すこし未来に向けてつくる
砂川秀樹さんの『新宿二丁目の文化人類学──ゲイ・コミュニティから都市をまなざす』を電子書籍化しました。
浩瀚な本ですが、幸いにも専門分野からもセクシュアル・マイノリティの当事者からも大きな反響をいただき、当初想定したメインターゲット層以外にも広がってきています。書店店頭で、特産品による地域コミュニティづくりの本などと並べられているのをみたときには「そういう文脈もありうるのか」と驚きました。
電子化の希望は、とくに入手の難しい海外在住者から強く来ていました。物流からも決済からも、電子化はそういった需要に対して大きなメリットがあります。
『新宿二丁目の文化人類学』は文字主体の本なので、電子化にあたってそんなに難しい問題はないはずでした。しかし、実際に進めてみると、紙の本の造本とはまた違う判断を迫られます。
▼電子書籍での画像とキャプション
たとえば、この本の4章なかほどに(電子書籍なので「220ページ」などの特定した言及ができません。これもまた問題)、1958年と1986年の新宿二丁目の同じ場所を撮影した写真を比較するページがあります。
まず、キャプションを「文字扱いにするか、写真といっしょに画像扱いにするか」、「文字扱いにするならタテ組みかヨコ組みか」という選択がありました。
この本は基本的にタテ組みですが、キャプションはヨコ組み。こういうイレギュラーな扱いはReading System(kindle、iBooks、kinoppy、hontoリーダーなど各社の開発した電子書籍アプリ。以下RSと記します)によって違う挙動をする恐れがあります。また、スマートフォンなどの小さな画面に表示された場合、ページ間で写真とキャプションが「泣きわかれ」する恐れがあります。
こういった事態を防ぐには、キャプションをふくめ画像扱いにするという手法がとられるのですが、その場合「検索できない」「視覚障害者向けの読み上げソフトが対応できない」などの問題が生じます。
このケースでは、画像扱いにして、その背面にaltタグ(画像が表示できないときなどに表示される情報用のタグ)でキャプションの文字情報を埋め込むという判断をしました。
つぎに、2枚の写真を一体として扱うか、途中で改ページすることを許容するかという問題があります。この写真は見比べることを前提として1つのページに配置されているのですが、スマートフォンどころかタブレット端末でも、ページが分離してしまうことが懸念されます。2つめの「泣きわかれ」問題です。
よく、「電子の解像度が紙に追いついた」と言われますが、ppiではなくdpiで考えると1200-2400dpiで製版されている紙に追いついたと言うにはまだまだで、見開きはおろか四六判1ページ分の情報を表示するのも、表示情報量としてもモニタの物理サイズとしても、また販売のための回線状況としても困難なのが電子書籍の現状です。
このケースでは、2つの図版の要素を分けて記述し、途中で改ページされることを許容するという判断をしました。将来的に表示環境が改善してくれば、自然と並べて表示されるだろうと信じて。
『新宿二丁目の文化人類学』はタテ組みの一般書として出版されましたが、もとは博士論文なので、先行研究についてのレビューと文献リストがついています。これは、欧文も多いのでヨコ組みにして巻末に納めました。しかし、電子書籍においては一冊の本にタテ組みの右から左へのページ進行とヨコ組みの左から右へのページ進行を混在させることはできません。
そのため、今回は欧文が文中で横倒しになることは許容することにして、全体をタテ組みにしました。
▼注をどう置く?
