「出版輸送の危機」への応答責任
「深刻さ増す出版輸送問題」
「流通改革の必要性強調」
「輸送問題『出口見えない』」
「取次社長が輸送問題語る訳」
——これらは、新年早々の業界紙『新文化』(1月19日号)の1〜2面に並んだ見出しの数々だ。
最初の「深刻さ増す〜」が東京都トラック協会出版取次専門部会の瀧澤賢司会長にインタビューした1 面記事で、瀧澤氏は「発足時(昭和44年)72社いた部会店社は約半世紀を経て現在20店社となりました」として、「このままいくと早晩、出版輸送の崩壊がどんどん進む」と危機感を露わにしている。
つぎの「流通改革の必要性〜」は業界会合で紀伊國屋書店の高井昌史社長が「取次会社による物流体制の維持が困難になっている」と発言したというもの。さらに「〜出口見えない」は日本出版取次協会(取協)の平林彰会長がドライバーの労働環境について「荷主として対応しないといけない」が「出口がまったく見えない」と語ったという。そして、最後の「〜輸送問題語る訳」は同紙の丸島基和社長によるコラムで「運送会社の悲痛な声が内在している」と指摘している。
ひとつの号で、これだけ出版輸送の「危機」が語られることは珍しい。
一方で、丸島社長が指摘するように、これらは昨日今日顕在化したのではなく「約20年にわたり、(略)深刻さを増している」問題だ。
小社は、創業時からトランスビューとの協業で、物流を「トランスビュー方式」(取次を介さない、書店との直取引)に頼っている。
取次との取引がないため、印象論というか、ごく一般的な人と同じような感想を持ってしまう。
というのも、世間ではアマゾンが日本の宅配便業者を叩きまくって労働者を過酷な状況に追いやっているとの認識があり、それに比して「町の本屋」はまっとうな商売をしているから、おのずと「黒船」にはかなわないと——。
そう思っている人は少なくないのではないか。
であるのに、その実態が「全産業のなかで、残業時間が一番多いのが輸送業界。脳や心臓疾患の届出が多い」(平林取協会長)現状があり、それに出版業界が加担しているならば、「町の本屋よ、お前もか」と思わざるを得ないのではないだろうか。
もっと言えば「裏切られた」と感じる読者がいても不思議ではない。
もちろん、取次を介しての書店送品(B to B)と、アマゾンから顧客への送品(B to C)のコストを直接に比較するのはフェアではない。が、読者に「細かいことはともかく」と言われてしまっては二の句が継げないだろう。
ところで、出版社と取次は本の輸送にどれだけのコストをかけているのだろうか?
多くの出版社は、出版倉庫に在庫と出荷をアウトソーシングしている。本は、出版倉庫から取次へ渡り、そして書店へ届く。
たとえば、出版倉庫から取次への運賃(出版倉庫、取次倉庫とも首都圏にあると仮定)は、1冊あたり5〜8円といったところではないか。
そして、取次から書店への輸送コストはいくらか? これについては、取次会社の決算書を精査したわけではなく、またくだんの『新文化』でも具体的な数字が書かれていないので分からない(このあたりのブラックボックス化は、連綿と続く業界の悪癖だが、そこは置く)。が、取次の取り分は、本の価格の10パーセントほどであることから、その範囲で全国津々浦々とまでいかずとも、少なくとも札幌市から鹿児島市まではだいたい届けてくれる。900円の本なら最大でも90円という計算だ。
これに対して、トランスビュー方式はどうだろうか?
これについては、ほかならぬ私自身が、トランスビュー方式の内実を伝えた『まっ直ぐに本を売る』(苦楽堂)の中で取材を受け、流通コストが同方式の、少なくとも廉価本を出す際の大きなネックになっていると答えている。
同書には、トランスビュー方式にかかるコストが詳細に記されている。
同方式の場合、出版倉庫から書店へ届けなおかつ売上を回収するまでの費用(すなわち取次機能の部分)の内訳は以下の通りだ(同書P154より。数字は算用数字に変換)。
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完本出庫費用(13円)+メール便送料(180円)+納品書発行費用(2円)+書店および取次決済費1(25円)+書店決済費(18円)+都度請求書店決済費[単独](200円)=438円。
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これは、書籍の価格にかかわらず生じるもので、小社刊『さらば、ヘイト本!』など本体価格900円の本について、著者の石橋毅史さんは「書店からの『その本を一冊だけ』という注文に応じた場合、赤字になる可能性が高い」としている。
価格に応じて輸送コストが変動する取次方式では考えられない事態だろう。
こう書くと、「では、トランスビュー方式をやめて取次方式に頼ればいいではないか」という声が聞こえそうだ。
確かに。で、「深刻さ増す出版輸送」に頼り、業界紙で「やばいよ、やばいよ」と手をこまねいていればいいのか。
いや、手をこまねいているのではない、その証拠に業界紙が問題を顕在化させている、これはある程度のハナシがついているからだ、という声も伝わってくる。
「ハナシ」とはなにか?
だれかが、ドライバーの労働環境について「荷主として対応しないといけない」のだ。
そのためには、取次から版元(または書店)に対して「費用負担のお願い」があるのだろう、近々にも。業界通であれば、そう受け止めるかも知れない。
しかし、「ハナシ」が社会全体への問題提起ではなく、正味の上げ・下げといったところに論点が矮小化されないことを願う。
本好きの多くの人は、こう言う。「本が好きだし、本屋はもっと好き。だから本は本屋で買う」と。
そんな人を裏切らないために、「ハナシ」を簡単につけてはならない。「まっとうな商売の、まっとうな本が買いたい」という声があるなら、それに応えるためにやるべきことがあるのじゃないだろうか。