ユニテ・ダビタシオン マルセイユ撮影顛末記
(世界の名建築をコンパクトに紹介するシリーズ「World Architecture」の多くを撮影した写真家の宮本和義さんに、近代建築の巨匠、ル・コルビュジエによる集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」の撮影顛末記をご寄稿頂きました。―バナナブックス編集部)
□第一の事件
マルセイユに向かったのは、イタリアのミラノからだった。同行者は二人。一人は語学が堪能で、十年近く私の通訳と助手まで勤めてくれている建築家のJ氏。もう一人は女性のMさんで、彼女は会計と私の世話係り。私はいつも同行者に手数をかける印籠の無い水戸黄門的存在、いい気なものである。朝7時頃ミラノ発の列車に乗り込んだが、発車まで間があった。座席を離れた一瞬の間に置き引きにあって、J氏と私のザックを盗られた。発車前で賊はホームの人混みに消えた。列車を一本遅らせて警察へ行く。パスポートなどの貴重品は身につけていたから行動は制限されなかったが、私のカメラは消えた。J氏がカメラ二台を身に着けていたので、一台を借りることにした。私はかなりのショックだったが、気を取り直してマルセイユに向かった。
□第二の事件
ミラノからマルセイユまでは八時間ほどかかった。お尻が痛くなる頃にマルセイユ駅に着いた。駅構内は洪水で水びたしだった。ここからユニテまでタクシーで行くことにしていたのだが、道路の冠水と渋滞でタクシーはいつまで待っても来なかった。しかも今日のJ氏は体調が悪いという。地下鉄は動いているとようだ。重い荷物を持って止まったままの長いエスカレーターを降りた。地下鉄はユニテ近くには行かない、最寄駅からはバスだが、動いているかどうか判らない。タクシーも全くあてにならないが、ともかく前進するしかない。最寄駅に着いた。夕方には着く予定だったが、駅前は暗闇でぼんやりしたバス停の灯だけが見えた。空腹に気づいたが、食堂など見当たらなかった。少し先にホットドック屋の灯が見えた。そこで夕食を買った。地獄で天使のホットドック屋だった。二十分ほどでバスが来た。乗客の女性に、J氏が降りるべき停留所を尋ねた。女性もそこで降りるらしく「一緒にどうぞ」といった。地獄で二人目の天使に会ったような気がした。女性はユニテの住人だった。息も絶えだえに宿でもあるユニテに着いた。フロントの男性は「こんな日によく来た」とばかりに歓迎してくれたが、他に行く所がないだけであった。J氏はもう限界でダウン、私もとても疲れていたが、夜の室内の写真を撮りたかった。
□やっと撮影
カメラに三脚をセットした。J氏に借りたカメラを、自分用にカスタマイズして撮影を始めた。Mさんが手伝ってくれるので大いに助かった。撮影は助手の存在が大きい、その働き具合は写真のできにも影響する。Mさんは国内での撮影も度々手伝ってくれているので、私の撮影の仕方は心得ている。撮影したのは自分が泊まる部屋だけだったが、終わると日付が変わろうとしていた。カメラを部屋の隅に寄せて私もパタンキュー。
翌日は良い天気だった。J氏も元気を回復して、皆で朝食にいった。食堂に先客は一人だけで、その男性はベランダでタバコを喫っていた。雰囲気が良かったので一枚撮った。少しピントが甘かったが雰囲気は写っていた。その写真は雑誌「住宅建築」の一頁を飾った。良いと思ったらまずシャッターを押すことである。どんな名人でも去ったチャンスは撮れない。食後すぐに撮影に入った。のんきな物見遊山の旅ではないから、いつも一分を大事にする。ミース、アアルト、グロビウスなど様々な建築家の作品を撮ったが、私にとってはコルビュジエ作品が一番撮り易く感じる。理由は判らない。相性が良いのかもしれない。昼頃まで撮って、ユニテを後にしてリヨンに向かった。マルセイユでのを思い出す時、それは建築の素晴らしさなどより、悪夢のようなミラノからユニテへの旅の顛末である。
World Architecture
ル・コルビュジエ ユニテ・ダビタシオン マルセイユ 1945-52
渡辺 真理:著, 宮本 和義:写真
A5判 63ページ 並製
定価:1,700円+税
ISBN 978-4-902930-25-2 C3352