やっかいだったのが注の問題です。注をどこに入れるかは、本文中に入れる行間注・割注、ページもしくは見開きの端に入れる脚注・傍注、後側にまとめて入れる章末注、巻末注などの方法があります。著者や編集者が、注内容と本ごとの性質を考えあわせて、読者がリズムよく本を読んでいけるよう処理を決めます。翻訳書では原注は章末注、訳注は割注という運用をよく見ます。
『新宿二丁目の文化人類学』の注は、比較的簡易な用語解説が多いのですが、割注にするには分量が多い部分もあるため、傍注でした(前写真左端参照)。注のためにページを行ったり来たりすることなく読めるのがメリットです。
しかし、電子書籍はページが一定しないので「傍注」という概念がありません。技術的には不可能ではないでしょうが、字数もさまざまになりうる注を、多様な画面サイズにあわせて最適表示するのは困難です。
いちばん脚注に近いのは、注部分をクリックないしタップすると別ウィンドウで注内容があらわれる「ポップアップ」です。この「ポップアップ」は電子書籍の規格であるepub3には定義されているのですが、実際に対応しているRSは、メジャーどころではAppleのiBooksしかありません。
たしかに読者としてみた場合、この注は一見して別のページにジャンプで連れて行かれるのかポップアップなのか、挙動の予測がつかないのでは押しづらくなってしまいます。一律にリンクによって章末ないし巻末注にジャンプするほうがわかりやすいという判断は現実的かもしれません。
しかし、RSによって表示の標準化が進み、読者もそれに慣れてくればポップアップも普及するかもしれません。簡易な表示方法の可能性を捨てるべきではないと判断して、ポップアップと章末注の両方を入れることにしました。
そうやって発注してみると、あらたな問題が。「注12」などのアラビア数字がタテ組みに入るとき、2〜3桁の数字を横に並べて1つの文字扱いにする処理があります。これを「縦中横」と呼びます。iBooksのポップアップは縦中横に対応していないので、表示が派手に崩れるというのです。しかも、注のなかには「二〇一五年」などの漢数字表記も多く、一律にヨコにすると違和感が。
ここでは数字変換には手を出さずエイヤっとポップアップはヨコ組みにすることにしました。そうして出てきたポップアップによる注の現物は、私の感覚からするとあきらかに数字が大きすぎる……。これはフォントサイズで修正入れるべきなのか、iBooks固有の癖として許容すべきなのか、なにせ他に対応しているRSがないので判断が難しいです。
つらつらと、あるいは些末に見える問題を挙げてきました。こういうとき、ついつい目の前のものを破綻なくおさめるのを最適解としてしまいがちです。電子書籍化の現場でも「クレームをなくす(それも、しばしば読者でなく出版社やショップの)」ことが目標とされます。でも、一歩立ち止まって判断基準として心がけているのが「すこし未来」の読者に最適の状態で送り出すことです。
電子書籍は読者に届いてからアップデートも可能です。しかし、実際に一冊一冊の本のタテ組みヨコ組みを変更して、表記をそれに追従させていくのは大変な作業量です。既刊については、よほどの売れ行きがなければ不可能でしょう。
なので、技術動向を予測して、最小限のメンテナンスで将来の読者に読みやすく本を届けられるよう、技術の選択に日々悩んでいます。
▼「1行何字」を決めないリフローの世界
これって、わりあい野心的な方針を採った今回の版元ドットコムのサイトリニューアルについても言える話だなあ、とおもうのです。上記の話は版元としてですが、今度は版元ドットコムの組合員の一人として、リニューアル方針策定に関わってきての感想を綴っておきます。(組合全体の意見を代表するものではありません。)
電子書籍もそうですが、webサイトのデザイン面も、紙の本とはだいぶん異なります。
マンガ『ラーメン発見伝』(リンク先は続編)に、「スープにいっさい手を加えず、スープの味わいを向上させる」というエピソードが出てきました。(あえて何巻かは書きません。全26巻のうちのどこか、です。)
作中でラーメン評論家によって「1センチのマジック」と称されたその手法は、麺の長さを以前より1cm伸ばすこと。「スープの香りを最大限に堪能でき、かつ心地よくすすり切れる長さであることがベストだ」。そのベストを探求して1cm伸ばしたといいます。
紙の本も同様で、1ページに何字何行の文字を入れるかは大問題。それによって文章の味わいが異なります。内容と文体にあった文字組みの選択は、主にデザイナーと編集者の領分とされますが、小説家にも、文庫版にするときに、その文字組みに合わせて内容を書き換える方もいるそうです。
ところが、webやリフロー型の電子書籍は、1行に何字入れるかを読者の環境に委ねます。読者がケータイで見るなら1行20字、タブレットで見るなら40字、PCで見るなら60字といった具合に。
それどころか、紙の書籍では苦心して選定されるフォントも、「お手元にあるフォントでご覧ください」というぐあいです。まるで、「スパゲティでもマカロニでも、似たような小麦粉使ってるんだし、同じソースで食べればほとんど味は変わらないよね」と言わんばかりです。
