アメリカとイスラーム
ここのところ気になっているのは、当然ですが、アメリカとイスラームのことです。
アメリカについては、気になっているというより、「頭にくる」だな。アフガン空爆、フィリピンのバシラン島への軍事顧問団派遣、悪の枢軸発言、パキスタンへのゆさぶり、そして例のごとく、パレスチナへの積極的不介入。あいつらいったい何を考えているんだ。だいたい、9月11日に犠牲者にまず第一に謝るべきだったのはアメリカ政府だよ。対ソ戦略のためにムジャヒデンをあやつり、オサマ・ビン・ラーデンとアルカイーダをつくったのはアメリカじゃないか。目的はソ連の南下阻止だというが、それはつまりカスピ海沿岸の石油資源の権益独占だ。要するに、自分たちの利益のために、他国で他人をそそのかして、テロリストをそだてあげ、そのテロリストがアメリカ国民(ばかりではなく日本人もだ)を殺したんだから。「テロ撲滅」という「大義」が聞いてあきれるぜ。
しかし、考えてみれば、アメリカは何十年も世界中でこんなことばっかりやってきているんだ。ベトナムのことはいわずもがな。あいつらラオスとカンボジアでどれだけ爆弾を落としたと思う?ラオスの当時の人口は300万人、そこに爆弾300万トン。1人に1トンの爆弾がふりそそいだ勘定だ。カンボジアのベトナム国境に近いほうはもっとひどかった。でも、アメリカは一言も謝罪しない。もちろんベトナムに対してもだ。ニクソンはベトナム政府に戦後賠償の約束をしてたんだぜ。知らん振りはアメリカの得意技その1だよ。
アフガンの誤爆で民間人を殺傷したことをアメリカの軍はしぶしぶ認めた。そして、犠牲者に補償金を支払った。いくらだと思う? 1人1000ドルだと。10万円ちょっとだぜ。しかも、謝罪するつもりはないと軍は「明言」してるとのことだ。やつらにとって、アジアやアフリカ、アラブ、中南米の人間の命は「屁」みたいなものなんだ。いかにしてアメリカ兵が傷つかずにできるだけ多数の「敵」を効率的に殺すことができるか、そんなことに知恵を絞って、そのとおりにアジア人やアラブ人が死んでいったら、「やった、やった」って握手して喜んでいるんだぜ、やつらは。戦争なんてそんなもんだよ、なんてわかったようなことを言ってもらいたくないね。こんなこと許してはいけないんだ。
よくアメリカ人はいいけど、アメリカの社会はいいけど、アメリカの政府はまちがっているなんて言う奴がいる。そんなことあるもんか、アメリカ人がおかしいから、アメリカ社会がおかしいから、アメリカ政府がおかしいんじゃないか。9月11日のあと、あるテレビ局がアメリカの市民に「なぜアメリカはこんな目にあわなければいけないのか」と聞いていた。そしたら、お目目ぱっちりのかわいい女の子が「彼らは私たちの豊かさと自由に嫉妬しているのよ」なんて言っていやがるの。あきれると同時にぞっとしたね。根は深い。アメリカ人に「他人を理解し、受け入れる」という寛大さ、やさしさを期待するのは無理なんだ。本当にいやなやつらだ。しかし、いやなやつらだからといって否定するというわけにはいかない。そんなことしたら、こっちもアメリカになってしまう。だけど、ぼやぼやしてたら、日本もアメリカの策略に巻き込まれてしまう。やつらに仁義なんてないからなあ。
出版人としてできるのは、「忘れない」ということだろうと思う。日本人はすぐ忘れてしまうからな。アメリカの悪事をきっちりと暴き、執拗に批判していくことだろうな。しかし、みんな、びびって書こうとしないんだな。なさけない。
イスラームのことは長くなるから、やめよう。ただ、イスラームは割りを食っているのはたしかだ。つい最近までイスラームといえば「剣かコーランか」というイメージしかなかった。「十字軍」というのは正義だとばかり思っていた。そう学校で教わってきたんだから。「草刈り十字軍」なんてのがあるぐらいだからなあ。ムスリムという隣人とちゃんとつきあえるまでには時間がかかるだろう。でも、これも大事な仕事になると思います。