博士論文を本にする
青弓社の矢野未知生です。当社は「文化評論」「芸術評論」以外に、学術書も刊行物の柱にしています。そのなかには博士論文を書籍化したものも多くあります。
博士論文というと非常にカタいイメージがあると思います。論文を読むだけだとそのイメージはまさにそのとおりであることが多いのですが、そこでおこなわれている研究、あるいは獲得された成果は、知的な刺激にあふれているものはもちろん、ニッチで興味をそそるものや意外にも笑えるものなど、多種多様で独特、そして一般では考えられないことにまさしく人生をかけて臨んでいるという意味で奥深いものが多いです。
近年ではサンキュータツオ『ヘンな論文』(角川学芸出版、2015年)ほか、一風変わった研究論文を紹介する書籍も刊行されていて、その一端をのぞいた方もいるかもしれません。
最近、悩ましいところもあるので、人文学系の博士論文の書籍化について自分の整理も兼ねて紹介します。
1 人文学系の博士論文の出版を考える
学術書を刊行している出版社では、制作費の見積書を書くことがままあります。たとえば、毎年11月が締め切りの学術振興会の出版助成(研究成果公開促進費)に申請する場合、9月・10月に見積書を作って申請に備えます。ちなみに出版助成とは、市場では流通しづらい研究成果に対して補助金を出して公開を促進するというものです(詳細は「研究成果公開促進費」)。
当社も依頼を受けて、あるいは著者との打ち合わせの結果、こうした助成を申請することがあります。当社は人文書系の学術書も刊行しているのですが、そういった学問ジャンルでは、とくに「博士論文」を書籍化して刊行するにあたって、助成を利用しようという場合が多いのが現状です。
書籍の売り上げが減少していることはいろいろなところで指摘されますが、とくに博士論文の書籍化は制作費を回収して利益を出すだけの売り上げが見込めないことも多く、研究成果をどのように社会にアウトプットしていくか、出版社としても頭を悩ませています。
それは学術書を積極的に読もうという読者層が研究者・専門家以外には見えづらく、実売数からしても販売の壁が高いことが明らかだから、ということは経験的にいえるかもしれません。
「じゃあ、売れるように工夫をすればいい」という話になるのですが、そうとも言えないように、日々の仕事のなかで感じています。研究者=著作物の著者が博士論文をどのように書籍化したいのか、そのためにどのように書き直したい(or書き直したくない)のか、という「著者の気持ち」も当然考慮しなければならないからです。
「いや、著者の気持ちよりも研究成果を読者に読んでもらうことを優先したほうが……」と、すぐさま思う方もいらっしゃるでしょうが、こと博士論文の書籍化はそうともならないようなところがあるように感じています。
それは、学術的な業績のなかで博士論文が占める位置が関係しているような気がします。学的な規定などをひとまず飛ばして感覚的にいえば、「これが私の学問的な業績のすべてだ」、言い換えると、学術的な世界に対して示したい「私の姿勢・考え」が博士論文だ、という考えが基底にあると感じています。当たり前といえば当たり前で、博士論文は先行する特定の学術研究の成果を踏まえて新たな知見を提出するものであり、それはあくまで著者が同業で一部の専門家・研究者に対して示すものだからです。
つまり、博士論文は「広く読者に読まれること」を当初から想定していないわけです。
2 博士論文を書籍化するということ
だからこそ、なのですが、それを「読んでもらえるよう、興味をもってもらえるようにどう書籍化するのか」に当社は重きを置いています。ですので、たとえばそのままでは高額を付けざるをえない学術書の定価を下げて、多くの読者に読んでもらえるようにという考えで、「博士論文のここだけをふくらませて一冊にしましょう」「この史料・素材をしっかり見せることに集中して、読者の興味を引くのはどうですか」と提案することもあります。反対に、原稿枚数を削らずに高額書籍としての刊行を前提にして、「博士論文で「諸般の事情」により書いていないことを加筆しませんか」と相談することもあります。
でも、著者=研究者は「多くの読者に読んでほしい」という強い思いをもつ一方で、「博士論文の骨子を変えると、学術的な価値が下がる」「博士論文はこれで一つのまとまった成果だから原稿枚数を圧縮するのは難しい」と考えていることが多いと感じています。
理由としては、上で記した博士論文の位置づけのほかに、「就活で博士論文に向き合う余裕がない」「大学業務に忙殺されてリライトする時間がとれない」「博士論文はあくまで学術書だからこのままでいい。その要素をまとめたものとして新書を準備している」などの意見を聞いたことがあります。
事情は千差万別にあるのですが、個人的な肌感覚では、博士論文を書籍化する=学術書を刊行するときに、非研究者=一般読者を気にしていながらも、性質上その人たちに読まれることに必ずしも重点を置いていない、あるいは置きづらい状況が(人文系の)研究者にはあるのではないか、と思っています。
3 博士論文のオープンアクセス
他方で、博士論文の書籍化に対する研究者の考えの背景には、「学位規則」(昭和28年文部省令第9号)が「博士論文の印刷公表を義務づけている」という点もあると思います。「だから原則的には博士論文の骨子を変えずに刊行したい」となるわけです。
