あれから一年、男と女
「女の腐ったような」という形容表現がある。ウジウジした優柔不断な男に対する、ある種侮蔑的なことばである。最低だ、ということだろう。
そういわれた男は「女以下の男」、ということであるが、そうするとこの形容表現には男尊女卑思想が潜んでいることになる。
しかし、女が腐ってウジウジ……という展開にはどうも違和感がある。どう考えても、一般的に男のほうがウジウジしているのではないか、と思う。
たとえば、ご多分に漏れず、我が町も高齢化社会である。しかも、後期高齢者とおぼしき老人はばあさんばかりである。生物学的にみても女のほうが生命力が強いらしいが、原因はそれだけではないのではないだろうか。
男尊女卑のからみでいえば、あいかわらず日本は「男社会」である。男が牛耳って、男が前に出る社会である。それはそれで男が望んだ社会かもしれないが、逆にいえば、男は常に外気にさらされ油断を許されない社会である、といえなくもない。
そして、陣取り合戦に明けくれて、男は勝手に消耗していくわけである。そのへんがやはり、寿命にも影響しているのではないだろうか。
ばあさんばかりでは、長生きしたじいさんは肩身がせまいので、早いうちからもっと女性をあらゆるところに登用すべきである。
女はといえば、単身他家に乗り込み、あげくに意のままにしてしまう。そんなまねは男にはできないだろう。その潔さは、ウジウジとは対極である。
男は捨てられないものをたくさん持っている。ウジウジと悩みながら。昔のカノジョの写真とか喫茶店のマッチとか……。
医師で教育評論家でもあった松田道雄の著作に、『私は女性にしか期待しない』(岩波新書/1990年)という本がある。
男にしてみれば、身も蓋もないタイトルの本だが、その内容は、男社会の弊害と矛盾を看破していてとてもおもしろい。
3.11以降、原発事故への批判、脱原発の取り組みをみても、女たちのほうがねばり強く真剣なような気がする。
もちろん、男が女が、ということではなしに、子どもたちや孫たちの世代に絶望的な日本を残さないために、ここしばらくは大人たちの知恵がためされるだろう。(了)