webは、こうした割り切りによって、紙の書籍にはないアクセシビリティを手に入れました。情報としての密度の高さ、携帯性の向上、検索や読み上げへの対応など、情報の格納・整理手段としてはきわめて優れています。
▼「文字の画像化」は後ろ向きの対応
しかし、それではテキストを読む経験としてあんまりだということで、電子書籍ではフォントをRSに同梱したり、見出しやキャッチコピー部分には文字を画像化して使ったりという工夫がされてきました。
人間が情報を受け取るためのデザイン上の加工として文字の画像化がされてきたのですが、それは情報密度、検索可能性や情報の取り出し(コピペ)の容易さ、管理側の省力化などの利便性の面での後退でもありました。また、画像化は往々にしてビットマップで行われていたため、高解像度化が進んだ現在の環境では粗が目立つようになってもいました。
今回、版元ドットコムが導入した「webフォント」は、そうしたジレンマから抜けて、webサーバー上から使う文字のフォント情報を都度ダウンロードしてきて使用することで、webの利便性を保ったまま、見た目を紙の書籍での「おもてなし」に近づけようという技術です。
そのメリットについては今回導入したfontplusのサイトにまとめられています。
webフォント自体は5年ほど前からある技術ですが、速度や安定性などの面で実用可能な域に近づいてきたと判断し、今回の導入となりました。
▼時期尚早? 技術導入の「旬」はどこに
とはいえ、今回のwebフォント導入の評判は様々でした。「こだわっている」「気取っている」「読みやすい」「読みにくい」「遅くて使えない」など多様な反応がありました。個人の好みのほか、ブラウザやOSの対応具合によって見え方が異なり、導入時のもくろみである「どの環境でも一定の表示水準」にはまだ届いていません。とくに旧世代のwindows機からの見た目と対応速度はあまりよろしくなく「時期尚早」だったのではないか、という意見も聞かれました。
「あれ、これはどこかで聞いたな」という気がします。そう、版元ドットコム立ち上げの2000年ごろ、webはまだ行間ベタ打ち、フォントはゴシックか明朝かの指定すらできないのが普通でした。
それらの指定を可能にするCascading Style Sheets(CSS)の勧告は1998年末に出ていたものの、ブラウザによって対応が異なり、とくにトップシェアだったInternetExplorerの標準を逸脱した仕様に合わせるのか、ブラウザを検知して表示を切り分けるのかといった問題が負荷となり、プロの開発者からも「webは行間ベタ打ちが常識。CSSの導入は時期尚早」という声が聞かれました。
そのとき結局どう議論したのだったか、経緯の記憶が定かでないのですが、web archiveの最古の記録を見るかぎり、当初からCSSを使用していたようです。
版元ドットコムがもっと資力のある団体だったら、リニューアルをこまめにおこなったり、環境ごとに表示をさらに切り分けたりして、最適の表示を追及できるのかもしれません。でもそれはできないので、すこし未来に最適化することを目指した、というのが今回のリニューアルについての感想です。
個人的には、webフォントをつかった組版の調整については、いろいろ不満もあります。この版元日誌のPCでの標準的表示文字数は1行74字。2メートルの麺みたいなもので、食べやすいとはとても言えません。(今後、改善されると意味がわからなくなる文章なので、「画像化」した写真を貼っておきます。)
また、読点はまだしも句点のアキを詰めるなんてありえない。まして本文で。句点の役割をなんだと考えているのでしょうか。こういった点は早急に改善していきたいです。
しかし、版元ドットコムの主役は短文の紹介コピーや目次で構成された書誌情報であり、長文の「読み物」を主体とするサイトではありません。こうした調整は後回しでいいと判断しました。
webフォントはほんの一例で、版元ドットコムの今回のリニューアルは、従来の業界の常識からはみだして「すこし未来」に対応し、望ましい未来を手元に引き寄せるためのさまざまな挑戦をしています。
webフォントはコケるかもしれないし、epubのRSにポップアップは縦書き対応はおろか標準装備されることすらないかもしれない。未来は読めないのですが、果敢に挑戦していきたいと考えています。小零細版元も、その集合体である版元ドットコムも、表現とその流通の可能性に挑戦することが存在意義ですから。
追記
さて、そんなこんなで『新宿二丁目の文化人類学』の電子書籍が発売になったので、購入案内を最後に貼ろうかとおもったのですが、横断検索サイトであるhon.jpがリニューアル作業中のためか、まだ捕捉されていないようで、簡便なリンク先がありません。
配信社によると、以下の23書店で発売中とのことです。無料のためしよみがついている書店もありますので、どうぞ比較してみてください。
iBookstore
eBookJapan
Kinoppy
Kindleストア
コダワリ編集部イチオシ for スマートフォン
koboイーブックスストア
コンテン堂
コープデリeフレンズ電子書店
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