※補足:実態としては、書籍ではなく、印刷媒体で国会図書館に納めることで公表に代える、という場合も多いようです。
ただ、これが2013年の学位規則の改正で大きく変わりました。詳しくは以下を見ていただくとして、簡潔にいえば、印刷公表が前提だった博士論文のインターネット公表が義務化されたのです。「研究成果の電子化」「オープンアクセスの推進」がその理由です(インターネット公表の是非、というよりも、それを後押しする考えには、良くも悪くも、昨今の「大学改革」をめぐる問題が絡んでいると思うのですが、ここでは措きます)。
文部科学省「学位規則の一部を改正する省令の施行について」(〔http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/daigakuin/detail/1331790.htm〕[2015年10月11日アクセス])
立松慎也「学位規則の改正について——博士論文のインターネット公表」(〔https://www.nii.ac.jp/irp/event/2013/OA_summit/docs/2_3.pdf〕[2015年10月11日アクセス])
しかし、「やむを得ない事由がある場合」、大学などの承認を得られれば全文をインターネットで公表する必要はありません。そして、「やむを得ない事由」の一つに商業出版があります。
そのため最近では「商業出版を予定していること=「やむを得ない事由」があることを大学に証明する書類を発行してほしい」という連絡を受け取ることがあります。
4 博士論文の成果に興味をもってもらうために
と、いろいろと書いてきたのですが、私が仕事で学術書の編集を担当するときに感じているのは、博士論文の「インターネットを利用した公表」が義務化されそれが広く行き渡るのであれば、「やむを得ない事由」に商業出版を入れなくてもいいのかもしれない、ということです。
繰り返しになりますが、博士論文は学術的な成果をまとめて専門家・研究者に対して発表されるものですし、専門用語や学術分野特有の文体という面でも一般読者はなかなか読みづらいことが多いです。また、先に書いたように博士論文を書籍化してもなかなか売り上げが伸びません。
であれば、出版の可否にかかわらず、研究者がどの博士論文にでも容易にアクセスできる環境を作り、気になった非研究者がいつでも博士論文の内容にふれて、ときに検証できるようにしておいたほうが、建前でなく実質的に、研究成果の社会的な還元が達成できると考えます。
出版社の立場からすれば、「博士論文をインターネットで無料で公開すると、学術書が売れなくなる」こともあるかもしれません。これが事実であれば、学術出版を主とする出版社にとっては死活問題です。
※補足:品切れになった書籍を無料でインターネットに公表して、発行部数以上のアクセスがあった事例は報告があります(鈴木哲也/高瀬桃子『学術書を書く』京都大学学術出版会、2015年、24—27ページ)。
また、(紙か電子かは措いて)書籍というメディアに博士論文を「変換」しておきたいからインターネットでそのまま公表したくない、という研究者もいると思います。
私個人としてまだまだ考えはまとまっていないのですが、学術的な成果が「情報」となっている現在、「オープンアクセスか、商業出版か」ではなく、「オープンアクセスも、商業出版も」を前提として、博士論文の書籍化を考えると、書籍化のさいにむしろできることが広がり、売り上げを伸ばすこともできるのではないかと思っています。
具体的には、博士論文の書籍化に際して、すでにインターネットで原文は公表されているとしたら博士論文の骨子を残すことにこだわらず、
○博士論文から非研究者には不要な要素をバッサリと削って読みやすい原稿枚数に調整し、文章も平明にする。
○あるいは、新たに掘り起こした事実や分析をさらに書き加え、結論部分も「研究者に対する防御」より「積極的な意見表明」をするようにする。
などをすることで、「商業に堪えうる内容の書籍」に仕上げていくことができるのではないかと思うのです。そのほうが、一般読者を向いた書籍にするとしても、研究者を読者として想定する書籍にするにしても、博士論文の研究成果をより面白く見せることができるような直感があります。
また、上記と矛盾するようですが、博士論文を書籍化した学術書が売れづらいのは事実だとしても、売れないわけではありません(本体価格5000円の学術書が4刷、5刷と売り伸ばすこともあります)。だからなおのこと、専門家以外は読みづらいまま博士論文を書籍化することを進めず、インターネットでの原文の無料公表を前提としながら、「より読みやすく、また学術的な成果をより面白く、意義あるものとして読者に提示しようとしているのは書籍のほうです」という「オープンアクセス/商業出版」の棲み分けがあると、その両方から読者層を広げる可能性につながると思うのです。
ともあれ、博士論文のインターネット公表はそこまで進んでいるわけではありませんし、学術出版社としては学術書が売れてくれないと食べていけないのも事実です。研究者と出版社、両者が積極的に協業して諸制度に対応し、読者にとっていろいろな意味で読みやすく面白い学術書を刊行していけたら、と思っています。