「ヱヴァに乗る」私たちが生き抜いていくために。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を見てきました。すごく詳しい方もたくさんいらっしゃると思いますし、それに比べて私はまだまだ語れるほどの知識を持ち合わせてはおりませんが今回の『Q』を取り巻く状況について思うことがありました。
それは割と幅広い世代の人にとって、そして割と趣味嗜好の枠を超えて、「ヱヴァ」というものは共通認識になりうるということです。昔はエヴァといえば、主には一部のマニアやオタクとされる人たちのものでした。ところが今は、たくさんの人たちがヱヴァンゲリヲンを鑑賞し、考察し、登場人物のセリフを反芻しています。これはどういうことか少し考えてみました。
海外と比べ、日本においては宗教の存在は大きくありません。たとえばアメリカでは、裕福だろうと貧しかろうと、あるいはインテリだろうとそうでなかろうと、誰でも聖書の内容を知っています。ところが、日本においては宗教に置き換わるような、いわば「誰でも知っている」ことがほとんどないし、あったとしてもそれはあまりにも脆弱すぎるのです。
誰でも知っていることが見当たらない我々も横のつながりを欲します。そこで「自分たちの中では誰でも知っている」というような集団を形成して、同じ趣味を持つ者たちだけの小さい世界を作ります。ですから日本人が横のつながりを得るためには「趣味」は重要なウエイトを占めています。海外での宗教と同じような役割を、ごく小さな規模で果たしているといえるでしょう。
しかしこの、趣味による結託は非常に脆弱です。自分の心変わりによって人間関係も終結してしまうからです。これが、趣味が宗教になりえない理由の一つでしょう(余談ですが『前田敦子がキリストを超えた』(*1)というタイトルだけでここまで批判を受けてしまうのもこの意識が受け手に根付いているからだと私は推測しています)。
そして宗教のない我々が編み出した共通認識を確認する手段が「あるあるネタ」というものでした。「あるあるネタ」は主にお笑いのフィールドで使われるものですが、共感できることを言って笑いをとったり場の雰囲気を明るくさせたりするための手段になります。そしてこれは「子ども時代のこと」が主になります。たとえば「理科室黒板上下する」「学校に犬が入ってきたらめっちゃテンションあがる」」などの愛すべきばかばかしい子ども時代のあれこれを我々は共通認識として確かめ合い、笑うのです。
つまり、趣味によって分断されるより以前の子どもという時代にしか、どんな人にもわかることは存在できないということです。しかし逆に言うと、誰も昔は子どもだったので、共通認識をあきらめる必要はないということです。
さて、話を元に戻します。なぜヱヴァがこれほどまでに、それこそ「誰にとってもわかるもの」になりうるのでしょう。それは、誰も昔は子どもの次には思春期だったからと言えるでしょう。
ヱヴァンゲリヲンの主人公、碇シンジは14歳。だれも昔は14歳だったことがあると思います。そしてこの時期から、我々は自己やさまざまなことで思い悩むようになります。
思春期というものを幸福に終わらせることは相当難しいのです。けれども思春期の葛藤は子ども時代あるあると同じくらいに誰にとっても共通なのです。
それならば95年の『新世紀エヴァンゲリオン』を見ていれば、碇シンジにシンパシーを抱き、救われた思いになれるのではないかと考えるでしょう。ところが、リアルタイムの共感よりも、過ぎ去ったけれども終わらせることができなかったものを、ともに追悼してくれる存在のほうを求めるのです。エヴァがこれほどまでに共通のものになりうる理由は、上手に終わらせることのできなかった思春期を、他者と「あるある」という共通理解をすることによって、はじめて弔うことができるからではないでしょうか。
子ども時代を「あるある」ネタで終わらせ、思春期の終わりをヱヴァンゲリヲンで弔う――
これはただの過去を美化する作業ではなく、ともに乗り越えていくための儀式であるといれるでしょう。
「エヴァに乗ることって生きること」と、宇多田ヒカルは言いました。(*2)
生きることって、どうしてこんなに難しいのでしょう。
どうして「逃げちゃダメ」なんでしょう。どうしてふさぎ込んでしまうのでしょう。
どうしてわけのわからない敵とわけのわからないままに戦わされなければならないのでしょう。どうして人間関係はこじれてばっかりなのでしょう。どうして愛する人たちが死んでしまうのでしょう。
エヴァンゲリヲンを他者と共有して心の傷を癒すことも有効です。ですが、自分で自分を癒すためにできることを考えましょう。
たとえば気持ちをスッキリと伝えたり(*3)、自分の将来をただ憂うだけでなく正しく理解したり(*4)、愛する人を失った悲しみから立ち直るため(*5)のアクションや、世界を脅かす存在への正しい知識(*6)も必要です。
そして一番、今回の『Q』の公開と社会の反応に対して感じたのは、たくさんの人にとってヱヴァが共通認識になり得るということですが、さらにいうとたくさんの女の子がヱヴァに参画していることです。
映画館に行けば、プラグスーツ風のパーカーを着た女の子たちがたくさんいました。
SNSにおいてはギャルのあの子も、もう妻となったあの子も、恋愛ばっかりのあの子もエヴァを語っています。今やたくさんの女の子たちが語っているのです。
ヱヴァに乗ること=生きることに、そして取り巻く環境に対するる言葉を持ち、そして積極的にコミットしているこの状況は、宗教とは異なったアプローチであり、新しい世界がはじまっているのかなと思います。(*7)
*1 『前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48』(筑摩書房)
濱野智史著。この衝撃的タイトルは各方面で賛否両論。元々はエイプリルフールネタだった。
*2 『週刊プレイボーイ』(集英社)2006.6/5号の特集記事「エヴァンゲリオン10年目の真実」より
*3 シンジくんはいつも自分の気持ちを伝えるのに苦労しているようです。小社刊『スッキリ!気持ち伝えるレッスン帳―エモーショナルリテラシーからアサーティブネスまで』(八巻香織著)を読めばいいと思います。
*4 小社はお仕事紹介シリーズの第一弾として『音楽療法士 シリーズわたしの仕事①』 (長坂希望著)を刊行いたしました。
*5 大切な人を亡くした悲しみから立ち直るために、小社刊『悲しみが癒えるとき』(長田光展著)を参考になさってください。
*6 『母と子のための被ばく知識』(崎山比早子+高木学校著)
*7 弊社はジェンダー関係の書籍絶賛発売中です!!