カワイイ換喩(かんゆ)はアタマの健康食品です
こんにちは、水曜社の朝倉です。
水曜社はビルの2階にあって、これは僕にとっては幸いなこと。以前はもっと高層階の会社にいた。高所恐怖症というわけでもないけど、窓のはるか下に粟粒のような人影がうごめいているのを見るのが、どうにもつらいんです。俯瞰する視点は、人々の営みを抽象化してしまう。そんな地面から遠く離れた上空で、アクチュアルなテーマの本が編めるとは、到底思えない。
鬼怒川決壊での取材ヘリの映像を見ていたら、どうしたって3.11の光景を思い出さずにはいられなかった。まるで円谷英二の特撮じゃないか。地上では時速100km以上の津波が人と物を押し流しているのに、空からみたら粘菌みたいにゆっくりと、しかし絶望的なパワーで、淡々と家々を舐めていくだけ、悲鳴も聞こえない。あんなものを見たら虚しくもなりますよ。
今回の鬼怒川でも、いくつかの書店が浸水にやられたようだ。3.11では相当な数の書店が被害に遭ったけれども、僕の知人はあの津波で、貴重な本やレコードのコレクションを一瞬で失った。空撮の映像と相まって、虚しさがつのって僕は自暴自棄になってしまった。手元で後生大事にとって置いていたって、どうせ一瞬で流されちまっちゃあオシマイじゃないか。それならいっそ、本当にこの本が欲しい人たちの手に渡しておいたほうがいいと思って、僕は蔵書のなかでもとくに付加価値のありそうな3,000冊ばかりを、すっかり古本屋に売り払ってしまった。
そんな虚無的な「まるでミニチュアのような映像」に比べて、本当の、つくりものとしてのミニチュア、ジオラマ、箱庭なんかは、言いようのない魅力を具えているように見えるんだな。たんに本物そっくりだから、という理由から来る魅力ではない。それはたぶん、世界がその小さな庭に映り込んで小さな宇宙を作っているからで、それを説明するには小堀遠州なんかを持ち出してもいいんだけれど、面倒だ。たとえば覗きカラクリとか、パノラマ館だとか、もっと下世話な譬えでもいい。あるいはジョルジュ・メリエスのトリック映画のような「魔術」とも似ているかも。
弊社刊の『MINIATURE LIFE(ミニチュア・ライフ)』は、小さなコビトたちの、小さな営みの一瞬をクロースアップで捉えた写真集。類似する写真集と決定的に違うのは、写真家・田中達也さんの「見立て」の感覚──迷路のようなQRコードに立ち入ろうとしている幸せ一杯の花嫁と花婿。画鋲のスツールに腰掛けてミーティングをするビジネスマンたち。煙草の煙突を縫って作業する防護服の男たち。ダブルクリップと鉛筆とボビンで作られた飛行機の側にたたずむ飛行家。コンパクトのファンデーションの砂場で遊ぶ子供たちとそれを見守るママたち──こういった皮肉や洒落を含んだメタファーが、ここに写されたたった数十cm四方の空間に、グンと奥行きを与えているわけです。それが、田中さんの「魔術」。
現実の人々の営みや感情は、高いところから眺めていてもわからない。そういうことをわかっていないオジサマがたに田中さんの魔術をかけてやって、こっちが眺めてやりたい、という気にもなりますわね。