牧野富太郎生誕150年。『牧野富太郎植物画集』への想い
弊社は、もともと福島県伊達市にある印刷会社のちょっとした遊び心から始まった会社だ。日本にはなぜ、すてきなミュージアムショップやミュージアムグッズがないのだろうか? ひょんなきっかけで小さな博物館のミュージアムグッズを作ったことから、私は日本の博物館や美術館のミュージアムショップ、ひいてはその運営があまりにも利用者抜きで進められている状況を知ることになった。学生時代に博物館学を専攻したこととフリーライターをしていたことから、その現状や背景に興味をそそられてしまった。もちろん、印刷会社の社長は何かのビジネスチャンスを狙っていたのだろうが、何はともあれ、1994年4月、A4判8pの小冊子「月刊ミュゼ」を作って、日本のミュージアムショップやグッズの普及と発展を願い呼びかけたのだ。1号は2色刷りだったが、それではグッズがよくわからないとなって2号からはカラーになり、翌年からは隔月になって、紙もページも厚くなって、いろんな変遷もあって今は季刊になり、次号は「ミュゼ100号」となる。細々と続けてきて、振り返れば18年間の日本のミュージアムの変化は、大きいも小さくもある、というところか。
アム・プロモーション
さて、前置きが長くなったが実は弊社刊の『牧野富太郎植物画集』もミュージアムショップとグッズに関係して生まれた一冊だった。高知県立牧野植物園が1999年に大リニューアルするのだが、弊社はそこに新設されるミュージアムショップとグッズの構想や企画制作の業務を受けていたのである。牧野富太郎の描いた繊細で緻密に研究された植物画やその植物を愛してやまない人柄が分かる写真や文などをグッズ展開しよう植物園の学芸員さんたちと進めていた。と、そんな時、「画集もリニューアルしたいが、増刷の予算しか確保してなかった」と担当者たちが頭を抱えていたのである。私はグッズを作る過程で、さんざんに素敵な植物画や牧野富太郎の魅力に浸ってきたので、それまでの画集の単なる増刷は、何としても阻止したかった。もっと、いい画集になるはずだし、そうしたい。そこで、弊社が版元となる方法を提案した。それまで単行本はまだ1、2冊しか作っておらず、取次も通していなかった。しかし、もしこれを出版社が発行すれば、高知の植物園に行かなくても全国の書店から買うこともできる。編者が高知県立牧野植物園なのだから、その存在も知ってもらうことができる。
「ミュゼ40号」 牧野植物園特集
そんなことで、画集はミュージアムグッズの普及を願う雑誌「ミュゼ」を出す小さな出版社から発行されることになり、『牧野富太郎植物画集』は弊社に初めて日販さん取次口座を得させてくれたのである。晩秋の初出荷の日、夕暮れにおっきな日販さんのトラックが会社の前に止まったときは、ビックリして感動した。(なぜか、その後は来ないが。)
今年は、牧野富太郎が生まれて150周年。最近、この想い入れ大きい『牧野富太郎植物画集』が、ぼちぼちと出荷されていく。この機会に牧野富太郎という植物への愛情に満ちあふれた天才的な植物学者の植物画に触れてほしい。