれないで、bk1や編プロ仕事ばかりやっているから編書房はもうやめるのかと思った」とある著者にいわれてびっくり仰天。そんなふうに見えていたのかと反省。今年は企画出版に力をいれようと思う。
ところで、bk1に限らずオンライン書店はどこも大変に苦戦を強いられている。
私はけっこうオンライン書店で買うほうだが東京に住んでいれば大書店は近所に何軒もある。新刊はリアル書店で買うが、ロングセラーや書店ではちょっと探せない特殊な本、刊行年の古くなったものは絶対にオンライン書店が便利だ。
bk1はデ−タベースが素晴らしいのでたいていのものはここで探せる(bk1のデータベースは図書館流通センター<TRC>がつくっているのできちんとしているが、これを残念ながら使いこなしている人は少ない。使いこなすにはコツがあるのだが、そのコツをbk1側では詳しく説明していないのである)。
bk1だけでなくちょっと浮気してアマゾンでも洋書やCDはもちろんのこと書籍も利用している。bk1にはない素晴らしさがあるから。送料も1500円以上は無料だしカスタマーレビューが充実しているので参考になる。しかし日本ではアマゾンもそれほどうまくいっているわけではないらしい。まだまだネット書店としての市場が成熟していないのかもしれない。それにどうしても、「ネット書店側に買った商品が調査されて把握されているのでは?」という思いがあって、ネット書店で買物はしない、という人も多い。本というのはある意味でその人の頭の中味まで覗いてしまう部分がある。やはり本は普通の商品とは違うのかもしれない。それに日本はアメリカのように広大でもないから、書店はどこにでもある。
現在の日本でネットにもっとも適した書籍は「マンガ」と「エロ本(ボーイズラブを含む)」と「24時間でお届けできる新刊本」と「リアル書店では探せない本」くらいなのかもしれない。でも、もうそろそろどうすれば商売としてきちんと成立していくのか、金太郎飴型オンライン書店ではない、特化したオンライン書店が出現してもよいと思う。オンライン書店における”絶対に確実に儲かる仕組み”はまだ誰も提案していない。
今年の9月で編(あむ)書房も4年目に入った。10冊目の『図書館逍遥』(小田光雄著、2001年9月14日発売)は刷り部数は少ないが、確実に本好きの人に支持をされているようで、返品も今のところ少ない。出版不況の折、まあまあというところだと感謝している。最終的には返品がどれくらいになるのかまだわからないが、この本は図書館にずいぶん入れていただいた。こちらとしても図書館に入れていただきたい本として意図して出版はしたが。
ところで、3年前に会社を立ち上げたときに「これからはeメールの時代になる。きっとホームページで注文をとることになるだろう」と考えた。しかしそれは大間違いだった。HPのつくり方が悪いのかもしれないが、メールでの注文は思ったよりもぜんぜん少ない。HPの効果は宣伝に役立っているだけかもしれない。
もっと言ってしまえば、自社の宣伝よりもむしろ利用されている感じがする。最近よく売り込みのメールが入る。それはイラストレーターであったり、著者であったり様々だが、少なくともこちらの会社がどんな本を出しているのかぐらいは調べてからメールを出して欲しいものだ。先日もいきなり、「僕のHPの詩を読んでください。そして詩の出版に手を貸してください」という依頼。どうも詩が苦手のせいもあるが、彼のHPにまで行って彼の詩を読まされてしまった。そのあとで、「冗談じゃない、忙しいのになぜこんなふうに非常識な人につきあわなくちゃいけないんだろう」と腹がたってきた。
こういう人は本当に多い。イラストレーターにしてもテープ起こしの仕事にしても、相手の仕事ぶりや人柄を知ってからでなければ、小社のような零細出版社であっても、まず仕事は依頼しない。まして著者ともなれば、見ず知らずの相手と仕事をすることはぜったいに有り得ない。アメリカの大学の講師をしている日本人からいきなり国際便で原稿を送りつけられて、「お宅で出版して欲しい」と言われたこともあった。私から見るとトンデモ本だ。大出版社なら日常茶飯事のことかも知れないが、零細出版社にしてみれば「なに考えているんだろうこの人!」となってしまう。もちろんすぐに国際便で送り返してしまったが、お金はかかるし、いやな思いはさせられるし、非常識な人々が多いのにあきれる。
他にも非常識な人々がいる。就職活動中の大学生だ。真面目な人もなかにはいるが、たいていはこちらの出版物を読んでもいない、どんな本をだしているのかさえ調べもしないで「採用予定をお知らせください」というメール。採用予定など永遠にないのになあ。身勝手な人々にうんざりさせられる。それともこれは今の社会では常識なのか? 自分の都合だけ考えている人々ばかりの世の中はなんともさみしい。
編(あむ)書房の日常は忙しい、余裕ない、お金もあまりない。毎日どうしてこのように時間がないのであろうか?小さな小さな版元(一人出版社です。新卒採用予定は永久にゼロ)だから、さぞかし暇だろうと創業のとき(3年前)には考えていました。たっぷり本を読む時間もできるであろうと。しかし夢と現実は違うのでした。
本は大急ぎで読むしかないのです。その理由は以下の通りです。
1. 午前中、編書房の本来の仕事をする。注文品を倉庫に取りに行ったり、荷作りしたり、愛読者カードに返事を書いたり、メールに返信を出したりする(やたらと長いメールをくれる人がいるので、それなりにこちらも誠意をもって長く書く)。書く仕事がものすごく多い。
2. 午後からはオンライン書店に出稼ぎに行く。有難いことに文庫新書のエディターとして棚をまかされているので、好きな本をウエブ上に並べる。サラリーマンではないが組織に従属する苦痛をチョッピリ味わう。
3. 午後8時ごろ帰宅して、『図書館の学校』(図書館流通センター発行)で連載中の永江朗さんと斎藤美奈子さんの対談、「甘い本、辛い本」で使う対談本を読んだり、原稿を書いたり、新聞を読んだり、ビールを飲みながらご飯を作ったりする。
4. 編集プロダクションとして企画している本の原稿を読んだり、夜中に電話やFAXで著者と打ち合わせをしたり、見積書を書いたりする。
5.これらの仕事を終えてやっと読みたい本に飛びついて自分を取り戻す。時間が足りないのでいつも不満。先週読んだ本は『「教養」とは何か』『教養論ノート』『新教養主義宣言』 『バカのための読書術』『光の教会』『俳句殺人事件』『東方見便録』。買ったが積んだままの本は『君の中の見知らぬ女』『職業としての翻訳』『迷いの体』など10冊余り。毎週かなりの本を買う。いつ読むんだろう?
これだけ休みなく働き頑張ってもサラリーマン時代の給料には及びもつきません。最近出したばかりの『古本屋サバイバル』(小田光雄、河野高孝、田村和典著・ 2001年3月刊・本体1700円)も、満を持しての出版だった(部数も随分刷ってしまった)にもかかわらず、売れんのですわ。著者の小田光雄さんと「なぜ、売れないんだろうね」と電話で愚痴大会に。「こんないいい本なのに、なぜ無視されるのか、悲しいね」。ふたりの愚痴はいつまでも続きます。こういう部数決定の間違いと大量返品が、お金のたまらない理由でしょうか。