戦前期アメリカのベストセラー作家のエツ・スギモト知っていますか?
エツ・イナガキ・スギモトあるいは杉本鉞子という作家の名前を聞いたことがありますか? 故郷の長岡市には杉本鉞子研究会という社団法人もある郷土の著名作家ですが、日本語での著作のまったくないこの女性作家の知名度は決して高くはないでしょう。読書家の方は、唯一邦訳のある『武士の娘』(大岩美代訳、ちくま文庫)の作者として、あるいは日本論の名著『菊と刀』執筆の際にルス・ベネディクトが参照し、多くの引用がされているこの主著の著者としてご存知かもしれません。小社は戦前のアメリカで大活躍し、全作品を英語でのみ著し英米で発表した、この稀有な作家の著作集を出版しようと、編者の植木照代先生とともにこの何年か資料の収集に没頭しました。昨年末にやっと刊行できた『エツ・イナガキ・スギモト(杉本鉞子)英文著作集』全5巻には、スギモト全作品の米国での初版の復刻と、米英の新聞や雑誌に発表された主要な記事や書評など60点弱を収録しています。
明治6年に旧長岡藩家老の家に生まれたエツは、生家の没落もあり単身で上京、青山学院の前身の海岸女学校などで英語やキリスト教教育を受けた後、米国シンシナティで事業を起こした日本人との結婚のため渡米します。文筆活動は夫の死後、地方の新聞などが彼女の日本の紹介記事を掲載したことがきっかけで始められ、その文才がニューヨークの編集者に認められ、アジア文化を紹介する専門月刊誌での連載が始まります。この連載をもとに大手出版社ダブルディから1925年に出版された作品が、自伝的小説といわれるA Daughter of the Samurai(邦訳『武士の娘』)です。この日本人新人作家の処女作は、前年に排日移民法が成立し反日感情の高まる社会情勢であったのにもかかわらず、米国読者に広く受け入れられ、直ちに英国版が刊行、独仏はじめ7か国語に次々と翻訳出版されます。正確な発行部数はわかっていませんが、同年に発行された『華麗なるギャッツビー』よりはるかに成功し、戦前から戦中期に版を重ねるダブルディ社の長いベストセラーになります。なお、執筆活動と同時に、エツはコロンビア大学の夜間コースで日本語を教えていますが、この頃ルス・ベネディクトは同大学の学生でしたので、二人はどこかで接触していたのかもしれません。
A Daughter of the Samuraiに続いて発表され、「娘3部作」となったA Daughter of the Narikin『成金の娘』とA Daughter of the Nohfu『農夫の娘』、そしては最後の作品となるGrandmother O Kyo『お鏡 お祖母さま』は、第一作ほどの商業的な成功をおさめることはできませんでしたが、それでもニューヨークタイムズ紙やロンドンタイムズ紙など主要新聞はすべての作品の出版を発行時に報じ、好意的な書評が掲載されています。『お鏡 お祖母さま』が刊行されたのは第二次大戦の始まる1940年のことですので、そのような反日の時代の英米で、日本の価値観を持った「祖母」を主人公とするこの小説が刊行されていることからも、この作家に対する出版者や読者の信頼と愛情を感じることができます。戦後、東京でエツ・スギモトが暮らしていることを知ったGHQの将校達は、『武士の娘』の著者に会おうと彼女の家に大勢でおしかけてきたそうです。この逸話も物語るように、エツ・スギモトは間違いなくこの時期にもっとも海外で名の知られた日本人作家だったのでしょう。
小社では、このエツ・スギモト著作集に先立ち、同じく戦前の米英で活躍した日本人詩人ヨネ・ノグチの英文著作集も発行しております。その出版と前後して、ノグチを博士論文とする若き研究者も何人かあらわれ、関連する研究書の出版も続いています。『ヨネ・ノグチ 夢を追いかけた国際詩人』『レオニー・ギルモア イサム・ノグチの母の生涯』このような研究の展開とともに、今年は夏にヨネ・ノグチ学会の設立が予定されています。残念ながら、エツ・スギモトを研究の対象とする研究者、学生の数はまだまだ少ないようですが、今回の著作集出版が少しでもエツ・スギモト研究の促進に役立ってくれればと願っています。
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