出版人戦慄のディストピア小説
はじめまして、DU BOOKS(読み:でぃーゆーぶっくす)の小澤と申します。2013年の1月にDU BOOKSの営業担当となり、今年で2年目になります。何でも好きなことを書いていいと言われたものの、まだまだ半人前の自分は何について書いていいのやら。自社刊行物の紹介にしようかしら? いや、せっかく弊社はレコードショップ「ディスクユニオン」の出版部門という、ある種特異な立場にある版元なんだから、ここは自社紹介がてら音楽ネタで、自分のお薦め楽曲の紹介にしようかしら? でも「版元日誌」なのだから、やはり本にまつわるお話の方がいいよな……さてどうしたものかと書きあぐねていたところ、そういえば最近読んだ本のなかに、本に携わる人間なら誰しもが戦慄するであろう“ある設定”の登場する小説があったのを思い出しましたので、今回はこの場を借りて紹介させていただきたいと思います。
NHK出版より発行の『スーパー・サッド・トゥルー・ラブ・ストーリー』。本作は高度に情報社会化が進んだ近未来での恋愛を描いたディストピア小説です。ディストピア小説というぐらいですから、読んでいて「うわぁ、こんな世界絶対住みたくない!」と思わされる描写が多々あるわけですが、そのなかでも私が一番恐怖したのは、あらゆることが数値化され、さらにそれが全て可視化されているという本作の設定です。可視化といえば、最近では『中身化する社会』(星海社新書)という本のなかでも、現代社会ではソーシャルメディアの普及に伴う「個人と集団の可視化」が指摘されていました。ですが、『スーパー・サッド〜』におけるそれは、現代の比ではありません。なんと、氏名、年齢、住所、家族構成、保有資産額、最近の購買暦から、性格の善し悪し、性的魅力指数=モテ度(!)といったありとあらゆる個人情報が、アパラットと呼ばれる携帯通信機器(今で言うところのスマートフォンの進化系)によって測定できてしまうのです。本作の主人公レニーはさえない中年男。彼は仲間たちと楽しいひと時を過ごそうと飲食店に繰り出すも、そのアパラットの機能により、自分の性的魅力が店内の男性のなかでも最低ランクであることを知り落胆します。あぁ、なんと怖いことでしょう。もし本当にこんな社会が到来したら、私なんかは周りの目が気になって喫茶店に入ることも躊躇してしまうかもしれません。
そんな来たるべき(?)恐怖の未来世界を描いた本作には冒頭で書いたように、出版人戦慄必至のある物語設定がされています。悲しむべきことに、本作の描く近未来世界では本が前時代の遺物として忘れ去られようとしているのです! 物語中、前述の高性能通信機器アパラットによって主人公レニーが本を購入していることを知った仲間たちは、彼をまるで石や木で火おこしする原始人を見るかのように扱います。アパラットが本を指して表示する商品名は「印刷・装丁された非ストリーミングメディア製品」。ただ、そうなのです、本が世界から完全に消滅したわけでなく、レニーのような読書家もまだ存在しているのです。この点に、たとえどれだけ情報社会化が進んでも本がなくなることはないだろうという著者の希望が読み取れ、勇気づけられます。
出版人にとっては余計に「スーパー・サッド」な『スーパー・サッド・トゥルー・ラブ・ストーリー』ですが、純粋にSF小説として面白い作品ですので、もし少しでも興味を持っていただけたなら書店さんで是非お手に取ってみてください。
そうそう、「SF」といえば、弊社から6月に刊行された、米ミュージシャン ドナルド・フェイゲンによる初の自伝的エッセイ『ヒップの極意』には、少年時代のフェイゲンが影響を受けた音楽作品について触れているほかに、フィリップ・K・ディックなどのSF小説についての言及もあり、SF作品好きの読者さまからも好評を得ております。特に、これまであまり知るすべがなかった50~60年代当時のアメリカの文化的背景が、フェイゲン少年の読書体験記録から浮かび上がる章『皮質・視床停止──SFで育つ』は、ハヤカワ文庫の青背のシリーズに親しんだ方であれば一読の価値あり! また弊社7月には、その『ヒップの極意』の著者ドナルド・フェイゲンが1982年に発表した歴史的名盤『ナイトフライ』だけについて、290ページまるまるかけて考察したその名もズバリ『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』という書籍も刊行しております。本書著者はMISIAの「Everything」ほかのプロデュースで知られる音楽プロデューサー、冨田恵一。プロデュース業に加え、冨田ラボ名義で自らアーティスト活動もする氏による本書は、現役のプレイヤー目線による解説が新鮮と、発売直後から音楽好きの間で話題沸騰。おかげさまで先日、2刷重版となりました! もしご興味ありましたら、今紹介させていただいた弊社刊行のドナルド・フェイゲン関連書籍2点も是非!